5の3 ロシア革命なる
十一月十二日、小村は北京に到着した。今回もハンス医師が同行した。
清国の馬車でホテル「グランドテル・ワゴンリ」に入る。ポーツマス条約は、清国に了承させて完成となるのだ。
清国側にだいぶ待たされて、十六日に内田康哉駐清公使とともに、乾清宮内で皇帝と西太后に謁見し、明治天皇の親書を捧呈した。
その後、清国の参謀本部にて日清会談となった。
相手は、軍機大臣兼総理外務部事務の慶親王、軍機大臣兼外務部尚書の瞿鴻機、北洋大臣兼直隷総督の袁世凱であった。
清国側は、日本とロシアが何を決めようが自分たちが中華だという態度で、日本との交渉をはぐらかして、一向に進展しなかった。
「日本が将兵の命と国運を賭けて貫徹したことだ。座上の議論で左右するな」
このように小村が怒ったのは第八回会談でのこと。そして結論が出たのが第二十二回会談であった。
大任を終えて安心したのか、社交界のパーティで貧血に倒れた。
「小村さん、大丈夫ですか」
ハンス医師は心配の様子だ。
小村は、連日の緊張とストレスで体重が三十五キロまで消耗していた。
「どうも酔ったらしい」
「疲れているのです。深酒はダメですよ」
ハンス医師の治療のお陰で、翌日には回復した。すこぶる調子が良い。名医だ。ハンス医師に快調を告げると、
「それはストレスというプレッシャーが消えたからです」
と諭された。どうも気の病いだったらしい。
「薬よりも体力を付けて下さい」
朝には水餃子とレバニラ炒めを食べた。久々に満腹になった。
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満洲善後条約
一、長城以北で東経一一五度以東から鴨緑江と図們江までを満洲地方とする。
二、日露戦争により満洲の利権がロシアから日本に移ったことを知る。
三、清国は満洲における日本の鉄道守備隊を認める。
四、清国は満洲における日本の鉄道敷設、鉱山採掘、管理、居住を認める。
五、日本は北緯四〇度以南の遼東半島を二千万円(現八千億円)で購入する。
六、日清両国は満洲における議会と商工業の発展を妨害しない。
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四条に「管理」と入れたのは、満洲が混乱した場合に、文字通り満洲を管理するという拡大解釈も含まれる。
五条の遼東半島購入の二千万円は、三国干渉(一八九五年)で清国から得た三千万両(約四千五百万円)から計算した。租借よりも買ってしまった方が建設に力が入る。
六条の「議会」の文言はハンス医師の悲願「民主化」の言い換えであった。日本の立憲君主制は崩せない。しかし努力によって満洲の地に小さな芽が出たのだ。小村も応援する。一二〇年後には大樹となっていてほしい。
これにより、戦後処理は完了した。




