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三 恋慕の章

《恋慕の章》



「薩長同盟」結実から2日後、龍馬が京都伏見の寺田屋にて襲撃される。


その話を聞いた慎太郎は、すぐさま龍馬がかくまわれている藩邸に駆けつけた。


両手を負傷しているものの元気そうな姿を見て、ひとまず安心した。


「たまげたぞ。斬られたと聞いたき…」


「頼みがあるがで」


座ろうとした時に龍馬に頭を下げられ、慎太郎は中腰の状態で止まった。


「着いたばかりの人間に、頼みとは?」


「わかった、座れ」


そして隣のお龍に声をかける。


「慎太にお茶を出せ」


「アタシが?」


「お龍さん、お構いのう」


慎太郎が建前としてそう言うと、龍馬は不思議そうな顔をした。


「いらんが?」


「一度目は断るのが礼儀ろう」


「飲むがか飲まないがか、はっきりしろ」


そんな2人のやり取りを見て、お龍はクスクス笑いながら席を外した。


そして龍馬が改まったような低い声で言った。


「お龍をしばらくあずかって欲しい」


「は?」


「寺田屋に帰すのも心配だし、ここに居っても不便させるき」


慎太郎は眉をひそめて、言葉をにごらせた。


「オレはえいけど、皆がなんとゆうか…。男所帯やきのぅ」


「お龍なら大丈夫ちや」


龍馬はケラケラと笑い、包帯だらけの指で慎太郎の眉間(みけん)を軽く突いた。


「どうした。苦虫かみ潰したような顔して」




「中岡先生! あの女、どうにかしてください」


書き物をしていた慎太郎の所へ、隊士の1人が飛び込んで来た。


龍馬からお龍を与った後、慎太郎はとりあえず彼女を宿舎に連れて来た。


脱藩志士たちの生活の拠点である寮のような場所だった。


慎太郎は(うなが)されて部屋を出る。


廊下までお龍の声が響いていた。


「どうしたが?」


慎太郎が声をかけると、お龍が再び声を張り上げた。


「アタシは女中やへん! 台所仕事は自分でやれとゆうただけや」


「ただ飯食ってないで仕事しろと言っただけだろ!」


慎太郎はオロオロするしかなかった。


その内に隊士の1人がぼやいた。


「まったく…、坂本殿もこんな女押しつけて…」


「龍馬さんを悪くゆうな! オレの盟友だぞ」


慎太郎が一喝すると、騒ぎが一瞬にして収まった。


それよりも彼には気になることがあった。


そして彼はお龍を連れて外へ出た。



慎太郎が向かった先は、呉服問屋だった。


ためらいなく店に入る。


「御主人! 絹で明るい色で、こい人に似合いそうな布を見せとおせ」


「ハイ、只今」


店の主人が奥へ引っ込み、お龍は慌てた。


「そんな…、困ります!」


「遠慮しのうてえいよ。

前から思っちょったがけれど、君はいつも地味な着物を着ちゅうよね。よけいなお世話やけど、せっかく綺麗な顔立ちをしゆうのにもったいないき」


「ほんまに困ります。アタシが龍馬に怒できます」


思ってもいなかった返答に、慎太郎は首をかしげた。


お龍はフウッと息を吐き、遠くを見つめた。


「アタシが綺麗な着物を着ると、あの人、機嫌が悪くなるんよ。

おまえはいつでも地味な姿をしていればええ、人が集まる場所でどこにいてるかわからへんくらい目立たなくしていればええと。けったいなことを言うて…」


慎太郎が声を上げて笑いだした。


「中岡さん、なんで笑いはるん?」


「ごめん、ごめん、あい人にも可愛いところがあるなって」


「可愛い? 龍馬が?」


慎太郎はお龍に気さくな笑顔を向けた。


「でも、まぁ、オレじゃったら連れて歩く女にゃ綺麗でいて欲しいけどな」




結局、慎太郎は何も買わずに呉服問屋を後にした。


帰り道を少し遠回りして緩やかな山道を行った。


彼は、川を見たり木を見たりしながら歩くのが好きだった。


「この辺りは春になると花がたくさん咲くちや」


春の景色を思い浮かべながら目を閉じた。


「いつか…心に決めた女を連れて来たうて…」


言った直後に、自分の後ろを歩くお龍が「女」だということに気がついた。


「あっ…、そういう意味じゃのうて…、そのっ、ごめん」


「え、なんですか?」


お龍は足場の悪い山道を歩くので精一杯で聞いていなかった。


変な誤解を招かず安心したと同時に、気が回らなかった自分を反省した。


「ごめん。女にゃ厳しい道じゃったね。オレ、女との接し方がわからのうて…」


「ほんまに龍馬と正反対ねんね」


「なにが?」


「龍馬は山やて谷やてアタシの手を引いてグイグイと先に進みますさかい」


そしてお龍は先ほどの慎太郎の「女との接し方がわからない」という言葉を拾った。


「中岡さんには、ええ人いーひんのですか?」


「え、いや、ほりゃあ…」


慎太郎は本気で困ったように視線を泳がせた。


お龍が慌てて頭を下げる。


「ごめんなさい。けったいなことを聞いてしもて。忘れてください」


「そうじゃのうて…、オレ結婚しゆうよ?」


お龍は驚いて顔を上げた。


「意外かぇ?」


「いえ、奥様は…」


聞いてみたいような、聞いてはいけないような、複雑な心境がお龍の声に表れていた。


慎太郎は川の流れを見つめながら細々と語り始めた。


「オレがまだ二十歳(ハタチ)の頃に、親の決めた相手と。相手はまだ十五で子供じゃった。

理由はなんであれ夫婦(めおと)になった以上は自分の妻を愛そうと努力した。けんど駄目じゃった。そしてオレは脱藩して、親も妻も捨てて周防国に逃げて来たが。ひどい男やお?」


「ひどく、あらしまへん」


お龍は静かに、しかしはっきりと言った。


「親に押しつけられた自分などを愛そうと努力をした夫を、ひどいと感じる女はいまへん。

奥様は、中岡さんに捨てられたとは思っとりません。たや自分より夢中になれる対象が他におしたのだと、そない理解したはるやけです」


「なんで君にわかるが?」


「アタシが女さかいに」




夜、慎太郎は部屋で1人書き物をしていた。


そろそろ床に就こうかと考えた時、突然お龍が部屋に入って来た。


「中岡さ〜ん。一緒に飲みまへんかぁ?」


呂律(ろれつ)が回ってない。そうとう飲んでいる様子だ。


「あのね、お龍さん、オレはや寝るき…」


お龍は慎太郎の言葉を無視して、手に持っていた酒をドカッと置いて慎太郎にもたれる形で座った。


慎太郎はさりげなく離れ、酒をそーっと端へ寄せた。


「中岡さん!」


「はいっ、なんですか」


なぜか敬語になる。


「アタシの妾になっておくれやす」


「支離滅裂やき」


「やっぱり奥様を裏切れまへんか? 形やけの夫婦やとしても」


酔っぱらいの言うことだからと適当にあしらっていたが、自分の妻の話しが出て冷静になった。


「ちがうよ。君が龍馬さんの奥さんやき」


そしてクスクスと愛想笑いする。


「オレだって男やき君みたいな綺麗な女に好意をもたれたち嬉しいよ。けんど…」


視線を壁に外し、彼はゆっくりと言葉をつづった。


「友だちを裏切ることは、たったが一度も許されん。君は龍馬さんとひとつになった。オレはどちらも失いたくない」


視線をお龍に戻した。


お龍はクスッと笑った。


「振られたんは初めてどす」


彼女の瞳から涙が溢れた。


「アタシを龍馬の許に返しておくれやす。これ以上、中岡さんの優しさに触れる前に…」



そして手を付き頭を深く下げた。


「お頼みます! アタシ、龍馬の側に居たい…」



翌朝、慎太郎はお龍を龍馬が(かくま)われている藩邸へ連れて行った。


すると龍馬が平謝りした。


「悪ぃ、慎太! まっことスマン!」


「なにを謝っちゅう?」


「お龍がなにかしたんやお? さすがのおまえでも手に負えんかったか…。こいつは美人だけが取り柄のお転婆やき」


「ひどい言いぐさやな!」


お龍がピシャリと言い払った。


「アタシが中岡さんに、龍馬の側に居たいて頼んだんや。な?」


お龍が目配せする。


慎太郎は激しく首を縦に降った。


龍馬は、ふうっと息を吐いた。


「一晩で返されるらぁて記録更新じゃ」




空を見上げた。


風は冷たいが澄みきった青空が広がっている。


慎太郎は何気なく中庭へ回った。


何も考えたくない時、視界に何も入れたくない時、彼はよく空をぼんやりと眺めた。


「なんだ、まだ居たのかえ」


通りかかった龍馬に声をかけられた。


「ごめん。はや帰るき」


「ちっくと待て」


龍馬は懐から蜜柑(みかん)と短剣を取り出し、その蜜柑を半分にした。


そうして片方を慎太郎に差し出す。


「半分個ちや」




出逢って間もない頃を思い出した。


お互いまだ二十代前半で土佐藩邸に招集された時だ。


真面目で秩序を大切にする慎太郎は、自由 奔放(ほんぽう)な龍馬が苦手だった。


龍馬が柿を短刀で半分にして、ひとつを慎太郎に差し出した。


── 半分個ちや。


誰かと物を共有したことがなかった慎太郎は、龍馬の行動が理解できなかった。


── ほがなことをしたら、あなたの分が減るがでよ。


そんな慎太郎の言葉に、龍馬は真剣な表情で返した。


── えいよ。友達やき。


その時、慎太郎は「友達になった覚えはありません」と突っぱねた。




そしてまた、今度は蜜柑を半分にする。


龍馬は何も変わってなかった。



慎太郎は、半分にされた蜜柑の両方を取り切れ目を合わせ、にっこりと笑った。


「ふたつでひとつやき。オレは両方欲しいが」


龍馬は本気で驚いた。


「欲張りな奴じゃ!」


「今ごろ気がついたかえ」




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