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後編

 ドラーフ家での新たな生活はマリアにとって新鮮な日々だった。


 朝と夕は会食や夜会などがなければ家族全員で摂るのだが、その時には今日の出来事を話し合う。商会の売り上げや新製品の開発状況はもちろん、茶会に参加した際に見聞きした各家の会話の応酬、平民街で仕入れた噂話、各地の作物の収穫状況、果ては商会の従業員の色恋沙汰まで。その日手に入れた情報を一から十まで共有するのだ。

 グレイ家では貴族向けに発行されている新聞の記事が会話の中心で、他はせいぜいが付き合いのある近隣の領地の近況や茶会や夜会の出席に関する話題が混じる程度だ。食後に父が退席したあと母と妹が流行してるドレスや紅茶を話し合うことはあれど、ドラーフ家のように話題の幅は広くない。

 父は噂話という不安定な情報を面白おかしく話題に出すことを嫌がったし、そんなものに踊らされて落ち着きなく騒めく者たちを貴族として恥ずべきものと蔑んでいた。

 グレイ伯爵にとって貴族とは伝統を重んじ、精査された確かな情報や商品を取り入れて堅実な領地経営を行う。そういう存在だった。

 だからこんなにも賑やかで情報の溢れる食事の席はマリアにとって驚きでいっぱいで、最初の頃は食事を口にするタイミングがわからず手を止めて話を聞き入ってみんなから笑われたものである。


 また、ステラ商会の経営や新作開発について意見を求められることも衝撃だった。

 グレイ家で領主の勉強をするときに求められていたのは、父の望む通りの手順で従来通りの差配をすることだった。作物の種付けの時期、収穫の方法、ピアズ領での通商に課す税率、他領との交渉の目処。父や歴代の当主たちが順当に行ってきた領地の運営をそのまま引き継ぎ安定した管理をすることが正しい領主の在り方と教わり続けた。そこにマリアの意思は求められず、反論は認められなかった。

 けれどドラーフ家ではどんな些細な考えでも口にすることを好まれた。商会の経営など畑違いの分野だったから最初は疑問や意見があっても口にすることを憚ったが、ドラーフ家の人たちはそんなマリアの小さな表情の変化も見逃さず、発言することを望んだ。全く見当違いの意見でも馬鹿にすることは決してなかったし、ちょっとしたアイデアも有用であればすぐ取り入れてくれた。


 不出来と言われ続けたマリアは、こんなにも認められ発言を求められることはなかった。

 まるで自分が認められたようで誇らしかった。

 そう、だから。

 つい図にのって、父たちの助言も忘れて、喋りすぎてしまったのだ。 


 


「あれ、この魔術式。今までのと違うね」

「……ああ」


 保管箱に刻印された魔術陣を見てジョナサンが声をあげる。

 同じ部屋で作業していたマリアが顔を上げると、それが己が製作した魔術陣であるのが視界に入る。

 数日前にステラ商会の技術部門の承認を得て使用し始めた改良型の保冷箱だった。

 

「元来の術式は手順が多くて扱いづらくて、少し省略してみたんです。カナルディの定理のところを崩すのに時間がかかってしまって、この間ようやく実用化しても問題ない程度までブラッシュアップ、できた、ので……」


 はじめは弾んでいた声がだんだんと小さくなっていく。身体中の血の気が引いていく音が聞こえた気がした。

 

 やってしまった。

 また長々と、つまらない成果を口にしてしまった。マリアは自省する。

 頭が真っ白になって、言い訳も謝罪も何一つ口にできなくなる。背筋に冷たい汗が流れていくのを他人事のように感じていた。

 両親にもマイクにも、大したことでもない苦労をひけらかすのは止めろと言われていたのに。完成まで時間を要したのだって、自身の要領が悪いせいだというのに。

 ジョナサンはこんな自己主張の強い女に呆れてしまっただろうか。この優しい夫にもかつての両親たちのような冷たい目で見られたら、マリアはもう立ち直れない。目が熱くなる。


 恥入るように俯き肩を丸めるマリアにの耳に、けれど届いたのは呆れでなく感嘆の色の強い声だった。


「え! この魔術式マリアが考えたの!?」

「ええ…はい」

「それ、一年前に発行された学術誌に記載された最新の略式魔術とほぼ一緒なんだよね。細部が微妙に違うけど」


 ほら、とジョナサンが見せてくれた書籍には、なるほど確かにマリアの作製した魔術式とよく似た術式が記載されていた。すでに発表された術式、という言葉にマリアは唇を噛み締める。

 マリアが熟せる程度の努力なんて所詮は愚者の悪あがき。他の人がとっくの昔に通り過ぎた轍の上を気付きもしないまま後追いしているにすぎない。それをさも前人未到の偉業を成し遂げたかのように成果をひけらかしているのだ。


 なんと惨めで矮小な存在なのだろう。

 今すぐ消えてなくなりたい気持ちをどう抑え込んで良いのかわからず、ただただ俯いて夫の言葉を待つ。口の中に錆の味が広がっていった。


「……マリア、何を落ち込んでるの?」

「……すでに考案されていたのも知らず頑張って改良できたつもりでいたなど、浅慮が過ぎたな、と……」

「何言ってるのさ。学者様が何年もかけて考えた魔術式を、学徒でもない君が一人で解析して考えたんだよ? それって凄いことじゃないか!」

「……凄いん、でしょうか?」

「あたりまえでしょう? 人が作ったものを真似するのは簡単だけど、自分で一から考えて形にするのはとても難しいことだよ。それをマリアは時間をかけてでも一人で成し遂げたんだ。十分素晴らしいことだと僕は思うよ」


 マリアの冷えた指先をそっとジョナサンが包み込む。

 繋いだ指先から少しずつ温もりが移り、腕を伝ってやがて心臓までもを熱く焦がしていく。

 

「君は自分で言うように確かにあまり要領はよくないかもしれないけどさ、時間をかけてでも自分の頭で整理して考えてゼロから何かを作り出すって、普通じゃなかなかできないことをやってのけたんだ! 今回の魔術式の話だけじゃない。君はうちに来た時からずっとずっと頑張ってきてくれた。伯爵家の跡取り娘だった君にはわからないことだらけだったはずなのに、勤勉に学び働き今やこの商会になくてはならないほどまで成長した!」


 ジョナサンの笑顔が歪んでやがて見えなくなる。

 頬を、ジョナサンの手と同じくらい温かいものが伝っていった。


「誇っていい、マリア。君は努力の人だ」


 ついに堪えきれなくなった声が一度漏れたら、あとはもう幼子のように泣くことしかできなかった。


 


 誰にも認められずとも、マリアは努力を怠らない人間だった。

 貴族というより商家という側面の強いドラーフ家において、マリアに求められる働きはかつて学んでいた領地経営に関する知識とはまた異なる、全く畑違いの分野だった。それでもわからないことがあれば頭を下げて積極的に尋ね、本や雑誌、商会員や取引相手の話に耳を傾けた。時にはドラーフ家所有する王都の商店にこっそりと出入りして、店を利用してくれている客の表情や言動をつぶさに観察した。

 貴族女性でありながら汗を流し労働するマリアを嘲笑う者も多かったが、彼女はただひたすら知識と情報を蓄え、それをドラーフ家に還元していった。

 ジョナサンが褒めてくれた“考える”という行為を、決して止めることはなかった。

 やがてマリアの努力は実を結び、次第に頭角を表していく。


「奥方様が考案された香水の瓶。あれに変えてから売り上げが31%も上がりましたよ!おっしゃっていた通り中産階級の婦女子にも興味を持ってもらえたようです」

「以前話してくれたサーリムの花。あれを加えて染色した絹、予想以上に綺麗に染め上がったよ。まだムラが出るから配合率については改良の余地はあるけど、原料はあれで決まりだってさ!」

「マリア様が茶葉の劣化を抑える魔術式を考えてくださったおかげで、今まで困難だった国の紅茶も仕入れることが出来ました。まだ知名度がないので身内に配るだけですが、とても好評ですのですぐに商品としても人気が出ることでしょう!」

「マリアさんが教えてくれたおかげで、手土産に持っていったあのお菓子、とても喜ばれたわ。夜会でも使いたいからと予約までいただいたのよ。本当にありがとう」


 気付けばマリアは、ドラーフ家の一員としてなくてはならない存在となっていた。





 

 それから数年の時が経ち、二人の間に子どもが産まれた頃。グレイ伯爵家より、孫の顔を見せにくるようにと手紙が届いた。

 結婚式に参列してから、養蜂関連で取引がある以外は全く接点のなくなっていた実家からの催促に、マリアは喜ぶより訝しんだ。


「実家はないものと思えと言ってきたのはあちらですのに……」


 あのグレイ家が、嫁いだ娘に子が生まれたからといって手放しで祝福してくれるとは思えない。

 それでも表向き孫の顔が見たいという妻の実家の願いを無碍にするわけにもいかず、マリアの体調が回復した頃を見計らって夫婦揃ってグレイ家を訪問することにした。


 数年ぶりに訪れた伯爵家の屋敷は、明らかに寂れていた。

 かつて壮麗さを以て来客たちを出迎えていたカントリーハウスは、玄関こそその威厳を保ち続けていたけれど、庭の隅に視線をやれば手入れを怠り不格好になった花壇や砂埃で汚れたレンガが目につく。

 働くものたちの表情も暗く、皆草臥れた顔をしている。一目でわかるほどに人数が減っていて、屋敷を維持するには人手が足りないのだろう、パタパタと裏を走り回る音がホールまで響いていた。

 かつては屋敷を華々しく彩った美術品は手入れが行き届かず埃がかかり、すでに売られて歪な日焼け跡がかつての面影を残すだけの箇所もあった。


「久しぶりだな…」


 乗り越えるイメージすら想像できないほど大きかった父の背も、今では丸くなり思いの外小さくなったようである。

 会わなくなってほんの数年とは思えないほど母のシワは増え、白髪も目立つため実年齢よりも老けて見えてしまう。

 結婚式では美しく幸せに輝いていたアンナとマイクも、同じ人物とは思えないほど疲れ果て形相が異なっていた。

 一つ年上であるマリアより年上に見えるアンナはマリアから目を逸らして、裾がほつれ色褪せた流行遅れのドレスの端を強く握りしめて離さなかった。あれほど愛していると笑い合っていたマイクとは、微妙な距離をとっている。

 マイクも気不味そうに視線を泳がせていたが、グレイ家の誰もが口を閉ざし何の話題を出さないのを悟ると諦めたように口火を切る。


「元気そうで何よりだよ、マリア。その子がジェームズかい?君に似て可愛い子だね。……ところで相談があるのだけど」


 彼は挨拶もそこそこに、金の無心を始めた。



 ピアズ領の特産である養蜂事業が右肩下がりらしい。

 ピアズ領ではかつてから養蜂業を生業とする農家とその加工をする工房を手厚く保護し、蜂蜜酒の生産や、蜜蝋を利用した美容品、蝋燭の販売などを行っていた。一時は時の王妃に愛され王室御用達の看板を掲げるほどの人気を誇っていたという。

 けれど父の代では無謀な投資による損失を厭い、新製品の着手などはあまり行われていなかったように思う。茶会での評価や流行を参考に商品の改良をマリアが提案した時も、王族に愛用された逸品に手を加えるなど不遜甚だしいと怒られた記憶がある。

 良いものは時代を問わず愛される。それも確かだが、流行は常に移ろい続けることもまた事実である。

 中身はおろか、パッケージも販路も変えずに提供され続けた商品たちは、やがて人々に飽きられ忘れ去られていった。もちろん売り上げも減少し、また商品の改良を認めてくれない頑固な領主に嫌気がさして職人たちが離散していったことも収益の減少につながっていった。

 そのため2年前の不作の際に出た負債を返済しきれず、税収だけでなく伯爵家の資産を削ってなんとかやりくりしているのが現状のようだ。


 そういえばピアズ領からの蜜蝋の取引価格の値上げ交渉があったなとマリアは思い返す。

 嫁いだ娘のことなど考えてくれないのだなと少し傷付いた覚えがあるが、切羽詰まっての行動だったのかもしれない。


 どうにも自分たちだけでは首が回らなくなって、苦渋の選択として切り捨てた娘に頭を下げたのだ。


 かつての家族の思惑を理解しマリアはようやく納得が行った。やはり打算からの連絡だったが、今更家族の誼を深めましょうと言われても困惑するだけだから良かったかもしれない。

 ただ不思議なのは、こんな状況になるまでアンナが何も手を打たなかったことだ。

 何事もそつなくこなし両親からの覚えも良いアンナであれば、ここまで追い詰められる前に打開策を思いつきそうなものなのに。マリアでは考慮の余地もなく切り捨てられた商品の改良も開発も、アンナが上手くプレゼンテーションをすれば父も一考くらいするだろうに。

 そう思ったままに口にすれば、アンナは拗ねたように唇を尖らせて、顔を背けたまま言い捨てた。

 

「わたくしはお姉さまがすることを隣で見ていただけだもの」


 アンナは確かに要領が良かった。

 だがそれは姉の失敗を隣で見て、それを自分が行う際に修正しただけである。姉がどこに躓いているか観察し、また教師から指摘されたことや注意されたことを聞いたりして、自分の番が来た時には間違えないように気をつけるだけで十分だった。

 ほんのわずかな労力で姉以上に褒められるのは気持ちが良かった。

 姉が言われる悪口を聞いて、姉の発言が誰を不快にさせたか見て、それをフォローするだけで周りの目がアンナに向く。姉と比べて良い子だと褒められる。

 一つ年下のアンナは姉より先に何かを求められることはなく、いつだってマリアの後を追うだけで良かった。


 それを周囲が勝手に「不出来な姉と優秀な妹」と勘違いしただけである。


「新しいことを考えるのも挑戦するのも、お姉さまの役目だったじゃない」

「大人になって、君がどれほど努力して来たのかようやく理解したよ。ステラ商会の商品開発にも貢献しているんだって?ぜひうちにも新しい魔術式も融通して欲しい」

「グレイの娘として今こそ役に立ちなさい」

 

 マリアの気持ちなど考えず好き勝手に言い募るグレイ家の面々に、これまで口を閉ざして息子をあやしていたジョナサンが腹に据えかねて口を開こうとする。そんな夫を片手で制して、彼女は一つ深く息を吐いた。


 今まで、ずっとずっと頑張ってきた。

 要領の良くない彼女は回り道も多くて、必ずしも報われるわけじゃなかった。それでもいつか誰かに認められるかもしれない、誰かに必要とされるかもしれない。その一心で諦めず目の前の壁に立ち向かい続けてきた。

 マリアの功績は、確かに万人を驚嘆させるほどの素晴らしさはない。探せば誰かしらがすでに成していることがほとんどだ。

 それでも、頑張ってきたことは決して無意味じゃなかったと、ドラーフの人たちに受け入れてもらえた今なら理解できる。


「お姉さま、助けてよ!」

「君の故郷でもあるんだ。助けると思ってまた知恵を貸してくれないか、お願いだ!」

「何か言いなさい、マリア!」


 黙って俯いたまま何の反応も返さないマリアに焦れて次第にグレイ家の者たちの語気が荒くなる。

 今までであったら萎縮していただろう状況も今のマリアには心に波風一つすら立つことはなかった。


「……わたくしはドラーフの家に嫁ぐとき、この家とは縁が切れたものと言われました。実家を頼るな、と」

「それはっ」

「みなさまに見捨てられたわたくしでも、ジョナサンや義父母様方は心優しく受け入れてくださいました。要領が悪くても、亀の歩みのような成果でも、的を射ない意見でも、ひとつひとつ大切に拾い上げて認めてくださった。

 わたくしはもう、グレイ家の人間でなく、ドラーフの者です」


 顔をあげ、正面から元の家族を見据える。

 グレイ家の面々が見たこともない強い眼差しに、彼らはたじろぎ言葉を失った。


「養蜂事業に関しては、今のところ提携を打ち切る予定はありません。けれどそれ以上は関係を持とうとは思いません。今のあなた方と交流を深めることはステラ商会にとって全く利がありませんから」

「っおい、マリア!」


 帰り支度を始める彼女は以前の家族の声にも止まることはない。

 引止めようとすれば、すでにコートを着終えたジョナサンが庇うように間に立つ。普段は柔らかな笑みを浮かべている男の無表情に手が伸びることはなかった。

 ジョナサンと並びたって出口へ向かうマリアは、ただ一度立ち止まって振り返り、自分から何もかもを奪おうとしていたかつての妹に優しく微笑む。


「傍で見ていただけですぐに自分のものにできた要領の良さがあるのだから努力すれば自分だけの力でなんとかできるわ。頑張ってね。今のグレイ家程度ならアンナでも大丈夫よ」


 その微笑みは、嫁ぐときにアンナが見せた顔とそっくりで、アンナは言葉にならない悲鳴をあげた。


 


 帰りの馬車で、マリアは一言も発することはなかった。ただひたすらに外を見て、頬を伝う雫を拭うこともしない。

 そんなマリアの頭を掻き抱いて、ジョナサンも声をかけることなくいつまでもいつまでも優しく撫で続けていた。

 

「わたしの努力は、決して無駄ではなかったんだわ」


 遠い記憶の片隅、邸宅の図書室で×が1つついた答案用紙を片手に泣いていた少女が、マリアに向けてくしゃくしゃの顔で小さく微笑むのが見えた気がした。


誤字脱字報告いつもありがとうございます。

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― 新着の感想 ―
弟妹というのはそういうもんだよ。上の兄姉の失敗を見て要領よく小手先と愛嬌でどうにかするから、ぱっと見は兄姉よりも優秀に見えるけど、実は一人では何もできなかったり、自発性が薄かったりする。 そんな当たり…
根本的に娘を見下してるんだろうけど、いくら下位とはいえ 縁が途切れてる嫁いだ娘の貴族の夫の前で、お金の融通を頼むのに 居丈高に振る舞って助けろと言う時点で実家の両親は 貴族としても事業主としてもダメす…
そもそも、この家とは縁が切れたと考えよと言われた家に訪れる気が知れないよ。
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