5の2 ロシア革命なる
韓国には国家財政という観念がなく、王族や大臣が勝手にお金を使い、勝手に税を取り立てていた。そんな韓国へ日本は毎年五百万円(現二千億円)もの財政補填をして、懸命に破綻を防いでいた。
しかし、韓国はロシアにさまざまな利権を売り渡してしまった。これが日露戦争の原因である。
日本は韓国をそのままには放置できない。
桂タフト協定および日英同盟、ポーツマス条約で、米英露から韓国保護を認められた日本は、元老の伊藤博文を「韓国保護全権」として派遣した。
十一月十日に、伊藤と林権助駐韓公使は、韓国皇帝に明治天皇の親書を捧呈した。
同時に韓国閣僚を参内させた。参政(首相)韓圭咼(咼のうえに卜がつく)、外相朴斉純、内相李址鎔、度支相(蔵相)閔泳綺、軍相李根沢、法相李夏栄、学相李完用、農相権重顕。
そして御前会議が開かれたが、日本の韓国保護案は否決された。
「もちろん考えはある」
日本のメンツを潰された伊藤は、韓国駐劄軍司令官の長谷川好道大将を参内させた。
「長谷川大将、王宮を封鎖せよ」
日本軍による王宮封鎖は、皇帝軟禁に等しい。
そして伊藤は、韓国の置かれた立場を文書にして述べた。言葉の違いから些事や言葉尻を取られたくなかったからであり、漢文は日韓の共通語である。
一、国家予算について、韓国は日本の支援無しで成立しないこと。
一、外交上、ロシアの言いなりだったのを日本が救ったこと。
一、戦争でなく、日本は平和的に条約を結びたいこと。
「韓参政、これを皇帝陛下にお届け下さい」
老練な伊藤の威圧感に韓国側は恐怖した。
皇帝は「李一族の身分保障」を要求した。
伊藤は自ら筆を取って修正を行い、皇帝もしぶしぶ許可。
韓参政は抗議を示して毒を飲み、自害して果てた。
あとを継いだ朴外相が、伊藤全権とともに調印した。
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朝鮮善後条約
一、大韓帝国初代皇帝高宗(李載晃)は皇太子純宗(李拓)に譲位する。
二、純宗は国号を伝統ある「朝鮮」に戻し、二十七代朝鮮王と称す。
三、王世子は七弟の英親王(李垠)とする。
四、朝鮮王から大日本帝国天皇に主権を移す。
五、朝鮮総督府を設立して指導・保護・管理を行う。
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