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 コーデリアたちに「少し用がある」と告げてから、ノエルは一人で宿から出た。 喧騒から隔てられた裏路地は、夕暮れのオレンジ色に染まり、石畳には長い影が伸びていた。そこに立っていたのは――アルスター。

「……アルスター」

 ノエルがその名を口にした瞬間、胸の奥に重苦しい記憶が蘇る。

 アルスターは、淡々と口を開いた。

「ノエル、お前はどうしてこんなところにいるんだ?あの剣士の女はなんだ?」

 ノエルは一歩踏み出し、声を震わせながら問いかける。

「あなたには関係ないことです……。あのときの魔力暴走は……一体どうなったんですか?」

 最も聞きたくなかった、しかし問わずにはいられない問い。 その言葉は、ノエル自身の心を切り裂く刃のようだった。

 アルスターは一瞬だけ目を伏せ、研究者らしい冷静さで答えた。

「ああ……痛ましい事故だったな。お前が逃げた後、魔力の臨界点は突破され、多くの研究員が命を落とした」

 ノエルは拳を握りしめ、言葉を詰まらせる。 研究所を襲った爆発的な魔力暴走――混乱の中、姉夫婦の娘であるエリスを守るため、すべてを捨てて逃げ出すしかなかった。

 そして、アルスターは残酷な現実を突きつけた。

「お前の姉君――イリーナ、そしてその夫であるフェルナも……亡くなった。暴走に巻き込まれたのだ」

「……っ!」

 ノエルは息を呑んだ。胸の奥が、氷で締め付けられるように痛む。 薄々覚悟はしていた。しかし、この男の口から、事実として突きつけられた痛みは、想像を超えていた。

 夕暮れの光が、二人の影をさらに長く伸ばす。 ノエルの影は震え、アルスターの影は揺るぎなく伸びていた。

「彼らは新しい魔法のために、犠牲になった。あの研究は、魔法の進化に必要な一歩だった。犠牲は、代償にすぎない」

 アルスターは、まるで論文を読み上げるように淡々と告げた。声には一片の揺らぎもなく、冷たい理屈だけが並べられる。

「そんな……!どうしてそんな危険な研究を続けたんですか!」

 ノエルの声には怒りが滲んでいた。拳を握りしめ、胸の奥から熱が込み上げる。

 アルスターは肩をすくめ、感情の欠片も見せない。

「研究に失敗はつきものだ。そうして魔法は進化していく。ノエル、お前も知っていただろう? 我々研究者にとって、命の価値は、知識と進歩の前に霞むものだと」

「人の命が“代償”だなんて……そんなの、間違っています!」

 ノエルは声を張り上げた。夕暮れの裏路地に、その叫びが反響する。

 アルスターは静かにノエルを観察するように笑った。

「理想論だな。だが、お前も研究者だった。……今さら一般職に就くのも難しいだろう? お前の魔法は、今や貴重なものだ。戻ってこないか?」

 その言葉は誘惑のように響いた。冷徹でありながら、確かな評価が込められている。 アルスターはさらに続ける。

「古代魔術――あれを解析すれば、魔法文明はさらに進歩する。研究所に戻れば、お前の存在価値は保証される。それに……あのフェルナ夫妻の子ども、きっとその子にも相応の魔力があるはずだ」

「……エリスを研究のモルモットにするつもりですか?」

 ノエルの声は低く、怒りを押し殺していた。

 アルスターは首を振り、冷ややかに答える。

「そんなことは言っていない。だが――利用価値はありそうだ」

 ノエルは黙り込み、アルスターの言葉を噛み締めた。 人の命を何とも思わない研究所。確かに、それは魔法の進歩のために必要なのかもしれない。だが、その“進歩”の代償として、姉夫婦は命を落とした。残されたエリスはどうなる?

 脳裏に浮かぶのは、無邪気に笑うエリスの姿。 研究所に戻れば生活は安定するのかもしれない。ノエル自身もまた魔法研究に没頭できる。だが、その安定の裏で、エリスの未来が奪われるかもしれない――。

 アルスターはノエルの葛藤を見透かしたように、ゆっくりと背を向けた。

「まあいい。いつでも待っている。お前が『現実』を受け入れ、自分の居場所を思い出す時が来たらな」

 その背中は、夕闇に溶けていく。長い影が石畳に伸び、やがて消えていった。

 ノエルはただ黙って見送った。 胸の奥で、怒りと悲しみ、そして迷いが渦を巻く。

 夕暮れの風が吹き抜け、ノエルのローブを揺らした。


 宿の一室。 子どもたちはベッドで安らかな寝息を立てていた。小さな胸が規則正しく上下し、夢の中で微笑んでいるようにも見える。

「おかえり、ノエル」 コーデリアが声をかける。

「大丈夫だった?」 ミランダが心配そうに覗き込む。

 テーブルの上には、街の人々が感謝の印として差し出した料理が並んでいた。

「ノエルにって、ごちそうをくれたの。ほら、残してあるから食べなさい」

 しかしノエルはフォークを取ろうとせず、どこか遠い目をしていた。

「……少し、話してもいいですか?」 その声に、二人は姿勢を正す。

「ああ」

「もちろんよ」

 ノエルは目を閉じ、静かに語り始めた。

「エリスの両親――僕の姉夫婦は、僕と違って、とても優秀な人間でした。そして、王立研究所の魔道士でした」

「王立研究所?!」

「えっ、あの?!」

 コーデリアとミランダが同時に息を呑む。

 王立研究所――それは国家直属の魔導機関。選ばれし者だけが所属を許される、まさに“魔道士の頂点”。その名を聞くだけで、貴族や軍人が背筋を伸ばすほどの権威を持つ場所だった。

 ノエルは苦しげに続ける。

「姉夫婦は、王の命令で《魔力融合実験》という研究をしていました。異なる魔力を強制的に融合させ、新しい魔法体系を生み出そうとする――危険極まりない研究です。けれど、王の命令には逆らえず、辞めることはできませんでした」

 彼の声には、深い後悔が滲んでいた。

「そして、ある日――実験が失敗し、大規模な魔力の暴走事故が起こりました。研究所全体が魔力の嵐に包まれ、建物は崩壊寸前。姉夫婦は暴走を止めるため、研究所に残りました。僕には『エリスを連れて逃げて!』とだけ、託して……」

 ノエルは拳を握りしめ、唇を噛む。

「僕は着の身着のまま、エリスを連れて研究所を逃げました。……僕は、姉夫婦を守れなかった。僕が身代わりになればよかった。そうしたら、エリスは今も両親と一緒にいられたのに……」

「今、お姉さんたちは……?」 コーデリアが静かに尋ねる。

 ノエルは目を伏せ、低く答えた。

「先ほど、聞いたところ……亡くなったそうです」

 沈黙が落ちる。蝋燭の炎が揺れ、影が壁に伸びる。

 彼は酒を一気に飲み干し、顔を歪めた。

「……そして、僕に研究所に戻らないかと言われました」

「え?!」

「ど、どうするの?!」

 コーデリアとミランダが同時に声を上げる。

 ノエルは苦しげに続けた。

「僕は、できることがあまりありません…。エリスを一人で育てることもできないし、モンスター退治でお役に立てることも少ない……。研究所に戻れば僕とエリスの生活は安定するし、僕もまた研究に没頭することができるでしょう。けれど……」

「けれど?」 二人が身を乗り出す。

「エリスも利用価値があると、言われました」

「何その言い方?!かわいいエリスちゃんをどうするつもりなの!」 ミランダが怒りを露わにする。

 ノエルは目を伏せ、静かに言葉を紡ぐ。

「エリスには両親から受け継いだ魔力があります。きっと研究の役には立つし、そのまま魔法や薬学を学べば立派な魔法使いに育つでしょう。研究所には両親の物や研究の記録も残っているはずです……でも」

「……でも?」 コーデリアが促す。

 ノエルは二人を見つめ、決意を込めて言った。

「でも、僕はあなた方と一緒に居たい。エリスを彼女らしく育てることが、今の僕の役目だと思っています。もちろん、あなた方のお役に立てるように。そして……もしエリスが大きくなり、研究所に入りたいと言ったら、その時は連れて行けばいい。だから、その時が来るまでは、一緒にいてもいいのでしょうか…?」

 沈黙が、数秒だけ部屋を満たした。 蝋燭の炎が揺れ、子どもたちの寝息が静かに響く。

 そして――

「……ノエル」

 コーデリアはそっとノエルのグラスに酒を注ぎ足した。

「あんたが決めたらそれでいいんだよ。もちろんエリスの意志も大切にしよう。でも今は、エリスが大人になるのを待とう。子どもたちを大切に育てていこう」

「自分の仕事や生活……人生を犠牲にしても?」 ノエルが問い返す。

 コーデリアは微笑み、ゆっくりと首を振った。

「犠牲……?私は犠牲だなんて思えない。あんなにかわいい子どもたちを、私たちは育てさせてもらってるんだ。今は私たちのできる精一杯で、子どもたちを大人になるまでサポートするだけだ」

 ミランダも頷き、拳を軽く握る。

「そうよ。犠牲なんかじゃないわ。エリスちゃんの笑顔を守れるなら、モンスター退治だってがんばるわ!」

 コーデリアが続ける。

「それに、今日助かったのはノエルのおかげだ。何もできなくなんかない」

「そうそう!今日は私とコーディだけじゃ無理だったわ。ノエルがいたから倒せたのよ」

 ミランダが笑みを浮かべる。

「……ありがとうございます」

 ノエルは二人の言葉を胸に刻み、静かに息を吐いた。

(……僕はエリスを彼女らしく育てていく。それが、今の僕の答えだ)

 その夜、宿の部屋には穏やかな空気が流れていた。 未来への不安は消えない。自分の選択が正しいのかどうかもわからない。 それでも――ここには、共に歩む仲間と、守るべき小さな命があった。

 ノエルは眠る子どもたちの寝顔を見つめながら、心の奥で静かに誓った。

(たとえどんな困難が待っていても……この子を守り抜く。それが僕の生きる意味だ)


 翌朝。 窓から差し込む柔らかな朝日が、宿の部屋を淡く照らしていた。ベッドの上でエリスはまだ寝ぼけ眼をこすりながら、ノエルの呼びかけに顔を上げる。

「エリス、お話があります」 ノエルは真剣な声で言った。

「なあに?」 小さな首を傾げるエリス。

「……お母さんとお父さんのことで」

 その言葉に、エリスはぱっと目を見開いた。

「会えるの?!」

 ノエルは静かに首を振り、そっと彼女の手を握った。

「いいえ。よく聞いてください。エリスのお母さんとお父さんは……亡くなったそうです」

「なくなった?」

「……死んだのです」

「しんだって?」 エリスの声は震えていた。

 ノエルは言葉を選びながら、優しく続けた。

「人はね、亡くなるともうこの世界では会えなくなります。でも、空のお星さまになって、ずっとエリスのことを見守ってくれていますよ」

「……どういうこと?」

 エリスは理解しようと必死に瞬きを繰り返す。まだ七歳の心には、死という概念は遠すぎた。

「もう会えないし、一緒に遊ぶこともできません。でも、エリスの心の中にはずっといます。お父さんとお母さんの思い出や笑顔は消えません。だから、エリスが自分らしく生きていけば、お母さんとお父さんも喜んでくれますよ」

「いやだ!」 エリスは泣きじゃくり、ノエルの胸に飛び込んだ。

 ノエルは強く抱きしめ、涙をこらえながら囁く。

「僕がいます。エリスが大人になるまで、僕が傍にいますから」

「私もいる」コーデリアが優しく肩を抱く。

「私もいれて」ミランダが笑みを浮かべる。

「ぼくも!ぼくも!」ルークが小さな拳を握りしめて叫ぶ。

 わんわん泣き続けるエリス。嗚咽はやがて弱まり、泣き疲れてノエルの腕の中で眠りに落ちていった。

 ノエルはその小さな寝顔を見つめ、静かに言った。

「……お父さんとお母さんはいないけど、僕たちは新しい家族です」

 コーデリアとミランダ、ルークも頷く。 その場に流れる空気は、悲しみの中に確かな温もりを宿していた。

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