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 旅の道中、一行を包んでいたのは朝露の冷たさと、木々の間から差し込む柔らかな木漏れ日だった。そんな平和な空気を打ち破るように、突如として獣の唸り声が森に響き渡る。牙を剥いた獣型のモンスターの群れが、唸り声を上げて一行に襲いかかってきた。

「来たわね!」

 ミランダは、その場に不釣り合いなほど優雅なドレスの裾を翻し、華麗に一回転。その流れるような動きから繰り出されたのは、雷鳴のような回し蹴りだった。

「“美拳・月華乱舞”!」

 銀色の軌跡が宙に描き出され、魔物の群れの中心で炸裂する。数体の魔物は一瞬で吹き飛ばされ、静かに地面に沈んだ。

「こっちは任せろ!」

 コーデリアは迷いなく剣を抜き、風を切り裂くような鋭い一閃を放つ。その剣筋は速く、正確で、残る敵を次々と薙ぎ払っていく。

「……楽勝だな」

 血振りをすると、剣の切っ先から飛び散った雫が、朝日にキラキラと輝いた。

「全然手ごたえがないわね。もっと強い相手じゃないと、私の美が引き立たないんだけど」

 ミランダが、汗一つかかずにどや顔で髪をかき上げる。その仕草すら絵になる。

「かあしゃん、かっこいい!!」

「ミラ姉、すごい!」

 ルークとエリスは、目を輝かせて叫んだ。二人の目には、ミランダとコーデリアは、まるで絵本の中から飛び出してきた無敵の英雄のように映っていた。

 その時――草むらの陰がぷるぷると震え、手のひらほどの小さなスライムが一体、ひょっこりと現れた。

「わっ、まだいた!」

 ルークは咄嗟に地面に落ちていた木の枝を拾い、その切っ先をスライムに向けた。小さな体に力を込め、「えいっ!」と渾身の一撃を叩き込む。

 スライムは、抵抗する間もなくぷしゅっと間の抜けた音を立てて弾け、地面に透明な水滴となって溶けていった。

「かあしゃん!やったよ!」

 ルークが誇らしげに振り返って叫ぶ。その小さな手には、まだ木の枝が握られていた。

 コーデリアは目を丸くして、思わず大声で賞賛した。

「すごい!ルーク、天才だ!!その勇気、私以上かもしれない!」

 エリスも「ルーク、かっこよかった!」と手を叩いて拍手を送る。

 その賑やかな様子を、少し離れた場所から見ていたノエルは、口元に微笑みを浮かべながらも、ふと視線を落とした。

(剣も、拳も、子どもたちもすごいですね。僕には何もない…)

 彼の手に残るのは、古代の文献を読み解くための知識と、それを具現化する魔法の力だけだ。ミランダやコーデリアのような「戦う力」ではない。その事実は、ノエルの心に重くのしかかる。

(僕の使う魔法が、本当にこの子たちを守れる力になるのか……?)

 笑い声が響く中、ノエルはそっと手のひらを見つめた。その指先に、まだ誰にも使われていない、古代の魔力が静かに脈打っているのを感じる。それは、攻撃にも防御にも適さない、特殊な力。

 ノエルは深く息を吸い、朝の森の空気を肺いっぱいに満たした。

(僕にしかできないことが、きっとあるはずだ。戦う力ではなくても、この旅の中で、僕にしかできない役割が)

 そう心に刻みながら、ノエルは再び顔を上げた。


 一行が立ち寄ったのは、交易で栄えるはずの街――グレイヴェン。 しかしその街は、重く沈んだ空気に包まれていた。 本来なら商人や旅人で賑わう広場は閑散とし、魔法使いの姿はほとんど見られない。 代わりに耳に入ってくるのは、住民たちの不安げな囁きだった。

「また一人、倒れたらしい。魔力が枯れて、意識を失ったって……」

「この街の魔力が、底をついちまうのか……」

 その声は、まるで冷たい風のように広場を駆け抜け、瞬く間に恐怖を伴って広がっていった。 人々は家の扉を固く閉ざし、灯りを落とし、街全体が息を潜めているようだった。

 どうやら、グレイヴェンの地下深くに封印されていたという―― “魔力喰い(マナ・イーター)”と呼ばれる太古の災厄が、長い眠りから目覚めつつあるらしい。

 それは魔法文明を滅ぼしかけた存在。 空気中の魔力を吸い尽くし、術者の力を奪い、やがて街そのものを枯れさせる。 剣も拳も通じず、一般魔法はすべて無効化されるという。

「もし封印が完全に破られたら……この街は終わりだ」

 誰かがそう呟いた瞬間、沈黙が広場を覆った。

 一行は互いに目を見合わせる。

 その魔物は、かつて魔法文明を滅亡寸前に追い込んだ存在だ。空気中の魔力を際限なく吸収し、魔法使いの術式を無効化するだけでなく、術者の魔力そのものを喰らうという、魔法使いにとって天敵のような存在だった。

 住民たちが口にするのは、もはや希望ではなく絶望の言葉だった。

「物理攻撃も通じず、一般的な魔法はすべて吸収されてしまう。剣も拳も、炎も氷も――すべてが無力化される中で、街の守護隊は次々と倒れていったんだ」

「攻撃が何も使えないなら、どうやって戦えばいいのか……」

「もう、逃げるしかない…」

「逃げると言ったって、どこに…」

 その声は、広場の隅々にまで染み渡り、まるで街全体を覆う黒い霧のように人々の心を蝕んでいた。誰もが肩を落とし、諦念を口にする。子どもたちでさえ声を潜め、泣き声すら上げられない。

 そんな中、一行の中でただ一人、ノエルだけがその言葉に静かに反応していた。

 彼の使う魔法は、ミランダの拳やコーデリアの剣のように対象を攻撃するものではない。古代の文献に記された“感応魔術”――対象の魂や記憶といった、非物理的な領域に干渉する特殊な術式。

(もし、魔力喰いの特性が「魔力の吸収」ならば……物理的な核ではなく、魔力的な核、あるいは精神的な弱点に直接作用する感応魔術が、唯一の希望かもしれない)

 ノエルは人々の絶望に沈む声を聞きながら、胸の奥で自問した。 そして、意を決して口を開く。

「あの……」

 その声に、広場に集まっていた人々が一斉に振り返る。 ノエルは少し肩をすくめながら続けた。

「僕の魔法が……もしかしたら、使えるかもしれません」

 一瞬の沈黙の後、仲間たちが反応する。

「さすがノエルだな!」コーデリアが力強く頷く。

「やっぱり賢いと違うのね!」ミランダが笑みを浮かべる。

 ノエルは慌てて手を振った。

「いや、もしかしたらで……使えないかもしれないし……」

「何うじうじ言ってんだ!早速行ってみよう!」

 コーデリアが勢いよく背中を叩く。

 そのやり取りに、町の人々がざわついた。

「本気か?」

「危険です!」

「やめた方がいい!」

 広場に集まった人々の声が一斉に飛び交う。恐怖と不安が渦巻き、誰もが一歩を踏み出す勇気を失っていた。

 コーデリアがそのざわめきを制するように、剣を握り直しながら静かに言った。

「でも……誰かが倒さないといけないんだろう?」

 その問いに、場は一様に黙り込む。重苦しい沈黙が広場を覆い、誰もが視線を逸らす。やがて、群衆の中から震える声が漏れた。

「……よ、よろしくお願いします」

 その言葉は、祈りにも似ていた。

 コーデリアは剣を腰に収め、深く頷いた。

「ああ」

 ミランダも腕を組み、少し眉を上げて言う。

「でも、もし魔法が効かなかったらどうするの?」

 ノエルは深く息を吸い込み、仲間たちを見渡した。 その瞳には、迷いを振り切った決意が宿っていた。

「その時は……封印を強固にしましょう。僕がやってみます」

 その言葉に、広場の空気が変わった。 恐怖に沈んでいた人々の中に、わずかな希望の灯がともる。ざわめきは次第に静まり、誰もがノエルを見つめていた。

 ルークとエリスも、ノエルを見上げて目を輝かせる。

「ノエルおじさん……かっこいい!」

「がんばって!」

 その声に、ノエルは優しく微笑んだ。

(僕にしかできないことかもしれない。やってみよう…)

 子どもたちの未来を守るために。 街の人々の希望を繋ぐために。

 彼は静かに拳を握りしめた。 その姿は、頼りなさげな研究者ではなく、仲間と街を守るために立ち上がる一人の魔法使いだった。


 子どもたちは保護結界の中に入れられ、安全を確保された。 一行は地下深くへと進み、ついに――封印の奥から這い出してきた“魔力喰い”と初めて対峙する。

 それは、巨大な黒い霧の塊のようで、定まった形を持たない。 ただそこに存在するだけで、空気は重く淀み、体の奥から魔力がじわじわと吸い取られていくような圧迫感があった。 街の人々が恐れていた災厄が、今まさに目の前に姿を現したのだ。

「来るぞ!」コーデリアが剣を構え、ミランダが拳を握りしめる。

 一行が放った剣撃も拳も魔法も――魔力喰いに触れた途端、まるで“無”に溶けるように消えていった。

「ちょっと!私の“美拳・月華乱舞”が本当に効かないなんて、ありえないんだけど!」

 ミランダがドレスの裾を翻しながら叫ぶ。彼女の拳から放たれた衝撃波は、黒い霧に触れた瞬間に光を失い、霧散した。

「私の剣も……まるで手応えがない。斬っているという感触すらない」

 コーデリアが眉をひそめ、剣を構え直す。物理的な攻撃は、その本質を捉えられていないようだった。

 魔力喰いが、その本性を現して暴走した。

 黒い霧が濃密な闇となっ地下全体に広がり、空気は毒々しく濁り、地下の輪郭がゆらゆらと歪んでいく。空気中の魔力が急速に吸い上げられ、コーデリアとミランダの少ない魔力も吸い上げられていく。

「このままじゃ、ヤバイ……!」

 コーデリアが剣を構えながら、歯を食いしばって叫ぶ。

「拳も魔法も通じないなんて、どうすればいいのよ!」

 ミランダも、その優雅さを保てずに焦りを露わにする。

「これは……まずいですね」

 ノエルは冷静に言いながらも、内心の焦りを隠せなかった。街で聞いた“全ての攻撃・魔法が無効化される”という噂が、現実となって目の前に広がっている。

(僕の魔法は元々戦闘向きじゃない……ただ、魔力の波長や構造を分析するだけなら……)

 ノエルはそっと魔法陣を展開した。 放ったのは、対象の魔力の源を視認するための感応魔術――本来なら戦闘では役に立たない、研究者らしい術式。

 しかし、その細い、干渉を目的としないはずの魔力の糸が、偶然にも魔力喰いの中心へと直撃した。

 次の瞬間――魔物が苦悶の声を上げ、黒い霧が激しく揺らいだ。 まるで心臓を鷲掴みにされたかのように、霧の塊が震え、周囲の圧迫感が一瞬だけ薄れる。

「えっ……今の、効いた?」

 ノエルは信じられないものを見るように目をぱちぱちさせた。

「まさか……僕の、魔法が……?」

 震える自分の手を見つめる。研究所時代、戦闘には役立たないと笑われ続けた魔法。 それが、今この場で唯一の希望になっている――そんな現実を、すぐには受け入れられなかった。

(いやいや、これは偶然だ。たまたま魔力の波長が合っただけで……僕の魔法が戦闘に使えるわけが……!)

「ノエル!今のもう一回!今度は“かっこいいポーズ”付きで!敵が怯んでるうちに!」

 ミランダが、危機的状況にも関わらずノリノリで叫ぶ。ドレスの裾を翻しながら、まるで舞台の演者のように。

「えっ、ポーズ……?!」

 ノエルは顔を真っ赤にして後ずさる。魔法を放つだけでも精一杯なのに、ポーズまで求められるとは思ってもみなかった。

 しかし、コーデリアの目は真剣だった。

「ミランダの言うことは気にするな!ノエル、早く!こいつにはあんたの魔法しか通じない。これは、あんたにしかできないことなんだ!」

 その言葉は、鋭い剣のようにノエルの胸に突き刺さった。 仲間の信頼。自分にしかできない役割。

 ノエルは静かに立ちすくみ、深く息を吸い込む。 霧のように揺れる魔力喰いの姿を見据えながら、心の奥で呟いた。

(僕が逃げたら、誰も守れない。僕が立ち向かわなければ、子どもたちも、この街も……)

 震えていた手が、少しずつ落ち着きを取り戻す。 仲間たちの声が背中を押し、ノエルの瞳に決意の光が宿った。

「……わかりました。やってみます」

 ノエルは静かに一歩を踏み出し、前へと歩み出た。 彼の両手には、長年使い込まれた古びた魔道書。ページが風にめくられるたび、淡い光の粒が舞い上がり、まるで星々が彼の周囲に集うかのようだった。

(……僕の魔法は、戦いには向いていない)

(だから、これは攻撃のためじゃない……構造を知るための魔法なんだ。そしてその構造を知れば、あとは紐解いてやればいい!)

 彼の足元に、複雑で美しい魔法陣が広がり始める。 古代文字が淡い光を放ちながら浮かび上がり、幾重にも重なる円環が彼の周囲を取り巻く。 それは魂の波長を増幅させ、対象の本質に干渉するための術式――研究者としての彼が、古代魔術を融合させた唯一無二の魔法だった。

 ノエルは両手を広げ、魔道書の最後のページに記された術式を、全身の魔力を注ぎ込んで唱える。 声は震えていない。仲間たちの信頼と、子どもたちの未来を守る決意が、その言葉に力を宿していた。

「――発動!」

 瞬間、極光のような光が爆ぜた。 それはただの魔力ではなく、仲間たちの想いをも乗せた共鳴の光。 一直線に魔力喰いの核へと走り、黒い霧を貫いた。

「――――ッ!」

 魔力喰いは耐えられず、悲鳴を上げるように激しく揺れ動く。 霧の塊が波打ち、周囲の圧迫感が一瞬だけ薄れる。 そして、黒い霧は力を失うように崩れ、静かに消滅していった。

「やったなノエル!!」

「すごいわ!!」

 コーデリアとミランダが声を上げる。

 ノエルは、魔力を使い果たした疲労で膝をつきながらも、すぐに振り返った。 照れくさそうに、しかし心の底から満たされた笑顔を浮かべて。

「……僕にも、できることがあって、よかったです」

 その言葉は、仲間たちの胸に深く響いた。


 魔力喰いは、ノエルの魔法によって静かに浄化された。 街に戻ると、空には久しぶりに陽の光が差し込み、灰色に沈んでいた雲がゆっくりと晴れていく。 人々は倒れていた魔法使いたちを介抱しながら、安堵の息をついた。

「助かったんだ……」

「もう大丈夫だ……」

 涙を流す者、祈りを捧げる者、互いに抱き合う者――街全体が、失われかけていた希望を取り戻していた。

 ノエルはその光景を見つめながら、胸の奥で静かに呟いた。

(僕の魔法は戦いには向いてないけれど……、誰かを守るためにある。これからも、そうであり続けたい)

 その背中は、かつて臆病な研究者だった頃のものではなく―― 仲間と街を救った、一人の魔法使いの背中だった。


 と、その時だった。

「魔力喰いの噂を聞いて来てみれば……まさか、お前がいるとは」

 背後から聞き覚えのある声がした。 ノエルの背筋に冷たいものが走る。振り返ると、そこにはローブ姿の人物が立っていた。銀縁の眼鏡に整った身なり、無駄のない所作――ノエルがかつて在籍していた魔法研究所の同僚、アルスターだった。

「……アルスター……」

 その名を口にした瞬間、ノエルの胸に過去の記憶が蘇る。研究所での日々、姉の笑顔、そしてあの魔力暴走の惨劇。

 アルスターは薄く笑みを浮かべ、歩み寄る。

「久しぶりだな、ノエル。こんな場所にいるとは思わなかったよ」

 ノエルは一瞬、言葉を失った。 あの後どうなったのか、聞きたいけれど、聞くのが怖い

 アルスターは一歩近づき、低く囁いた。

「話がある。……ついてこい」

 その瞬間、ノエルの心臓が強く脈打った。 仲間たちの笑顔と街の人々の安堵が脳裏に浮かぶ。だが同時に、姉の面影が重くのしかかる。

「仲間に話をしてきますので、待っていてください…」

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