四 結成の章
《結成の章》
慶応3年4月(1867年5月)
土佐藩邸より龍馬と共に脱藩罪を放免された。
薩摩と長州を結びつけ勢いに乗っていた慎太郎は、次いで薩摩と土佐も同じように同盟を組ませることはできないだろうかと考えていた。
そして、薩摩・土佐・京都・長州を忙しく飛び回り、殆んど太宰府へ帰らなくなっていた。
翌月、重要人物の集められた京都の会合に出席した後、行きつけの酒場に寄った。
一度ふらりと立ち寄り、特に気に入った訳でもないが、その後も店に入るのが習慣になってしまった。
運ばれた酒をぼんやりと眺める。
個室ではないため周囲が騒がしい。
それでも考えごとをする慎太郎の耳には入らない。
不意に銚子(ちょうし/酒の入った器)に手をかけた。
空だった。
飲んでいないのに空ということは、最初から入ってなかったのだ。
「ねえ、君!」
慎太郎は忙しく店内を行ったり来たりする若い女に声をかけた。
女が彼の方を向く。
彼は自分の銚子を指して目で訴えた。
すると彼女は悪びれた様子もなく言う。
「お客さん、毎度飲まへんさかい、いれへんのかと思いまして」
「よお見ちゅうね…」
「もしかして土佐のお人?」
慎太郎は「しまった」というように口を手で押さえたが遅かった。
自分の身の上を他人に知られるのが、なんとなく嫌だった。
彼女が慎太郎の正面に座る。
「ウチ、実歌。お客さんは?」
「中岡…」
振り回されているな、と感じつつ名乗ると、実歌の顔から笑みがスッと消えた。
「中岡って…もしかして大庄屋の?」
「生家は、ね。オレはただの脱藩浪人ちや」
「へぇ、立派なお家柄なんえな」
実歌の表情が再び明るくなった。
慎太郎の心中は複雑だった。
脱藩を許されたとは言え、その実家を捨てた身だからだ。
「家柄は関係ないよ。
今日乏しいと思える物が明日にゃ貴重な物になっちゅうかも知れん。また逆も然り。何をもって立派ながかは人の考え方しだいちや」
今の自分があるのは家柄のおかげではなく功績である。
自分の実力で様々なことを成し遂げた。これからもそうでありたい。
彼は、そう信じていた。
一旦奥へ引っ込んだ実歌が焼飯(焼きおにぎり)を持って現れた。
それを慎太郎の前に置く。
「お詫び。ウチ、これやけは自信おますの」
慎太郎は朝から何枚も手紙を書いていた。
薩摩と土佐を結びつける目的のための重要人物へ宛てた物だった。
一息つこうと庭に出る。
雑草が生えているのが目についた。
気にしないようにしたが、一度気になり始めたら手を出さずにはいられない性分だった。
おもむろに草をむしり始めた。
土と草の匂いを指で感じ、慎太郎は昔を思い出した。
まだ十代で実家暮らしをしていた頃、親の仕事の影響で農民の苦労を目の当たりにしていた。
自ら田や畑仕事をし、植林や果物の栽培などをしていた。
全身を砂埃まみれにして帰路に着く。
庭の水場で手足を洗ってから家に入る。
父・小傳次は、そんな慎太郎に不満しか言わなかった。
── また農家の真似事をしよったがか。おまえが村人のために動く必要はない。
── 崖で遊んじゅう。
── 遊ぶ暇があったら勉強をしやーせんか!
台所仕事をしていた母・ハツが部屋に来た。
── 慎太郎さん、お帰っちょき。じき夕食にするきね。
── ありがとうございます。
ハツは女中のように小傳次に使われていた。
慎太郎は幼い頃から厳しく躾られた。
脱藩を決意するまでは、そんな小傳次の言いなりだった。
秩序を守るため、自分の信念を通すためには上から重圧をかけなければならない場合もある。
血を見る時もある。
慎太郎はそのことを幼い頃から自然と学んでいた。
当時は村人のために奔走していた。
慎太郎は昔も今も本当は人のために動くのが好きだった。
同年6月22日
京都三本木の料亭で、薩摩藩の西郷隆盛・小松帯刀・大久保利通、
土佐藩の後藤象二郎・寺村左膳・真辺栄三郎・福岡孝悌が会合し、「薩土盟約」が決定した。
その会合には慎太郎と龍馬も同席した。
薩摩側は慎太郎の推進する倒幕路線を、土佐側は龍馬の推進する大政奉還論を、それぞれ目指していた。
食い違う理論の中、西郷が一応「大政奉還」を承諾するという形で終結した。
しかし、それは慎太郎の思惑に反することだった。
彼はどうしても武力で幕府を倒したかった。
斬首された同志23名の仇を討つために。
料亭を後にし、慎太郎と龍馬は茶屋でひと休みした。
そこで慎太郎がはっきりと言った。
「先月、西郷殿を土佐藩士の板垣退助氏と引き合わせた。その時は武力倒幕で話しがついた。西郷殿はしょっちゅう意見が変わるきあてにならん」
龍馬は反論しなかった。
ただ黙って慎太郎の主張を聞いていた。
「オレはオレのやり方でこれからも進むつもりやき」
そして、龍馬を残し茶屋を後にした。
そんな彼の後ろ姿を、龍馬は切なそうに見送った。
「オレらわかり合えないがかぇ?」
慎太郎は、自身が集結した脱藩志士たちを兵士として教育するために、具体的に組織化した「陸援隊」を結成し、自ら隊長となる。
そして7月、京都白川土佐藩邸を「陸援隊」の本拠地(基地)とした。
脱藩志士総員77名の軍隊である。
この頃、倒幕について彼なりの考えで著した「時勢論」を隊員全員に配った。
雨が降りそうな空模様だった。
慎太郎は京都白川土佐藩邸を門の外から眺めていた。
すると通りを龍馬が呑気な顔をして歩いて来るのが見えた。
「龍馬さん! ばっちりえい所に…」
慎太郎は龍馬の腕を引いて敷地内に入った。
「な、なんちや、慎太」
「えいもん見せてあげるき」
慎太郎の声が弾んでいた。
彼が案内したのは大きな倉だった。
重い扉を開けると、龍馬は息を飲んだ。
そこには、ありとあらゆる武器が並んでいたのだ。
中には龍馬が長州のために用意した銃器もある。
慎太郎は腕を組み倉内を見渡した。
「このとおり武器はそろった。兵士の数も増えた。あとは幕府を討つだけちや。オレはこの国からいらんもんを廃除する! 誰が生き残るかはオレが決める」
龍馬は内心焦っていた。
彼はこの時、幕府を残した状態での平和思想を掲げていたからだ。
このままでは、いずれ慎太郎が戦争を起こす。
彼が自分の命を投げ出すつもりなのは明らかだった。
── 急がなければ…。
「どうしたが?」
慎太郎の声で龍馬は我に還った。
「え…」
「ぼんやりしゆうき」
「あ、いや…たまげたが」
「そうやお、たまげたろ?」
仁王立ちで自身満々な慎太郎の頭を、龍馬がポンポンと叩いた。
「おまえ こんまいがに(小さいのに)、よお頑張ったのぅ」
「背丈は関係ないろう! 先にアンタに奇襲かけるぞ」
「酒を用意して待っちゅうよ」
突風が吹いた。
雨がパラパラ降りだした。
「中に入ろうか」
慎太郎がそう声をかけたが龍馬は背を向けた。
「用事があるき!」
彼の後ろ姿を眺めて、慎太郎は首をかしげた。
「あい人、なにしに来たんだ?」
懐かしいと感じると同時に、もうあの頃には還れない寂しさもあった。
慎太郎は、子供の頃に塾へ通うのによく歩いていた山道を再び踏んでいた。
少し先に生家がある。
そこで彼は踏み止まった。
今さら、どんな顔をして両親や妻に会えば良いのか。
暫く立ちすくみ引き返そうとした時に、懐かしい声に呼び止められた。
「慎太郎様…?」
振り返ると、出かけ先から帰って来た様子の母のハツと妻・兼が驚いた表情で慎太郎を見つめていた。
慎太郎はその場から逃げ出したい衝動を堪え、とりあえず一礼した。
「お義母様、慎太郎様ですよ」
兼が歓喜の声を上げるも、ハツは言葉が出なかった。
「お母さん、只今戻っちゅう」
「あ…、慎太郎さん、お帰っちょき」
ハツの優しい笑みは昔のままだった。
嫌がるもムリヤリ家に上げさせられる。
父の小傳次の部屋の前で丁寧に正座し、呼吸を調えてから声をかけた。
「お父さん、慎太郎です。只今戻っちゅう」
返事がなかった。
慎太郎は障子を少しだけ開け中の様子をうかがった。
小傳次は背を向け読物をしているようだった。
とがめられるのは覚悟していた。
「今は何をしゆうが?」
思ってもいなかった言葉と穏やかな声に、慎太郎は拍子抜けた。
「長州藩の下で志士活動を…」
「男が産まれ跡継ぎにと喜んだがに、おまえとゆう奴は勉学と畑仕事に夢中で家に寄りつかのうなった。
嫁でも与えればいき来るかと思えば家を出やがった。この親不孝もんが」
そんな小言も、今の慎太郎にはなぜか心地よかった。
翌日、朝食の後に慎太郎は身支度を整えた。
「もっと、ゆっくりできないのですか?」
兼が寂しがるも、慎太郎ははっきりと言った。
「まだ、やることが残っちゅうき」
幕府を倒す。その最後の使命。
「全てが済んじょき戻るよ。オレは長男やき家業を継がのうてはならんき…」
そして慎太郎は兼をしっかりと抱きしめた。
愛せなかったはずの自分の妻を、初めて愛しいと感じた。
お龍の言葉が慎太郎の気持ちを動かした。
── たや自分より夢中になれる対象が他におしたのだと、そない理解したはるやけです
それまでの慎太郎は自分の気持ちを優先するだけで、相手の気持ちや立場を考えていなかった。




