5の6 ロシア革命なる
三月三日、ロシアにソビエト臨時政府が樹立された。ソビエト大会の代議員は、ボリシェヴィキが三百数十名、エスエルが百数十名、メンシェヴィキが数十名であった。
革命のどさくさで正規と非正規の代議員が区別出来なかったが、人民委員会議長には、レーニンが選ばれた。
外務人民委員にトロツキー、民族問題人民委員にスターリンが選出された。
イルクーツクにおいても、ラスプーチンの評判は良くなかった。
それは毎日の酒盛りと乱痴気騒ぎ、貴族の御婦人とのいかがわしい関係や品のない言動である。
アレクサンドラ皇后との悪い噂まで出ては、国家の一大事である。
唯一の長所は、今年二歳になる皇太子アレクセイ殿下の治療である。
しかし、治療といっても何をしているのか周りには理解出来ないし、皇太子殿下の病名すらも秘密であった。
皇室の腐敗は、ラスプーチンにある。
以前から侍従ベゾブラーゾフは、僧のラスプーチンが目障りであった。
怪しい出自。神に仕えているとは名ばかりで、信仰心の欠片もない。
治療と称して、幼児に麻薬か阿片でも使っているのかも知れない。このままでは皇太子殿下が廃人となってしまう。
何とか、お救いせねばならない。
ベゾブラーゾフは、嫉妬と自分だけの正義感から、ラスプーチンの殺害を計画した。
他の貴族も協力して、皇后の側から離れるように、郊外の貴族宅に招待した。
実際、ラスプーチンは隙だらけだ。
特に酒と女にだらしない。タダ酒に呼ばれて、ほいほいと出て来た。
準備を整えた決行日、乱痴気騒ぎのラスプーチンに、酌女を使って青酸カリ入りの毒酒を飲ませた。
殺意に鈍感なのもさておき、さすがに毒には苦しんだ。劇薬の青酸カリであるから、人間なら死ぬであろう。
しかし、自慢の超能力で死ななかった。
ベゾブラーゾフは、毒を吐いている現場に乗り込んで行って、用意した拳銃でラスプーチンを撃った。
ところが異様な眼力で、数発も外された。
ベゾブラーゾフは心臓が苦しくなり、あせって必死に拳銃を押さえた。
倒さなければやられる。超能力で心臓を潰す気だ。
震える両手で撃った最後の一発が、かろうじてラスプーチンの胸に命中した。
ついに打ち倒したぞと、ベゾブラーゾフは苦笑いした。心臓の痛みが消えた。
対するラスプーチンは最後の力で、近くの皿を投げた。
銀皿は空中で回転し、猛烈な勢いで、ベゾブラーゾフの眉間に命中した。
お追従を言う側近のいなくなった孤独なニコライ二世に、
「ロシアの混乱を収拾するには新しい皇帝の名前が必要であります」
と、ウィッテから退位を進言された。
面白くないが、ニコライ二世の周囲に残ったまともなのはウィッテだけだった。
直言が癇に障るが、結果としてこの男は今まで正しかった。鉄道建設の重要性、国家財政の健全化、日露戦争の回避。
しかし、ウィッテを遠ざけ、賛同者ばかりの意見を聞いて来た。周囲のお世辞は気分が良かった。
日露戦争に負け、革命軍からシベリアまで逃げて来ると、権力の亡者や太鼓持は、一人も責任を取らずに逃亡してしまった。
ポーツマスで日本と決着して来たウィッテの見識を信じてみよう。
「わかった。ミハイル大公に譲ろう」
ニコライ二世の四弟で二十七歳の若き軍人だった。
「譲位でよろしいのですか。すぐにミハイル大公殿下にご連絡いたします」
ウィッテは驚いた様子だ。今度も反対されると思っていたのであろう。
ロシア皇帝は、この世の神。ニコライ二世は、我がままを通して来た。それが神だと思ったし、強がりでもあった。神は引き際も誇り高く在りたい。
ウィッテに説明してやった。
「実は、ひとり息子のアレクセイが病弱なのだ。そこで薬が良いという日本へ亡命する。予の居ない方が新政権もやり易いだろう。ウィッテはミハイル大公を助けよ」
亡命とは、すべてを投げ出して頼ることだが、ニコライ二世の意識は旅行するに近い。別荘を日本に得るくらいの感覚だった。
「かしこまりました」
ウィッテは静かに退室した。
三月二十日、ミハイル帝のイルクーツク政府が立ち上がった。首相にはウィッテが就任した。
先帝の個人資産から、二十億金ルーブル(約二十億円、現八十兆円)が、イルクーツク政府の国庫に入った。
残りの六億金ルーブルを持って先帝ニコライは、アレクサンドラ皇太后やオリガ、タチアナ、マリア、アナスタシアの四皇女と、二歳のアレクセイ皇子を連れて、従者とともに日本へ向かった。
四月七日、下関では先帝ニコライの上陸反対運動が起きた。
ニコライ二世が退位して先帝となり、日本へ亡命するという噂は、奉天、釜山を経て下関から全国に広がり、各地で警察に加えて憲兵隊も出動する騒ぎとなった。
参謀総長の児玉は、問題解決のために、下関へと大至急向かった。
翌朝には、先帝ニコライに拝謁し、「アレクセイ皇子治療のため日本に亡命したい」と正式に聞かされた。
日露戦争の親玉だ。国民の怒りもあるだろう。
児玉は「神算」の頭脳をめぐらせた。
「日本国民には戦争の恨みもあります。テロに遭わないためには、明治天皇に上陸願いを出すことです。そして日本政府に多額の寄付をしてください」
児玉の忠告に従い先帝ニコライは、天皇への親書と資産の半分の三億金ルーブル(約三億円、現十二兆円)を日本政府に寄付した。
児玉の指示でこの情報は新聞記者多数に公開され、九日の全国各地の新聞に記載された「明治天皇にロシア先帝が謝罪」という添書により、国民の怒りは急速に収まった。
児玉の付き添いで、二歳のアレクセイ皇子は佐世保海軍病院に移動し、急きょ東京から来たハンス医師が診療した。
黒人ハンス医師は、未来の医学知識で先帝ニコライ家族とロシア侍医に説明する。
「血友病は英ヴィクトリア女王からの遺伝です。身体に血液凝固因子が少ないか、全く有りません。治療は第八因子あるいは第九因子を注射することです。多くは有りませんが、新薬のリコビナント製剤が有ります。貴重なために、外出血や内出血の時にのみ注射して下さい」
「たかが黒人」と侮蔑していた様子の先帝ニコライは、英仏、仏露の通訳を経て、治療と点滴の様子に、深いため息をついた。
「感心した。日本の医学は凄い。戦争では、とても敵わないわけだ」
凄いのは日本でなくハンス医師と未来世界だと、児玉は内心で思った。ハンス医師の治療で、きっと良くなるだろう。元敵方ロシアの皇子だが、病気の子供に罪はない。
しかし、未来薬には限りがある。
児玉は、早くこの日本で未来薬が、複製出来ることを望んだ。先の財団法人三施設には、俊英の学者たちが集まって来ている。あと少しであろう。
児玉の案内で先帝ニコライは、異例の佐世保鎮守府にてお出迎えになられた明治天皇に拝謁して、亡命を許された。日露戦争の両元首は、大津事件から十五年を経て再び握手を交わした。
「軽井沢に離宮を造営して住むがよかろう。ニコライ」
明治天皇が威厳とともに愛情ある滞在許可を出してくれた。天皇のお墨付きは最高の保証となるだろう。




