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神算日露戦争  作者: いばらき良好
第2章
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2の2 神算二〇三高地

 十一月二十二日早朝、児玉は田中少佐と衛兵二〇名で大連駅に立った。

 大連は旅順の戦場に近く、良港なので、野戦病院や物資の陸揚げで忙しい。

 風が冷たい。児玉たちは一時の休息で大衆食堂に入った。まだ開店してすぐだろう、先客は一名だ。笑顔の女将さんが対応に出て来た。

「女将、二二名だが食事を頼みたい。これで若いのに腹一杯食べさせてやってくれ」

 児玉は財布から三円(現代の十二万円相当)を女将さんに手渡した。

「まあ、こんなに、よろしいのですか。小さな食堂で御馳走は在りませんけど、精一杯お料理させて戴きます。もう他のお客さん断わって、貸し切りにしちゃいましょうかね」

 大金を見て驚いたようだ。もともと女将さんは明るい性格なのだろう。対応も良い。この店は正解だったようだ。

 見ると、先客の一名は驚いている様子。次の来客もあるだろう。戦場で苦労しているのは民間人も同じなのだから、威張るのは良くはない。

「女将、わしらは二交代で食べよう。気にするな。千客万来、商売繁盛だ」

「すみません。精一杯おもてなしさせて貰いますので。では、お席にお座り下さい」

 お辞儀をして、奥へお金を仕舞いに入ると、多分ご主人の板前さんだろう。厨房から出て来て、深く頭を垂れて奥に下がった。

「田中少佐、二班に分かれて食事と警備を行う。わしと田中少佐が指揮を取り、交代で食事だ。金はわしが払ったので、若いのにも遠慮するなと言ってくれ」

「はい、二班に分けて、ご馳走になります。児玉総参謀長殿は、先にお食事下さい」

「わかった」

 児玉は先に店内に入った。まもなく一〇名が敬礼して席に着く。大陸式のテーブル二つに、五と六に分かれて椅子に座った。

「皆さま、ようこそ。寒かったでしょう。お茶をどうぞ」

 女将さんが全員にお茶を注いだ。若い兵には年長の姉くらいであろう。有り難うございますと礼を言う。

「皆さまのお代は閣下から沢山頂きました。お料理は店にお任せ下さい。うちの主人が全力でご用意させて戴きます。好き嫌いが在りましたら、遠慮なくお申し付け下さい。すみませんが、今しばらくお待ち下さいね」


 十数分ほど児玉が、若い兵に出身地や特技、家族の話などを聞いていると、料理が並んだ。鍋で湯気の立つ豚汁、よく焼いた鰯、白く透き通った槍烏賊の刺身、赤蕪の甘酢漬け、金柑の甘露煮、おひつを開けると艶やかな銀シャリだ。戦地なのに豪華である。

「あのーぅ、東北の地酒もありますが」

 と児玉に尋ねる女将さん。清国人と違って、勤勉な日本人は朝から酒は飲まない。

「仕事前なので酒は無しだ。さあ皆、食べてくれ」

「いただきます」

 女将さんが、笑顔で鍋から豚肉や野菜をよそってくれた。

「ご飯もお代わりして下さいね。他に食べたい物は在りますか?」

 家族的な楽しさか、若い剣道の猛者にも笑顔がこぼれた。

 美味い飯である。豚汁には隠し味のピり辛な工夫がある。

 児玉は豪気だ。序列が厳しい軍隊で、将と兵が同じ鍋を食すなど、誰かが見ていれば立場上叱る役なのだが、命令一つで死なせるかもしれない間柄。

 若者は可愛い。彼らが士官となり、三十年後に将軍になる夢を見る。ただの無駄死にで、失う訳にはいかない命だ。だから日露戦争は勝たねばならない。

 日本に生まれた子供たちをロシア人の奴隷には、絶対させない。絶対にだ。

 児玉は自分の責任を、全力で果たすと決めた。

 今日会う未来人とは何だろう。日本勝利のために神仏が道を示すなら、素直に学び、突き進もうと思う。

「食べたら外の仲間と交代だ。お前たち茶碗に米粒を残すなよ。女将、有り難う。本当に美味かった。後半の一一人も宜しく頼む」

 身体も温まり、自然に活力が湧いて来た。

「どうもお粗末様でした。お任せ下さい。お料理も準備出来ています」

 児玉は頷き、残りのお茶を流し込んだ。

「じゃあ、交代だ。ご馳走様でした」

「ご馳走様でした」

 軍人の習性で行動は早い。兵は席を立ち、背嚢と銃を整える。

「有り難うございました。お気を付けて。有り難うございました」

 女将さんは笑顔で、ひとり一人に礼を言った。


 外気は冷たかった。身の引き締まる思いがする。

「美味かった。田中少佐、交代だ」

「はい。失礼します」

 後半の班が店に入り、食事をする。

 児玉は久しぶりに兵の指揮を執った。

「ではこれより、この児玉が指揮を執る。全員整列」

 児玉の前に一〇名が横に並んだ。

「番号」

 一から十の答えが返る。

「休め。お前たちに言って置く。軍人にはそれぞれ役目がある。総参謀長のわしは大山総司令官をしっかりと支えて、勝つための作戦を考え、それを命じるのが仕事だ。例え旅順攻撃の最前線であっても、必要ならわしは出て行って命令する。お前たちは、わしを守るのが今回の役目だ。わしは約束する。必ず日本を勝利させる。だから力を貸してくれ。祖国日本を救う為に、わしに命を預けてくれ」

「はい」

 もともと田中少佐が選んだ精鋭たちだ。いい面構えだった。

 仕事に目的意識は大事だ。時局が許されるなら、兵の末端まで説いて回りたい。

「よし、堅苦しいのはここまでだ。お前ら円陣になれ。歌を歌うぞ。豚汁を食ったのでなあ、長州の亥の子歌じゃ」

 戸惑う兵たち。円陣に児玉も加わって、自ら歌い始めた。


『歌の始めは、やーはーえー、あら、やっとこせ

 一には、京都の清水様よ

 二には、二宮尊徳先生

 三には、讃岐の金毘羅様よ

 四には、信濃の善光寺様よ

 五つ、出雲の大やしろ(社)様よ

 六つ、昔の人丸(柿本人麻呂)様よ

 七つ、奈良の大仏様よ

 八つ、八幡の八幡様よ

 九つ、高野の弘法大師

 十では、ところ(地域)の氏神様よ

 松前殿様、ニシンの茶漬け

 娘十七八ちゃ、蝶々がとまる

 餅は見せても、いかい(大きい)方が良いよ』


「ははっ、これは失敬」

 街角で騒ぐのは恥ずかしいが、皆豪傑になれと思っている。最近の児玉は苦しかった。日本兵は傷を負っても交代がいない。ロシア軍はシベリア鉄道でどんどん増援されている。このままでは負けてしまう。打開策はないのか。ヒントを求めて同じ所をぐるぐる彷徨っていた感がある。

 未来人のこと、町の活気、若い兵士たち、自分の役目。児玉は進もうと思う。

「じゃあ次は元陸軍大臣として話そう。軍隊を強くするには科学力が重要だ。たとえば機関銃である。一秒間に三発撃てて六〇連射できる小銃が、数百挺単位で各連隊にあったら強いと思わぬか。それには大量の弾が必要だ。手作業で一個ずつ削っていたら、とても用意出来ない。自動機械を作って二十四時間作業させれば良い。しかし金が掛かる。そうすると金持ちの国の方が、強いという訳だ。

 小さい国が勝つには戦術しかない。敵の弱い所を味方の強い所で叩く。小さい勝ちの連続で勝負する。それが今の日本だ」


 ちょうど後半の田中少佐たちが、店から出て来た。

「児玉総参謀長殿、ご馳走様でした」

 一同が礼を述べた。

「それでは、再び田中少佐に衛兵の指揮を任せる。皆に言っとくが、今日の礼はいいから、日本の為に働きなさい」

「はい」

 元気な返事が返って来た。女将さんに感謝の挨拶をして出発する。

 児玉は顔の表情を引き締めて、鬼神のごとく一歩を踏み出した。

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