一波乱あるようで
「なんか、騒がしいね」
朝目が覚めると、女官たちがわいわい話し合っていた。
部屋にいたカオルは服を着替え、膝の上に子鰐を乗せると、何故かスカートを噛みつかれた。……それはなんの表現? 甘えなの?
廊下を出る。
大体皆広い中庭に集まっていることが多いので、カオルはいつものようにそこに向かった。すると入り口入ってすぐに七菜が首を傾げているのが見えた。
「どうしたの」
「なんかあったみたい」
アリーが水辺近くに置かれた寝椅子に寝転んだ体制のまま果物を咀嚼しながら、質問に答えてくれた。
「宗教改革の名残ってことかな」
「名残?」
「アメンホテプ4世は、昔から信仰されていた太陽神アメンを押しのけ、民衆に自分が信仰していたアテン神を信仰するよう命令した……それだけでなく他の神々の祭祀をも停止させた」
「へえ」
七菜が相槌打ったが、興味なさそうに見えるのは何故だろう。若さゆえか?
そういえば、コノ子なんで『女神様』って呼ばれてるんだろう。記憶がないと不便でならない。
……まあ今更だけど。
「結局アメン神団の抵抗が激しく、最終的に失敗したけどね……で、アメン神に信仰を戻した今も、アテン神の信仰派の人たちが『王の意思、すなわち神の意志』って喚いてるって話」
「……アメンが? 今で、アテンが? 昔?」
名前まぎわらしくない?
結論をまとめれば、宗教的な問題ですれ違ってるってことかな。
「七菜ちゃん」
「何?」
カオルは七菜の腕を掴んで、ずっと気になっていたことを聞いた。
「私に話したいことあるって言ってなかった」
「あ」
忘れていたようだ。
あのように真剣な顔で話があると言っていた割には、そんな大事な話じゃなかったってこと?
「……」
「あ、……うん、なんかいざ話そうと思うと……緊張しちゃって」
「いや、忘れてただけだよね」
すごいな、即嘘ついたよコノコ。
「ほ、ほんとだってば!」
七菜をジト目で見つめていると、どこかにいたらしいイブンが険しい顔でこの部屋に入ってきた。
イブンがアリーの側までより、話しかけているのが見える。
アリーは果物を取ろうとした手を止め、こちらを見た。
「?」
「……通せ」
イブンは頭を下げてどこかへ行った。
「じゃあ、今から私の部屋にいこ!」
と言って、カオルの手を掴んで部屋に行こうとする七菜だったが、アリーに呼び止められた。
「いけ好かない坊やが来たってさ」
「?」
誰のこと?
七菜だけは変な顔をしながら「さすがにちょっとキモくない?」と言っていた。
だから、なんのことだ。
中庭で待っていると、イブンが二人を連れて入ってきた。
「あああ、お姉様ぁああああっ! よかっきゃあっ?!」
嬉しさのあまりこちらに抱きつこうと走り出した女性は、勢い余って服に躓き、水池に落ちた。
そんなに深くないはずなのに溺れている。
しかし、誰も助けに行かない。
「私、いったいどういう人だったの?」
「ですから、私に聞かないでください」
イルタに聞くがそっぽむかれた。
心優しいルシアが落ちた女性を助けようとして、一緒に落ちそうになったのをイブンが抱き上げた。
おお、落ちなくてよかったね。
「やあ、カオルさん」
「?」
優しそうな顔で微笑んでいる、どこか懐かしく、誰かを思い出させるのだが……誰だったか
そして、彼には何故か違和感を感じた。
「ねえ、えっと、サイードさんだったよね。あの人は来てないの?」
「兄さんも、もちろん来てたけど」
サイードは微笑んだ。
「どこかで落としてきたみたいだ」
にこやかな笑みで黒いこと言いますね。
三人で来たらしいが、一人は迷子になったらしい。
「アズラーさん、大丈夫?」
サイードがびしょびしょになった女性に声をかけた。
「あう、はい~。私ったらこんなところでもドジしちゃって恥ずかしいです」
アリーが女官に着替えを用意するよう言っている。
しかし、こんだけ人が出てきても、覚えていないものは覚えていないものだ。他人事みたいに言うが、記憶喪失ってすごいなあ。
「あのー」
カオルはサイードのほうを見ながら尋ねた。
「私、あなた方と、どういう関係だったんですか……お姉様って?」
「お姉様っていうのは、敬愛と憧れを持って私が勝手に呼ばせていただいてるだけなんです~」
あぁ、痛い人ね。了解
「僕は、アッシリア商人の家の息子でね、僕の家でカオルさんは働いていたんだよ。もちろん、今もね」
アッシリアってどこですか。
カオルは、首を傾げた。
「それで、何故ここに?」
「エジプトの商人さんから書簡が来まして、ほんとはマーシャさんが行く予定だったんですけど、無理になったので、私と……その、こちらの方々といくことになりまして」
「んん?」
アッシリアの商人で働いてて、エジプトの商人と知り合いで、アズラーに書簡が届いて?
わけが分からないよ。
「じゃ、カオルさん」
肩をぽんっと叩かれた。
「兄さん探しよろしく」
にっこり笑顔で言われた。
違和感。
なんだろう、この違和感。
というか
「いやいやいや、顔分からないし」
それ以前に色々気になるんだけど。私って結局なんなの!? 現代人が外国で商人やってんの? 普通の会社員だったはず。 なんで古代いるの? 帰れんの? 誰にも聞けずにいたけど……誰か教えて
「きっとカオルさんなら見つけれるから」
そういって優しく背を押すサイード、その行動は普通だけど、何故だろう違和感がある。
アリーに手を掴まれた。
「行きたくないよね」
にっこり微笑まれた。
「……」
カオルは少し悩んで、頷いた。
会いたくないとかじゃなくて、こんな混乱した頭の中のまま外に行きたくなかった。
外は死亡フラグがいっぱいだから……。
「でも、会わなくちゃ後悔するよ? いいの?」
サイードの声。
振り返れば、彼は微笑んでいる。
「会いたかったんじゃないのかな?」
「……あぁ」
カオルは理解した。違和感の正体。
「あなた、私が嫌いなんだ」
「……」
思わず口にした言葉だった。けれど、彼は驚いた様子もなく、そして否定も口にしなかった。
他の人は急に何をと言わんばかりの顔だったが、アリーは表情を変えず、見守っている。
「カオルさん、変わったね」
彼は笑みを消した。
「何も聞かず、何も見ず、何も残そうとしなかった……でも、愛されていた。誰よりも、家族に受け入れられ、求められていた。うちの家族だけじゃない、どこにいってもそう」
スカートを噛んでいた鰐がぽとり、とカオルの足元に落ちて池のほうに向かったが、結局戻ってきた。
「君は僕の理想だったのかもしれない」
「だから、嫌いか」
カオルはまっすぐ彼のほうに体を向けた。
「嫉妬といえば、そうかもしれない。でも、僕が君が嫌いだったのは……」
彼は口を閉ざし、にっこり微笑んだ。
「カオルさんが本当に欲しいものは何? カオルさんが、心から望んでいるものは?」
カオルは歩き出した。後ろでアリーが呼び止める声がしたが、足が止まらなかった。
私が望んでいるもの。私が欲しいモノ。私がすべてを捨ててもいいと、思ったもの。
それを取り戻しに……