未来へ
「ふうふう」
登る用でも階段でもないから、上がりぬくいのなんのって、しかし急がなくては背後にライオンが迫ってきている。
視界の隅の左右からロスタムと七菜がこちらに向かっているのが見えた。
正直、動物と人なら勝負は見えてるよね。
「危ないから二人ともこなくていいよー!」
正しくは三人だとは思うけど。イルタが後ろのほうで七菜を掴まえようとしているのが見えるし。
保護者って大変だなぁ。
「貴様ら、何をしている」
はい、来た。不運。
二人の見張りの兵士が槍を持って来た。それを見てイルタとロスタムの目が変わる。
「な、何をする貴様」
「うぎゃあああ」
武器を奪われた挙句、せっかく登ってきたのに蹴落とされていった哀れな兵士に祈りを。
というか、これ以上不運になることなんてないか。開き直ろう
「っ」
空の色がだんだん変わっていく。どうやらもう夕暮れらしい。
「……はあ、はあ、はあ」
下を見れば、ライオンに槍を投げつけ、兵士が腰に帯刀していた刀を構えるロスタム。
かかってこいよと意気込んでいるが、心臓に悪いからやめてほしい。
「ロスタム! 逃げてってば!」
「お前が逃げてろ」
「ずっと逃げてるよ!!」
よくわからない口論。
ライオンはすでに私など眼中になく、邪魔者と言わんばかりにロスタムを威嚇している。
「紀伊さん!」
やっと追いついたらしい、七菜が走ってきた。
神様的には保守しておきたいはずの七菜を、先ほどからの興奮からなのか、それとも反射的からか、ライオンは彼女に向かって襲い掛かった。
「きゃあああ!!」
「女神様っ……!!」
武器を構えたイルタが七菜を押しのけ、武器を構え自ら盾となった。
が、いくら文武に優れていようとも、しょせんは人間の女。いともたやすくその獰猛な爪に弾き飛ばされ、ピラミッドの段差を転がり落ちて行った。
「っ!」
彼女が段差で跳ねるたびに同じように飛び散る、赤い、赤い、赤い血。
七菜の悲鳴が上がった。
「イルタぁあああああ」
「この野郎!!」
ロスタムが、剣をライオンに向かい突き刺そうとしたが、機敏な動きでライオンが先に飛び上がった。
それを見たカオルも、ほぼ本能的にその場から飛び降り、ライオンに体当たりをかました。
初めてライオンに攻撃したが、骨が固く痛かった。
唸るライオンに一矢報いたが、奴はすぐに戻ってこれる距離。
なんとか体制を優位にするため、カオルはイルタが落としていった剣を拾い上げた。
「ふう……ふう……ふう」
こうなったら、私も戦う。
「え……?」
カオルは空を見上げてぎょっとした。
もうすぐ日が沈むはずなのに……太陽の円が大きくなっているように見えたからだ。
「カオル、来るぞ……!」
「!」
ライオンが飛び上がってきた。
鋭い爪から避け、ただひたすら背中を見せないよう相手を睨んだ。
「この野郎」
ロスタムも一撃を食らわせようとするが、俊敏なそいつが威嚇しながら牙を見せ、手を伸ばす。
集中しなきゃいけないのは分かるが
「眩しいっっ……ちゅうねん!!」
太陽の光が明らかに強くなっていっていた。無意味に強い光によって視覚を奪われる。
ただ、そうなっているのは私だけらしく、涙を流したままの七菜も、集中力欠かさないロスタムも、目を細めたり光を遮ろうとしていない。
「カオル!」
気付けばライオンの爪が目前にあった。
「ッ」
ほぼ勢いと反射で急いで後ろに飛びのいた。
「あっ……!」
そこは空中。
「しまったっ……!」
そう口にしたときには遅かった。
着地点があると想定して飛ぶのと、ないと分かり飛ぶのでは、バランスをとるタイミングが違う。
(受け身を取らないと……!)
混乱する頭の中をどうにか冷静に保ちながら、どうするか考えていると、一際大きなライオンの呻き声が聞こえた。
「やばっ」
―――このまま飛びつかれる
しかし、ライオンはロスタムによって横から一撃をもらい、呻き声を上げ怯んだ。
その隙にロスタムはこちらに手を伸ばしてきた。
「カオル!」
「紀伊さん!?」
七菜の声、振り返れば強い光を放つハヤブサが真後ろにいた。
「え?」
心臓がドックンと高鳴った。
――― ヨミ カエレ
嫌な予感しかしない。
「ロスタム!!」
振り返っていた態勢を戻し、手を伸ばした。
「カオル」
手を掴まれた。
捕まえた、これで引き寄せられる、そう思っていた彼の安堵の顔が
赤く染まった。
カオルの目が大きく見開かれる。
「ッ」
「ぐあっ……」
ライオンがロスタムの手を伸ばした右腕に噛みついたのだ。
「ロスタム!? ロスタ……」
落下していくとともに、身体が光に包まれる。
一度はつかんだその手をもう一度求めるが、手がこちらを向くことはなかった。
「カオル―――!!」
世界が白に染まった。
何も見えない、何も掴めない。どうしてこうなったのかさえ理解できない。
体の重力がなくなったと思ったとたん、今度は体中が鈍い痛みに襲われた。
(水!?)
轟轟と唸る水の音。まるで、水の中にいるのかのように体の自由はなく、体温が奪われているような気がした。このまま連れて行かれる!?
カオルは必死にもがいた。手を伸ばしても、何も掴めない。
どんどん焦燥が酷くなる中、ずん……と頭が重くなった。体がまるで鉛になったのかのように酷く怠く、寒い。
いつの間にか世界は白から真っ黒に染まっていた。
「……ル」
声が聞こえた。水の音はもう聞こえない。
「ちゃん……!」
いつの間にか目を閉じていたのだろう。
「カオル!!」
目を開けると、眩しい光とともに懐かしい声が聞こえた。
驚いて勢いよく起き上がると、猛烈な頭痛に襲われた。
「っあ……ッ」
「急に動いちゃだめよ、ずっと眠っていたんだから」
ずっと、眠っていた?
カオルは痛む頭を抑え周りを見た。白い清潔そのものな部屋
「……病院?」
「そうよ」
手をずっと握っていたのは姉のアカリだった。
その横で立っているのは弟のタクロー。
「俺、父さんに連絡してくる」
「ついでに水買ってきなさい」
アカリの言葉に頷いて病室を去って行ったタクロー。
カオルは腕を見た。少し細くなった腕につながるチューブ、点滴の中では水が一滴一滴落ちていく。
「なんで……? いつから……?」
「は?」
アカリはカオルのおでこに手を当てた。温かい。そして柔らかい
懐かしい声、懐かしい匂い。
「アカリ……」
涙があふれた。
「いつから? 私、ずっとここにいたの?」
「うん、うん。落ち着いて。話してあげるから……ずっと寝ていたから、分からないことも多いでしょうね」
よしよしと頭を撫でられる。
「はぁ、はぁ」
心臓が痛い。声が掠れてる。水が欲しいかもしれない
「私」
カオルは滲む汗をぬぐうこともできず、つぶやいた。
「夢を見ていたの……?」
だとすれば、一体……いつから?
まさかの強制送還された紀伊さん。
このままロスタムと別れるのか
というか若干二名生きてるのか
さあいかに