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次の日、親子を教会へ送り届けたコーデリアの足取りは、どこか軽やかだった。
「まったく、コーディ。あなたの周りはドラマチックね」 ミランダが、腰に手を当ててしみじみと語った。
「でも、その親子、きっと立ち直れるわ。あなたが助けてくれたから」
「助けられたかどうかはわからないけど、そう願うよ」 コーデリアは、空を見上げながら答えた。
「人はいつでも変われる。正しい知識と、頼れる仲間がいれば猶更だ。私も、いつもあんたたちに助けられてるよ。ありがとう」
「……あら、今日は槍が降るんじゃない?」
ミランダはケラケラと笑いながら、空を見上げた。
「感謝の言葉がコーディの口から出るなんて、天変地異の予兆よ!」
「うるせえな……たまには言うだろ、私だって」
その後ろでは、ノエルがいつになく穏やかな表情で、エリスとルークに薬草の講義をしていた。
「これは“胃に優しい草”。でも食べすぎると逆にお腹がゆるくなるから注意しましょう」
「えー!じゃあ、ちょっとだけならいいの?」
「“ちょっと”の定義は難しいですが……まあ、ルークくんの体重なら葉っぱ一枚くらいでしょうかね」
「ノエルおじさん、なんでそんなに詳しいの?」
「それはね、昔“胃に優しい草”を大量に食べて、3日間トイレと友達になったからです」
「うわぁ……」
ノエルの研究は、最近コーデリアの剣技を理論化するという新たな視点を得て、ますます充実していた。
「コーデリアさんの“回転斬り”は、風圧と重心移動のバランスが絶妙なんです。もし魔法で補助すれば、回転速度を1.3倍に……いや、1.35倍にできるかも……!」
「それ以上回ったら、私が目回すだろ!」
コーデリアは、ノエルの“理論的暴走”にツッコミを入れながら、笑顔で歩いていた。
交易都市「エルドーラ」。 石畳が美しく整備され、高い城壁の向こうには賑やかな市場の喧騒が聞こえてくる。 旅人たちの笑い声、荷馬車の車輪の音、香辛料の香り――すべてが、平和と繁栄を物語っていた。
コーデリア一行は、ようやくたどり着いた安堵と達成感を胸に、門をくぐろうとしていた。
その時だった。
「そこを動くな」
鋭く冷たい声が、空気を切り裂いた。
門の前に、騎士団の一団が立ちはだかった。 彼らは統一された銀の甲冑に身を包み、紋章入りのマントを翻しながら、無言で周囲を威圧していた。
その先頭に立つ男は、ひときわ目を引いた。 上等な銀色の甲冑に身を包み、腰には宝石が散りばめられた装飾剣。 顔立ちは整っており、まるで絵画から抜け出した貴族のようだった。
だが――その瞳には、冷酷な光が宿っていた。 感情のない氷のような視線が、コーデリアたちを一瞥する。
コーデリアは、その男の顔を見た瞬間、全身の血が一気に凍りつくのを感じた。
「……ガリウス」
その名を口にした瞬間、空気が変わった。 ミランダが「え?」と振り返り、ノエルは眼鏡を押し上げながら眉をひそめた。
「お知合いですか?」
それは、かつてコーデリアを裏切り、ルークと自分に暴力を振るい、 最終的に彼女を孤独に突き落とした――元夫だった。
ガリウスは、コーデリアの声に反応することなく、無表情のまま命令を続けた。
「この女を拘束しろ。反逆罪の容疑者として、王都へ連行する」
「はああああ!?反逆罪!?」 ミランダが思わず素で叫んだ。
「待ってください!何の証拠が――」
ノエルが冷静に抗議しようとするが、騎士たちはすでに剣に手をかけていた。
コーデリアは、ガリウスの瞳を見つめながら、震える拳を握りしめた。 その瞳は、かつて彼女を見下し、踏みにじった時と、何一つ変わっていなかった。
「……まだその目で人を見てるんだな」
ルークは、母の背中に隠れながら、ガリウスをじっと見つめていた。 その小さな手が、コーデリアのマントをぎゅっと握っていた。
「かあしゃん……怖い」
コーデリアは、ルークの手を握り返しながら、静かに言った。
「大丈夫。母さんが守るから」
ガリウスは、コーデリアの驚愕した顔を見て、傲慢な笑みを浮かべた。 その笑みは、かつて彼女を踏みにじった時と、何一つ変わっていなかった。
「コーデリア、今までどうしていた?落ちぶれても剣を振っていたのか?貴様は相変わらず汚い格好だな」
ミランダが「はぁ?」と眉を跳ね上げたが、コーデリアは無言のまま、ガリウスを睨み返していた。
ガリウスの視線は、コーデリアの後ろに隠れるように立っているルークへと移った。 その目は、父親のそれではなく、所有物を値踏みする商人のようだった。
「貴様が逃げた後、俺はこの街の有力貴族、ランダル卿の目に留まり、今は彼の護衛隊長を務めている。貧乏な剣士とは訳が違う」
そして、ガリウスは剣の柄に手をやり、はっきりと宣言した。
「コーデリア、そこの子どもを渡せ。その子は俺の息子だ。親権は俺にある。俺といれば、この街で裕福な暮らしができる。息子には、貧しい女の元ではなく、ランダル卿の庇護のもと、相応の教育と生活を与えるべきだろう」
その言葉に、ルークは目を見開いた。 自分の父親が目の前にいることに戸惑い、コーデリアのローブを強く握りしめた。
「かあしゃん……」
門前の空気は、まるで凍りついたように張り詰めていた。 交易都市エルドーラの華やかな街並みが、今は遠く感じられるほど、コーデリアの心は暗闇に沈んでいた。
ガリウスの冷酷な言葉が、彼女の胸を突き刺す。
「お前のような貧乏な母親に、息子を養う資格などない。大人しく渡せば、命だけは助けてやる」
その声は、かつて彼女を支配し、傷つけた過去の亡霊そのものだった。 コーデリアは、体が動揺で固まり、言葉を失った。 過去の恐怖と、ルークを奪われるという絶望が、彼女の心を支配していた。
ノエルは、エリスの肩に手を置きながら、静かに前へ出た。
「ガリウス殿。その主張は一方的です。ここまで、この子を育ててきたのはコーデリアさんだ。貴方は親としての責任を、果たしていたのですか?」
ノエルの声は冷静で、その言葉にはまるで魔力が込められているかのような力強さがあった。
ガリウスは鼻で笑った。
「お前はこの女の何だ?貧乏剣士の仲間の、薄汚い魔道士か。それとも新しい男か?まさかそのオカマが新しい男だと言わないだろうな?はっ!あまり笑わせるな!」
ノエルは、眼鏡を押し上げながら、静かに言った。
「僕は彼女に助けられました。彼女はとても愛情深く、優しい母親です。子どもへの愛情も持てない人に、親を名乗る資格はありません」
ミランダは、腕を組みながらガリウスを睨んだ。
「コーディの格好が汚いって言ったけど、あんたの性格の方がよっぽど泥まみれよ」
「黙れ、下賤の輩が!」
「下賤?あら、私、格闘家よ。拳で語るタイプなの」ミランダは続けた。
「護衛隊長サマ?そんなガチガチの甲冑に身を包んだ、情熱もない男に、この天使を育てる資格はないわ!この美しいミランダ様のハイキックで、その甲冑、粉砕してあげましょうかァ!」
彼女の声は、まるで戦場の号令のように響いた。 騎士たちがざわめき、剣を抜く音が辺りに広がる。
一触即発の状況。
だが、ノエルとミランダは、動揺するコーデリアを、それぞれの方法で支えていた。 ノエルは理知と冷静さで、ミランダは情熱と拳で。
そして、コーデリアの瞳にも、少しずつ光が戻り始めていた。 彼女は、もう一人ではなかった。 守るべきものがあり、支えてくれる仲間がいる。
ノエルの静かな支えと、ミランダの豪快な激励が、 過去に囚われていたコーデリアの心を、そっと、しかし確かに解き放った。
胸の奥にずっと沈んでいた恐怖と後悔。 それらが、仲間たちの言葉とまなざしによって、少しずつ溶けていく。
コーデリアは、大きく息を吸い込んだ。 そして、腰に差した愛剣を、ゆっくりと、しかし確かな音を立てて鞘から抜き放った。
彼女の目には、もう動揺も恐怖もなかった。 あるのは、ルークを守り抜くという、揺るぎない母の決意だけだった。
「ガリウス。あなたに、ルークを渡すつもりはない」
その声は、冷たく、澄んでいた。 まるで冬の湖面のように静かで、しかし底には鋭い氷の刃が潜んでいた。
「私はあなたから逃げた。向き合うべきだとわかっていても、怖くて逆らえなかった。それでも、あのときはああするしかなかった!あなたは話しても聞いてはくれなかった!私はあなたから逃げたことを、後悔していない!そして、私は、ルークだけは手放さない!私と仲間が、大切に守り育てた、私の命の証だから!!」
「貧乏剣士の戯言を!殺されても知らんぞ!」
ガリウスは苛立ち、顔を歪めながら護衛たちに命じた。
「この女を捕らえろ!抵抗すれば、容赦なく斬り捨てろ!」
その号令とともに、騎士団が一斉に剣を抜き、コーデリアたちに襲いかかる。
「ノエル!ミランダ!ルークとエリスを守って!」
「言われなくてもよォ!」
ミランダは、両手でルークとエリスを抱きかかえ、まるで猛獣から子猫を守る母ライオンのように、身体を盾にした。
「この美脚で、誰にも触れさせないわよォ!」
ノエルは、すでに詠唱を終えていた。 彼の足元に魔法陣が浮かび上がり、淡い光がミランダと子どもたちを包み込む。
「防御結界、展開完了。ミランダさん、子どもたちをお願いします。 僕は、後方から支援魔法を展開します。コーデリアさん、あなたは――剣に集中してください!」
その言葉に、コーデリアは小さく頷いた。
目の前の騎士たちを、彼女は一切の躊躇なく迎え撃った。
その剣筋は、かつてないほど鋭く、速い。 だが、そこに宿っていたのは、モンスターの命を断つ冷酷さではなかった。
それは、ルークへの溢れる愛。 母としての誓い。 そして、仲間たちと築いた“家族”を守るという、揺るぎない意志だった。
「この剣は、もう恐怖のために振るうものじゃない。私は、守るために戦う。ルークのために。私たちのために!」
騎士たちを次々と打ち払い、コーデリアはついにガリウスの目の前に立った。 剣は、夕陽を受けて静かに輝き、その刃には母としての覚悟が宿っていた。
「私には、あなたなんかいなくても、大切な仲間がいる!もう親子二人だけじゃない!この世界で、仲間と一緒に生きていく!」
その言葉は、まるで雷鳴のように門前に響き渡った。 ミランダは「名言ねぇ…!」と小声で感動し、ノエルは眼鏡を押し上げながら「感動します…」とつぶやいた。
だが、ガリウスは怒りに顔を歪ませ、剣を抜いた。 その動きは荒々しく、力任せだった。
「黙れ!この女!」
ガリウスの剣が振り下ろされ、コーデリアの剣がそれを受け止める。 金属同士が激しくぶつかり合い、火花が散った。
ガリウスの剣は重く、威圧的だった。 だが、コーデリアの剣は違った。 それは、過去の痛みと、ルークへの愛で磨かれた、命を守るための剣だった。
一進一退の攻防が続く中――
ノエルが、静かに詠唱を終えた。 彼の足元に魔法陣が浮かび上がり、ガリウスの足元へと滑るように広がっていく。
「魔力罠、展開完了。爆発まで、3…2…1…」
ポンッ!
小さな魔力の爆発が、ガリウスの体勢を崩した。 彼は「なっ…!」と声を上げ、よろめいた。
その隙を、コーデリアは見逃さなかった。 渾身の力で剣を振り抜き、ガリウスの剣を弾き飛ばす。
ガリウスの剣は、遠くの石畳に甲高い音を立てて転がった。 その音は、まるで彼の権威が崩れ落ちる音のようだった。
「かあしゃん!」
その時、ミランダの腕の中で、ルークが叫んだ。
「僕はかあしゃんと、ずっと一緒がいい!」
その純粋な叫びは、ガリウスの心を深く貫いた。 彼は、一瞬にして、己の傲慢さと、失ったものの大きさに気づかされた。
「くそっ……!」
ガリウスは剣を拾うこともせず、敗北を悟ったように顔を伏せた。 その背中は、かつての威厳を失い、ただの男のそれだった。
門前の騒乱が静まり、空気がようやく落ち着きを取り戻した頃―― コーデリアは、剣先をガリウスの喉元に突きつけ、冷たく言い放った。
「私たちはすぐにこの街を出ていく。もう二度と私たちの前に現れないで」
その言葉は、過去の呪縛を断ち切る刃のように鋭く、そして静かだった。
ガリウスは、何も答えなかった。彼は護衛たちを手で制し、黙ってその場を立ち去った。
ノエルは、静かにコーデリアの背中に声をかけた。
「お見事です」
ミランダは、ルークを抱きしめながら言った。
「“かあしゃん”は、ルークのためなら世界一強いのよォ!」
コーデリアは、剣を収めながら、ルークのもとへ歩み寄った。 その瞳には、涙ではなく、誇りが宿っていた。
そして、駆け寄ってきたルークを、力強く抱きしめた。
「怖かっただろ。ごめんな」
「かあしゃん、かっこいい!大好き!」
その言葉に、コーデリアの瞳が潤んだ。 だが、涙は流れなかった。代わりに、慈愛に満ちた顔で微笑んだ。
「コーディ、あなた、最高よォ!」
ミランダが、感極まってコーデリアを抱きしめた。 その勢いは、まるで祝福のハグというより、格闘技の投げ技寸前だった。
「ちょ、ちょっと!肋骨が……!」
「愛よ、愛!これが“友情の抱擁”ってやつよ!」
ノエルも、静かに頷いた。 彼は眼鏡を直しながら、少しだけ微笑んだ。
「コーデリアさん、お疲れ様です。しっかり過去と向き合ったんですね。これからは、新しい人生だ。 そして、僕たちがその旅路を支えます。魔法と知識と、ちょっとしたお茶の力で」
「お茶の力って……」
「ハーブティーは万能です」
コーデリアは、ルークとエリスの手を握り、ノエルとミランダを見つめた。
「そうだな。私たちの旅は、これからが本番だ」
彼女は、自分を裏切った過去の夫ではなく、 自分を支えてくれるノエルとミランダという新たな家族と、 そして愛する子どもと共に、堂々と交易都市の門をくぐった。
子連れ剣士の孤独な戦いは、終わった。 これからは、仲間と共に、愛と絆の剣を振るう、新たな冒険が始まる。
コーデリアの顔には、この世界で生きていくための、 強く、そして優しい、母の笑顔が輝いていた。
そしてその背後では、ミランダが「次の街では、スイーツ巡りよ!」と叫び、 ノエルが「地図はもう準備済みです」と冷静に返し、 ルークとエリスが「スイーツ!スイーツ!」と跳ね回っていた。




