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神算日露戦争  作者: いばらき良好
第5章
26/33

5の1 ロシア革命なる

 小村寿太郎が外務大臣となったのは、明治三十四年(一九〇一)である。

 すぐに日英同盟を成し遂げ、現在においては、日露講和の大任を背負っている。

 お金がない。弾薬もない。兵も傷だらけで、これ以上は戦えないという状況だった。

 明治三十八年(一九〇五)五月二十七日と二十八日の日本海海戦で、日本の連合艦隊はバルチック艦隊に完全勝利した。被害は水雷艇一隻と人員のみ。

 小村は冷静に今が講和のチャンスだと見極めた。


 六月一日、小村は高平小五郎駐米公使に打電して、ルーズベルト大統領へ日露の仲介を依頼した。

 会談場所にアメリカ側は機密保持となるポーツマス軍港を推薦し、日露は外交戦の末にアメリカの推薦に従った。


 七月八日、小村全権団は「ミネソタ号」で横浜から米国へ向かった。船上で小村は、御前会議で決定された講和条件を、英文と仏文にまとめさせた。

 従者には、病弱な小村を心配したのだろうか、児玉大将が黒人のハンス医師を付けてくれた。内々には未来人と聞いている。長旅だ。ゆっくり話を聞こうと思う。


 七月二十九日、日本では桂太郎首相が、来日したアメリカ陸軍長官ウィリアム・ハワード・タフトと、協定を結んだ。

一、アメリカのフィリピン支配と日本の韓国支配を認め合う。

二、極東平和の為に、日米英による同盟締結を希望する。


 八月一日、イギリスでは林董特命全権駐英公使が、イギリス外務大臣ランズダウン五世侯爵と、第二次日英同盟を結んだ。

一、締結国が一国以上と交戦した場合には、これを助けて参戦すること。

二、イギリスのインド支配と日本の韓国支配を認め合う。

三、満洲のイギリス利権と福建の日本利権を交換する。


 八月九日、ポーツマス軍港の第八十六号ビルが、日露講和会議の会場に決まった。レンガ作りの三階建てで、綺麗な絨毯と木の内装の落着いた室内である。

 そして翌日から日露講和会議が開催された。

 小村たちは、ホテル「ウェントワース・バイ・ザ・シー」を出発し、第八十六号ビルに勇ましく入った。三階大広間には、長方形の大型テーブルと革張り椅子が五席ずつ、多種の筆記用具も揃っていた。会議は代表者五名ずつで行うと決めた。

 初めから両者とも互いに譲らず、しだいに激高してきた。

「ヨーロッパ・ロシアは健在だ。アジアの一角を取られた位で、ロシアは負けていない。賠償金は拒否する」

 身長一八〇センチを超える大白熊のようなウィッテ全権は、そう主張してテーブルを叩き、鬼のように赤くなった。

「陸戦、海戦ともに日本の完全勝利であり、勝者は日本だ」

 一五〇センチに満たないネズミのような小村全権も、一歩も引かぬ構えで交渉した。

 連日の議論は全く収拾が着かず、条件の正当性について、互いに論証しあう正義と正義のぶつかり合いであった。

 この悶着がもう一ヶ月も続いた。

「しょうがない。賠償金二十二億を十二億円にまける。これでダメなら戦争だ。東ヨーロッパまで日本は攻めて行くし、その強さをロシアは知っているはずだ。細かい交渉は終わりにしようぜ」

 キレた小村の本気の啖呵は、なぜか良く利いた。

 ロシア側五人は意見が割れたようで、全権のウィッテが折れた。

「ここまでです。条件を呑みましょう」


 九月五日、小村とウィッテの両全権は、日露講和条約(ポーツマス条約)に決着をつけた。夏の熱戦たる長丁場であった。

 調印式で小村は、連日の疲れに加えて腹痛と下痢、高熱にうなされて、精神力だけでやっと立っている状態だった。

「何とかしてくれ」

 公式行事が済むと控室に飛び込んで、ハンス医師の診断を受ける。

「ロシアに毒を盛られたのか?」

 あまりに苦しくて、ハンス医師に悪態をさらした。

「落ち着いて下さい。重度の食当たり、腸チフスです。しかし未来の薬があります。すぐに飲んで下さい」

 抗生物質が処方された。新薬を水で飲み込む。

 二時間ほどソファーに寝て、夕刻には気合いでホテルまで帰った。馬車の中でも、気持ち悪くてグダグダだった。

 翌朝には痛みの峠を越えていた。滝のような冷汗も消えていた。

「いくぶん楽になったよ」

 ハンス医師は、小村の命の恩人となった。


――――――――――――――――――――

   ポーツマス条約

一、ロシアは、韓国における日本の指導・保護・管理の権利を認める。

二、日露両国は、満洲における商工業の発展を妨害しない。

三、ロシアは、満洲における鉄道と鉱山の権利を日本に譲る。

四、ロシアは、遼東半島の租借権を日本に譲る。

五、ロシアは、サガレン(樺太)州を日本に割譲する。

六、ロシアは、プリモルスキー(沿海)州を日本に割譲する。

七、ロシアは、アムール州を日本に割譲する。

八、ロシアは、ロシア領飛び地のウラジオストク(浦塩)は武装解除する。

九、日露両国の軍隊は、鉄道守備隊を除き、満洲から撤退する。

十、ロシアは、賠償金十二億円を日本に支払う。

――――――――――――――――――――


 三日後、ハンス医師の薬で快復した小村は、ポーツマスから、米英仏独に条約締結の報告と謝辞を送った。ルーズベルト大統領にもオイスター湾の別荘を訪ねて、格別の支援を頂いたことを感謝した。

 大仕事をやり遂げて帰路についた。ハンス医師と故郷ニューオーリンズを見に行く。

「面影しかありません」

 ハンス医師は嘆いた。そうであろう一二〇年前の世界だ。

 これから幾度となく氾濫し、補修されたであろうミシシッピ川。大河は悠々と流れる。

「さすがにデカイな」

 小村は、日本の河川とは違う大きさに感激した。

 このアメリカという国は、将来日本の敵になるだろう。ハンス医師の話でも聞いた「太平洋戦争」だ。それは強敵である。

 また、人種のるつぼのアメリカは、多様な天才と莫大なお金を生み出すであろう。

「マイ・マザー(母さん)」

 ハンス医師は、人々の雑踏に母上を探した。涙目であった。

 もちろん、そこには居ない。

 首を振って母上を探す「時間の孤児」に小村は同情した。

「いつか逢えるさ。タイムゲートは稲妻の磁場か何かだろ。大丈夫、神様を信じろ」

「はい」

 ハンス医師は胸で十字を切った。

 ひと月後の十月十六日、ハンス医師と小村全権団は、横浜に帰国した。

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