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現代→古代  作者: 一理
バビロニアのようで
106/142

縺れたようで

回想の時は 『決めたようで』 の時の話

 アッシュルウバッリトの息子、エンリル・ニラリは急ぎ足で廊下を歩いていた。

 その後ろを一生懸命歩く女が必死な声を上げる。

「待ってよ! ねえー!」

 エンリル・ニラリは立ち止まると、女がぶつかってきた。

「急に止まらないでよ」

「五月蠅い女だ」

 小さくつぶやき、振り返った。

 涙目で鼻をさすっている少女は歳が離れた女を見下ろす。

 巷ではイナンナと言われ崇められている女ではあるが、王宮の者はみんな彼女の正体を知っている。

(ただの小娘が、我が物顔で王宮内をうろつくなど……)

 女は立ち止まってもらえたのが嬉しいのか、満面の笑みを見せた。

「あのね! もうムッ君が大人しく腕に乗るようになったんだよ! 見てて!」

 外のほうへ布の巻いた腕を差し出した。

「いでよ!」

 そう叫べば、バサバサと小鳥が飛んで行った。

「……」

 その鳥を追いかける様に大きな鳥が飛びだった。

 女神が「暇だ」とうるさかった故に送った鷹が、自由気ままに主の掛け声にも応えず空を飛びまわっている。

「おいで!」

 大きな声で叫ぶが、鷹は小鳥を追いかけるのに夢中だ。

 これ以上みていても無駄だろう。

「あ」

 さっさと歩き出すと服を掴まれた。

「待ってよ……ほんとなんだよ。乗るようになったんだよ」

 縋る様な目でこちらを見上げる。

 この目には弱い。

 たぶん、歳の離れた妹を思い出させるせいだろう。国の保身のため、好きでもない相手に嫁いで行った哀れな我が妹を……

「ふん」

 エンリルは七菜の持っていた旗を奪い、空に向かって振った。

 鷹がこちらに気が付いたらしく下降してきたのが見える。 

「ええ!?」

 七菜は驚いているが、そんなこともお構いなく、エンリルは七菜の腕を持ち上げた。

 ばさばさ

「わっ、わわ」

 鷹は差し出された七菜の腕に止まった。

「もうムッ君! もう少し言うこと聞かないとダメ。前なんて頭公衆の面前で人の上に魚落としてくれるし、私のことなんだって思ってるの?」

「……もう少し鷹の扱いに慣れてから、私に話しかけろ」

「あ、待ってよ! 話たいことがあるのに~」

 後ろで何か言いたそうな声をあげていたのが聞こえたが、兵士が迎えに上がったのを見て、引き下がったようだ。

 大体、なんなんだ。


 イナンナの神殿に急に現れ、女神だといいだし、この国の未来を語った女。

 しかし、結果それはアッシリア滅亡の危機に追いやっただけで、たしかにミタンニから独立はできたが、ヒッタイト借りを作ったことには変わりない。何が女神の恩恵だ、馬鹿馬鹿しい。

国王ちち国王ちちだ。あんなに激怒しておられたのに、独立した途端手のひらを返し小娘ナナの機嫌をとるなんて)

 その上、この私の妻に……などと

 立ち止まった。


 ―――『皇太子の事、好きです。王様がエンリルと結婚しろって言ったときは嬉しかった。けど、私ちゃんと分かってるから……』

 

 父に結婚のことを言われた後の、あの娘の言葉。

 あの縋る様な顔。

「……」

「どうかしましたか?」

「……いや、すまない。考え事をしたい、公務はまたあとでいいか」

 側近は顔をゆがめた。

「心配事でもございますか? 私でよろしければ」

「いやいい。少し散歩でもしてくる」

 城に居ては仕事につかまる。

 どこか考えがまとまる場所に行こう。

「……」

 人を避け、歩いた道。

 びっしゃーん。急に大雨になり雷が轟いた。

「……」

 やっと人気のない東屋を見つけ、椅子に座った途端の天気の悪さ。

 わが身を呪いたくなった。

「……はあ」

 雨の音がうるさすぎて、集中できない。

 それにやや肌寒い

(これもそれもあの女のせいだ)

 しかし、放っておけないのも事実だ。

 我ながら人が良すぎるのではないだろうか。王となる以上多少の冷酷さは必要なのではないだろうか

「……」

 少し眠たくなってきた。ゆっくり目を閉じると、眠気が一気に押し寄せてきた。


「……はっ」

 温かい感触に目を覚ました。

 外を見れば先ほどの大雨が嘘の様に晴れている。

「……」

 横を見れば見慣れぬ女が外を見ている。立ち上がるといつのまにか肩までかかっていた布団が落ちたのが視界に入った。

 その音でこちらに気付いたのか女は微笑んだ。

「おはようございます。もう夕方ですけど」

 少し聞き取り難い発音。この国の出身でないことが分かった。

 顔立ちも少々変わっているような気がする。

「誰だ」

「名乗るほどものではありません」

 手をすっと伸ばし、布団を回収した。

 わずかに女の髪が濡れているのが見えた。まさか雨の中眠っている自分を見つけわざわざ布団をとってきたというのだろうか。

 だとしたらお人好し過ぎる。

「私が誰かわかっているのか」

「え?」

 きょとん、とした顔でこちらを見ている。

 しかも、もぐりときた。

「いやいい。わざわざ布団をもってきたのか」

「ええ。風邪ひきそうだなーって」

「見知らぬ他人のために己を犠牲にするか」

「へ?」

 なんのことと言わんばかりの顔つきだ。

「……お前がイナンナを助けたという商人か」

「まあ、そんなとこです」

 相手がだれでも物おじせず話す女に少し興味がわいた。

「そうか、時間はあるか?」

「まあ、そうですね」

 布団を手に持ったまま座った。話し相手になってやろうというらしい。

 相手も知らず先に座った女に小さく笑いながら、エンリルも座った。

「女、お前はここが生まれではあるまい」

「ええ」

「どこの国から来た」

「……」

 女は黙った。

 その顔は思案の顔ではなかった。

(答える気もないが、誤魔化す気もない……といったところか)

 何を言うか、待ってみるか。

「……ここから遠いところです。名前を言っても、誰も知らないようなところ」

「ほう、興味深いな。どのような国だ」

「……」

 再び黙った。

 慎重に答えているのか、それとも、どのような国か考えているのか

「そうですね。どんな国でしょう。……この国は、あなたからみてどんな国ですか」

 今度はこちらが黙る番だった。

 まさかそんな返しが来るとは。

「外から見る国と、そこに住む人から見た国……見方によっては違いますよね。一言では言い表せない」

「だから、答えないと?」

「実際に見ないと分からない。ということですね」

「柔軟そうに見えて頭固いようだな」

 真顔でこちらを見ている。どうやら彼女にとってその言葉は心外だったようだ。

 つい可笑しくて笑った。

「そうだな。では、『外から来た』お前に尋ねよう」

 葉をつたうように雨水が地に落ちた。

「この国はどうだ」

「分かりません」

 即答。

 偽善的な言葉で褒めちぎるわけでもなく、政治的に冷静に見るわけでもなく、ただ即答であほのように「分かりません」と言ってのけた。

 その言葉は、先ほどの『実際に見ないと分からない』という言葉を、全くの無意味なものにしてしまっている。

(馬鹿にしているのか。それともアホなのか)

 驚いてみていると、彼女は小さく笑った。

「『アッシリア』は大きい国ですから」

 そういうことか

「ならばお前に質問したことが私の失態だったというわけか」

「そうですね」

 無礼な物言いにも、何故か腹は立たなかった。

「さてと」

 女は立ち上がった。

「えっと、私そろそろ部屋に戻りますね」

「……名前を聞いてもいいか」

「カオルです」

 不思議な音の名前。やはり他国の者だったのか。確信しながら頷いた。

「そうか」

 エンリルも立ち上がった。

「では、私も去ろう。さらばだカオル」

「あ、はい。……あぁ、一ついいですか?」

「なんだ?」

 カオルは頭を深々と下げた。

「不躾な態度、度重なる失礼な言葉……ご無礼をお許しください」

「……私が皇太子と気づいていたのか」

「……途中から」

 最初からではないというところでは、なかなか抜けている女らしい。

「ふっ、ははは」

 エンリルはカオルの肩を叩いた。

「面白い女だな。カオル」

「え? あ、そうですか……」

「私の名は、エンリル・ニラリ。覚えておけ」

 そういった時の、彼女の笑みを忘れられない。

 まっすぐに力強い瞳。慈愛に満ちた笑み。

「……」

「なんでいるの」

「ライオン倒したから」

「倒したの俺だろ」

「ただ刺しただけだろ。急所刺したのは俺だし」

「喧嘩しないの。お前らの脳天刺すよ」

 

 ……あの雨の日の次の日。宴の席で二人の男ともめているのを遠巻きに見つめた。イナンナは彼女と知り合いだったようだ。

 彼女は不思議と人を惹きつける力を持っているのだろうか

 ライオンに対峙した時、人々は彼女を助けようと暴徒になりかけた。

 今思えば、彼女はイナンナとは違った魅力があったのだろう。王宮にいるイナンナより、民衆のそばにいる彼女のほうが、明らかに慕われている。

 あの日から数週間たった今、不穏な動きに気付いた。

「イナンナ」

「あぁ、ごめんなさい皇太子。私今忙しいから後でいいかな?」

 あんなにも雛のように人の後ろをついて回っていた女神は、今は何かに忙しいらしい。

 それにあの商人の家に私兵を使い、何か脅しをかけているとも耳にした。何を企んでいるか知らぬが、これ以上の好き勝手は許さぬ。

「イナンナ。もしこれ以上あの商人の家にどうこうしようというのなら、私は貴様と真っ向から対抗する」

 早足だった彼女の足は止まり、こちらを見た。彼女の……女神の見開いた瞳と目が合う。

 計算外だと小さくつぶやいたのが聞こえた。

「どうして……? なんのために? どうして邪魔するの?」

「お前にこれ以上権力を振るわせたくないだけだ」

「ッ! 私のこと、気に食わないだけでしょ!?」

 あの女の笑みが、脳裏に浮かび上がった。


「お前は、助けてくれた者の笑みを奪うのか」

「!」

 女神は黙った。

 そして、口を開いた。

「奪うことになっても……死ぬよりはいいもん」

 眉をひそめた。

「どういうことだ……?」

「放っておいてよ!」

 女神は走り去った。

 死ぬ? だれが?

 謎の言葉を胸に落としながら、エンリルは兵を退かす命令を出す為歩き出した。

「しょせん、小娘の戯言」

 そう思いたい。

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