そんな最後のようで
「……」
カオルはただ部屋で見慣れた天井を眺めていた。
懐かしい洋式のベットの感触。ふわふわした布団に、柔らかい枕。干していてくれてたのか、お日様の匂いもする。
服だって下着もちゃんとあるし、ごついスカートじゃなくてズボンだって穿ける。家の中はいつだって春で、虫や台風なんて気にしなくていい。
外に出なくたって、情報は手に入るし、遠くの人と会話することができるし。
こうしていれば現代文化がいかに素晴しいか分かる。
「うん。……ここが私の、本当の居場所」
ずっと暮らして、当たり前のように生きていた。今のままが本当で、あのことは夢だったんだ……そう思って忘れてしまえば、なにも
(なにも、問題ない……よね)
携帯の音が鳴った。
カオルは手を伸ばし、画面を見ればタクローからのメールだった。
『父さんと出かけてくる。父さんから誘われたんだけど、フラグかなあ? 俺、家に帰ったら姉ちゃんとお風呂に入るんだ』
カオルは見なかったことにして画面を消した。
地味にいやです。
「んー」
こんなときでもジッとしているのはやはり性分に合わないらしい。寝転がってただボーっとしているのも飽きてしまった。
立ち上がり、部屋を出た。
「あぁ、カオル。具合よくなった?」
アカリとばったり出会った。その手には大量の旅行鞄。
「……?」
そういえばお菓子つくりのために海外へ行っていたということを今更思い出した。カオルは黙って鞄を見つめると、アカリが察したのか、カオルの頭を撫でた。
「フランスに戻るわ。まだ修行中の身だし、もうカオルは大丈夫でしょ?」
「……ごめん、私のために戻ってたんだ」
「うん。一週間だけね」
「え」
今までななかな戻れずにいて、やっと戻って会いに行ったらちょうど目が覚めたと。
そういって笑うアカリ。
すごい双子のミラクルパワー
「じゃあ、もう行くから」
「……え、今日?」
「そう、今日。じゃなきゃ鞄もって歩かないって! こんな大量に」
自分で言いながら笑うアカリ。
まあ、事情は分かるが……切ないものがある。
「カオル。ずっと悩んでるけど……何? 言えないこと?」
「言えないこともないけど……」
アカリは旅行鞄に腰かけた。
「言ってみ? まだ時間あるし」
「……」
カオルは、少しずつ夢か現か分からぬ出来事を話だした。
すべて話し終えると、アカリは笑った。
「夢よ。あるわけないじゃん。だって、ずっと眠っていたの見たんだから」
「……でも」
「もしも、それが仮に本当だとするじゃない?」
「うん」
アカリは先ほどの笑顔とは違う、真面目な顔でカオルを見つめた。
「カオルはどうするの……?」
「……」
「どちらかを、はっきりと諦められるの?」
カオルは黙り込んで下を向いた。それで悩んでいるのだ、今ここで答えが出たら悩みなどしない。
姉はきっとそれを分かって聞いているのだ。もう一度ちゃんと考えろという意味で。
「カオル」
アカリは小さく笑ってカオルをそっと抱きしめた。
「なんで悩んでるか分かってる?」
「……」
「カオルの心の中で、答えが出てるからでしょ」
その言葉にカオルは顔を上げた。
寂しそうな、それでいて温かい笑みを浮かべた顔をしている。
「その彼のもとに行きたいんでしょ。私らに遠慮しないで? 気負う必要なんてない。私たちは離れてたって家族でしょ?」
肩をぽんぽん、と叩かれた。
「アカリ……」
「いやぁーまさか恋に愛に無頓着な職人気質なあんたが、家族と愛とに悩むなんてね」
「いろいろあったんだよ」
古代では本当いろいろあった。心が変わったというのだろうか
確かに昔の自分だったらこんなに悩まず、すっぱり過去を忘れ今を生きるだろう。
カオルの笑みを見て、アカリは頷いた。
「もう大丈夫ね」
彼女は旅行鞄を手に歩き出した。荷物を少し重そうに持ち歩く彼女は振り返らない。
「Salut」
そう異国の言葉を使って、手を振って去って行った。
彼女は私より未来を進む。
「はあ~、夢があるっていいなあ」
小さいころから私にはこういったものになりたいというはっきりとした意思はなかった。大人になってからは夢なんて持たなくとも平気だとさえ考えて、老後が幸せならそれでいいという具合でしか、何も思ったことはなかった。
けれど、今ならある。
カオルはポケットから宝石を取り出した。
「願いをかなえる石……ロスタムがくれた、不思議な因果の宝石」
私が願ったら、叶えてくれる?
神様とか、パワースポットとか、そういうご利益があるものは結局は気の迷いとかそんなのだと思い、まったく信じないタイプだった自分が今この石に頼ろうとしている。
それがなんだかおかしく感じた。
---キラリ
「え?」
宝石が光ったような気がし、手の中の小さな石を覗き込もうとしたら、聞きなれた声に呼ばれた。
「カオル?」
「わっ!?」
驚いて石を落とす。
少しだけ慌てながら後ろを振り向けば、母のイザベラだった。カオルは石をさっと拾い上げ、神妙な顔つきの母を見つめる。
心配そうにも見える母を安心させるように、カオルは優しい声で問う。
「なあに? どうしたの?」
「アカリ、サッキ帰ッタヨ。カオル、寂シイ?」
「いや別に?」
寂しいと思うほど、もう子供ではないし、アカリはしっかりしているので何の心配もしていない。
しかし何を思ったのか、小さい頃によくされたように頭をよしよしされた。
もうすぐアラサー、母に頭を撫でられるの図。
「いや、あの、母さん。私もういい歳……」
「デモネ、カオル。ズット寂シイッテ顔シテルヨ」
「!」
自分の顔を抑えた。
そうだったのか……それで、アカリあんなこと
「ママハネ、カオル。カオルガ幸セダッタラソレデイイノヨ?」
カオルは母の顔を見た。
もしかしてアカリとの会話……聞かれていた?
だとしたら、その言葉は
「……母さん」
イザベラは何も言わず、カオルの頬にキスを落とすと、そのままカオルの躰を優しく押した。
――― 愛おしい人のもとへ、いきなさい
そう言っているようで。
カオルは、唇を噛みしめた。
「……ッ。ありがとうお母さん。ありがとう」
宝石を握りしめ走り出した。
そうだ、うじうじ悩むのは私らしくないね。
「!」
家を出ると、遠くのほうで何故かボロボロになったタクローと父が居た。カオルは二人に手を振って、一度深く頭を下げてまた走り出した。
その様子を見ていたタクローは首を傾げる。
「姉ちゃんあんな急いでどこ行くんだろうね」
「……」
「父さん?」
タクローの声に父は何も言わず、鼻を鳴らして家のほうへ歩き出した。
「待ってよー父さーん。あ、アカリねーちゃんからもメール着てた……『フランス戻ります』だって」
「……」
「いやあ、娘っていうのは家に残らないものだねえ」
なんてひょうひょうとした態度でタクローが言うと、何とも言えない表情の父は足を止め空を見上げた。
「イザベラの父も、今のワシと同じ気持ちだったのだろうかな」
「え?」
「タクローよ」
父は微笑んだ。
「ん?」
「女は強いぞ。時には男よりもな」
タクローも父が見上げる空に目を向けた。
「うちの女性たちは特にそうだと思う」
「シゲルー? タクロー? 何シテルノー?」
「空をみていた」
家から出てきたイザベラも、二人と一緒に日の落ちてきた茜色の空を見つめ、にっこりとほほ笑んだ。
「アラ、ソウダッタノ。空ハイイワヨネ~」
「なんで?」
「ダッテ、自由ジャナァイ?」
いつだって、自由はそこにある。ただ、見えぬくいだけで……
カオルは走っていた。
行く当てもない、方法も分からない。
でもがむしゃらに走った。根拠なんて全くないが今ならいけるような気がした。
―――― 行くんだ。
気が付けば見知らぬ風景にたどり着いた気がする。あんなにもいっぱいあった信号に一度もつかまってない。車の音も聞こえない中手の中の宝石が熱を帯びてきた気がする。
水の上を走っていた。
不思議に思うが、今はそれどころではない。
―――― 戻りたい。
心臓が爆発しそうなぐらい鼓動が激しい。
酸素の吸い方を忘れるぐらい走る。
―――― 会いたい。
ただもはや意地と執念だけだった。
古代でなんども死にそうになった。そのたびに走った。そして生き残った。
いろんな人たちを見てきた。いろんな出会いがあった。そのたびに助けてもらったし、知らなかったことをいっぱい学んだ。
知ってるつもりだった自分のことも、もっと深く知ることができた。
酷い人にも、良い人にも、悲しい目にも、死に別れも、純粋な恋も、喧嘩も、全部経験した。
それは確かに、この自身で体験したこと。
だから、あれは夢なんかじゃない!!
神様に殺されそうになっても、死ななかった! それでも諦めなかった! だから、ここで諦めるわけにはいかない。
立ち止まって、大きく息を吸って叫んだ。
「諦めてたまるかぁああ!! 私は、古代に進むッ!!」
幾千もの神々は私をみたら滑稽だと笑うだろう。
わざわざ終わった歴史へ全身全霊をかけて戻ろうとしているのだから……。
手の中の宝石がその身を削りながら眩く光、やがてカオルの躰を深く包みこんでいった。
私は行くんだ、愛する人たちの元へ! みんなのもとへ!!
--- どぼん。
水に落ちた。深い深い水の中に沈んでいった。
不思議と苦しくない。冷たくも熱くもない、ただ何の感情も沸かない水の中にだんだんと沈んでいくカオル。
上へ手を伸ばす。
その際、愛する人の影が見えた気がしたのでカオルは微笑んだ。
ざざ……ん、ざざざ……ん。
「ん?」
カオルは目が覚めた。
細かい粒子のような砂が髪の毛にくっ付いてすごく不快だった。
間近で聞こえる波の音に、動かない頭の中をフル回転させどうにか今の状況を判断しようとするが、ある意味目の前の状況を見て、一瞬で頭の中が真っ白になった。
深く掘った穴の中に貝殻を捨てている、芸能人がたまにギャグでやる『卑弥呼髪』の男たち。
「縄文……弥生……? いや、っていうか……」
カオルは手の中の石を見つめた。
確かに古代に行きたいといった。そう叫んだ。---けど!!
「私の行きたい場所と全然違うっ!! はい、やり直しっっ!!」
必死な私を弄ぶかのように、綺麗なその石はキラリと小さく光った。
サッパリと終わりました。
いや、もうシリアスお腹いっぱいです
カオルがロスタムのところへ行けたかどうかは
皆様次第でございます
最後までのお付き合いありがとうございました。