歩み寄っているようで
バビロニアの商人の家にお世話になって、しばらくたったころ。
「ねーたん」
ラシードに懐かれました。
とたとたとたと、拙い足取りでかけてくる超少年。
「だっこ!」
「……」
カオルは無言で抱き上げた。
別に抱っこぐらいどうってことはない。ただ、両親が居るのに、わざわざ駆けて他人の私に抱っこを縋るのはどうだろう。
「あれやろー、あれやろー」
と言いながら人の背中叩くのはやめていただきたい。
カオルは両親のほうを見た。
「あれってなんですか? うちの子、ずっとあれっていってるのだけれど」
「えぇ、あれは……ですね」
上品に言われた。カオルは気を使いながらも『あれ』をやることにした。
部屋から布を持ってきた。そのカオルの両手には果物や壺や、置物や枕など……ラシードの奥さんはとても不思議そうな顔でカオルの手の中のものを黙って見つめている。
カオルはそれを床に置いて布をかぶせた。
「じゃあ、ラシードちゃん後ろ向いててね」
「ん!」
花瓶にいれられ咲いていた花をとって、布の中に入れた。
「はい、この布の中にあるのはなーんだ」
ラシードはきゃっきゃいいながら布の中に手を入れた。
「濡れてるー!」
「とれたてほやほやです」
ラシードの母親はカオルに耳打ちした。
「これは一体なんですか?」
「遊びですよ」
「……遊び?」
「そう、想像力を鍛えてくれるものです」
布で隠されたものを触れ、その感触だけでソレが何か当てる遊び。
「まあ、面白いのね」
「そうですね」
入れるのも楽しい。リアクションが豊かな子供ほど面白い。
しかし入れるものを考えなければいけない。ラシードと交代してやってみたが、入れられていたものが生魚で切なくなった。
「むかで?」
「違うよ」
そんな危ない物入れないよ。
「むし!」
「長い虫だねえ」
というか虫から離れようね。
答え分かっていても、言わない。そういうコミュニケーションもあるようだ。
「お花だ!」
「せーかーい」
布をとって答えを見せた。
当たったと喜ぶラシード。
「……ん?」
何やら聞きなれた声が聞こえてきた。
「たぶん部屋にいると思うわ」
「そうですか」
扉がノックされた。
ラシードが花をもって母親に抱きついた。
「……どうぞ」
扉が開かれた。
「あ……」
カオルは驚いた。
そこにいるのはシュルラットだった。
「シュルラット」
彼はいつもの様にクールに「よっ」と、手をあげて入ってきた。
「久しぶりだな」
「そうだね」
戦争に行ってしまってから会ってなかったから、けっこう長い
しかし、長いことあっていなかった割には、変わってない。
「ちっとも変ってない」
「私もそう思った」
「お邪魔みたいだから戻りますわ。どうもありがとう」
ラシードを抱き上げ、彼女はにっこり微笑んで部屋を出て行った。
二人きりになる空間。
「ハニシュに会ったか? あいつ今……」
「何故私がここにいると?」
会話を打ち切る様に問えば、彼の目がこちらを捉えた。
「馬さ。ロスタムの馬が見えた。俺も、よくこの国に来るほうだったからな」
カオルはシュルラットを見た。お互い目が合う。
「なんだ?」
「誰に頼まれてここに来たの?」
「さっきも言ったが馬が見えたからたまたまさ」
「たまたま、ね」
小さく微笑みながら、そっとカオルは壁にもたれかかった。
「『ロスタムの馬が見えた』」
カオルは彼の言った言葉を繰り返した。
「『たまたま』ここに来た」
「……何が言いたい?」
まっすぐに彼を見つめた。
「ロスタムの馬がここにいるから、ここに誰かが『いる』と考えるのは分かるよ」
まぁ、私は馬を見てもみんな一緒に見えて分からないけどね。
「でも、『私』がここにいるとは分からないんじゃない? ロスタムがここにいるかもしれないじゃないか」
「来る前にロスタムに会っていた」
「なら、ロスタムに聞いているんじゃないの? 私の『今』のこと。でも『たまたまここに来た』って言ったよね。その割には私がここにいることに何の疑問も持っていない顔だったね」
入った時の余裕の表情。私がここにいると、確信している顔だった。そして、なんてことはない世間話を始めた。
「何が言いたい?」
「私に何の用?」
シュルラットはにやっと笑った。
「さすがだな。警戒しているときのお前は鋭い」
「してないときは鈍いみたいな言い方だな」
「そうだろ?」
シュルラットはベットに座った。
「お前がここにいると分かったのは本当にたまたまだ。ここに来たのは」
「イナンナの命令。でしょ」
彼は頷いた。
「俺はロスタムと仲がいいし、理性的だからな」
「そんでもって『長いモノには巻かれろ精神だからな』byハニシュ」
ハニシュの名前を出すと、彼はあきれ顔でカオルを見た。
「失礼な」
「ま、確かに今、七菜と会っても話聞く気ないしね」
「聞くべきだ」
彼の冷静な言葉。
カオルは彼を見つめた。
「何を?」
「彼女の話だ」
「何度も聞いたよ」
この世界に居たい。けどいられない。私は還れ。ここに居てはいけない。
「じゃあ、このままこの世界にお前が留まれば死ぬというのも、聞いたか」
「……へえ」
彼は腕を組んでこちらを見ている。カオルは目を逸らし、空を見た。
秋空は澄んでいる。どこまでも広いこの空の下、生まれては死ぬのは当然の摂理。彼女のことだ、またどうせ話を盛っているのだろう。
「信じてないな」
「にわかにはね」
彼は至って真面目な顔を崩さず、何か悩むような顔をした後、分かった。と言った。
「なら、お前に友として忠告しておこう」
「忠告ね」
「お前も、冷静なようでいてロスタムと一緒だ。縛れば縛るほど頑固になっていく。その意志をもう少しゆるめて、広い心で聞いてやれ」
「ゆるめた結果、痛い目見てるんだけど」
「イナンナ様な」
彼は扉に向かって歩き出した。
「見れば分かるだろ?」
「何を?」
「彼女も不器用だ。言いたいことが言えない、肝心なことが伝えられない」
「経験あるの?」
扉の前に立った彼が、少しだけこちらに体を向け短く答えた。
「あるさ」
意外だ。
「……ロスタムには、お前の居場所言っておく」
それだけ言って、去って行った友の背を見送り、カオルは目を閉じた。
不器用。ね
彼女の言動はそれで済まされる範囲を超えている。
「けど……そうだな」
もう一度だけ、話を聞いてみてもいいかもしれない。
今度は、彼女の言いたいことだけ聞くのではなく、私の聞きたいことだけ聞く。
「……」
なんとなく、気を紛らわせたくなった。
「買い物にでもいこ」
外に出ることにした。
風が草木を攫って行く。その様子を見ながら歩いていると、食堂から追い出された女性が見えた。
「皿は割るし、飯作らしゃまずいし! クビだ! どこでもいきやがれ」
「そ、そんなあ! お願いします! これからの冬どうやって生きていけば」
「知らねえよ!」
扉を閉められ、肩を落とす女性。
下を向いてとぼとぼ歩き出すと、態度の悪いお兄さんらとぶつかり、もめているのが見える。
なんという不運な人だ。
「あ」
なにやら裏路地に連れて行かれそうになっているのが見える。
カオルは間に入った。
「ちょっとぶつかっただけでしょ。どこ連れて行く気?」
「なんだよ、お前」
「オバさんに用はないんだよ。失せろ」
カオルはめんどくさくなったので、女性の腕をつかんだ。
「いこ」
「あ、は、はい!」
「おい、誰が行っていいっつたよ」
掴まれた腕を、カオルは逆につかみ、投げ飛ばした。
ざわついたその隙に女の腕を掴み、走り出した。後ろで騒いでいる声が聞こえるが、聞こえないふり。
女性はひいひい言いながら走っている。彼女に合わせてすぐ姿消せるよう直線ではなく、曲がり角を利用し、逃げた。
「はあはあはあ」
無事、まけました。
「君、大丈夫」
「あ、はい……あの、ありがとうございます。ぜ、ぜひお名前を」
「カオルです」
「私アズラーっていいます」
「そう、じゃあ気を付けてね」
歩いて行こうとしたら、腕を掴まれた。
「カオルお姉様!」
お姉様……おえ?
カオルは変なものを見る目でアズラーを見た。
「ぜひアズラーって呼び捨てにしてください。私の家近くにあるんです。ぜひぜひ寄っていってください」
「え、いや。……結構です」
「そう言わずに!」
何この子怖い。
カオルは捕まった。
変な正義は変なことになってしまう。いいかげん学習しようと思ったカオルであった