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神算日露戦争  作者: いばらき良好
第4章
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4の4 未来船

 六月三日、秋山は、東郷司令長官のお供をして佐世保海軍病院に向かった。通訳として山本大尉も同行した。

 目的は、バルチック艦隊司令長官だったロジェストヴェンスキー中将のお見舞いである。

 中将は、戦いの序盤で足に重傷を負い、意識不明のまま捕縛されたが、その後の治療により意識は回復し、今の容体は落ち着いているそうである。

 三人は背筋を伸ばして歩き、海軍病院の門を潜る。中は玄関から待合まで多数の怪我人であふれていた。

 東郷司令長官は白シャツの平服姿、秋山と山本大尉は白の将校夏衣である。

 秋山にも、病棟の配置についての知識は僅かながらあった。

 海軍中佐の秋山と山本大尉が、白シャツ姿の男に平身低頭、畏まっているのを見て、病人たちは一体誰であろうかと驚く様子である。歩いて行くとすぐに軍医が飛んで来た。

「海軍大軍医(大尉)の青木孝一であります」

 秋山は敬礼に応え、

「秋山真之中佐だ。こちらは連合艦隊司令長官の東郷平八郎大将である」

「自分は山本信次郎大尉であります」

 大将と聞いた青木軍医の顔に驚きと尊敬の念が浮かんだ。

 同じく怪我人たちが反応して一斉に飛びあがり、直立不動で敬礼した。

 東郷司令長官は怪我人たちに答礼し、

「そんまま、そんまま、お忍びでごあすけん、休んでてなぁ」

 東郷司令長官の言葉に、青木軍医が皆に座るように身振り手振りし、振り返って頭を下げた。

「連合艦隊の勝利で日本は救われました。有難うございました。我々軍医一同は、全力でもって治療させてもらいます」

「有り難うでごあす。ご苦労をお掛けしもす」

 東郷司令長官は、青木軍医に丁寧に頭を下げた。

 秋山も嬉しい。青木軍医に聞いてみた。

「ところで軍医殿、ここにロジェストヴェンスキー中将が入院しているのだが、場所はどこであるか?」

「離れです。特別なお方なので。案内いたします」

「中将の具合は?」

「はい、頭部打撲と背中の火傷、左足首を骨折の重傷です」

 外科や内科の病棟の奥、衛兵に守られた建物に三人は案内された。


 個室のベッドに中将は伏せていた。ロシア人副官も特別に付き添っている。

 秋山は、部屋の入り口で東郷平八郎連合艦隊司令長官が来たと静かに告げ、山本大尉がフランス語でゆっくりと通訳した。

 包帯姿で上半身起き上がろうとする中将を、東郷司令長官は手で制した。

「そんまま、そんまま、休んじょってくれ。軍医殿、話しても大丈夫か?」

 東郷司令長官は、非常に相手を気遣った。威圧感のある軍服でなく、白シャツで来たのも思いやりであった。

「はい、ただし興奮して激高することの無き様に、お願いいたします」

「解かりもした。椅子を貸しちょくれ」

 東郷司令長官は、中将を見下ろして威圧しないように椅子に座った。

「東郷平八郎でごあす。傷は痛みますか?」

 山本大尉が訳す。中将はフランス語も完璧に会得していた。

「ロジェストヴェンスキー中将です。あなたと戦ったのですね」

「はい。作戦はこの秋山君が考えもした。秋山君の智謀は、湧くが如しでごわす」

 秋山は、静かに会釈した。

「日本海軍は強かった。だが言い訳をさせてもらえば、我らのバルチック艦隊は、長旅で疲れていたのです。極寒に暮らす北のロシア人が、熱帯を越える旅には耐えられなかった」

 非常に残念そうである。

「ご理解致しもす。ロシア海軍の強さは身を以って体験しもした」

「我が旗艦スワロフは最初に被弾し、司令塔で私は意識を失いました。情けない話です。海戦の結果を教えて頂けますか?」

 横たわった青い顔で細身のロ中将が、申し訳なさそうに聞いた。

「秋山君、報告してくれ」

 秋山が話を継いだ。

「バルチック艦隊について、沈没二一隻、拿捕一一隻、シナへの逃亡六隻です。ロシア側の戦死者約三八〇〇名、捕虜は一万名であります。日本の被害は、水雷艇一隻が撃沈、戦死者は四〇名であります」

「完敗ですね。すべて私の失態です」

 中将は、両手で顔を覆った。

「日本には『戦は時の運』という言葉がありもす。じゃっでーこの東郷が病院で寝ていたかも知れもはん」

 東郷司令長官が慰めた。

「私は平民です。父は軍医でした。私の能力を認めて海軍参謀総長にまで採りたててもらい、さらに艦隊まで任せて戴いた皇帝陛下を、結果的に裏切ってしまいました」

 秋山も同情した。しかし、戦争である。勝者敗者は必ず生まれる。その司令長官が言い訳をしては見苦しい。

「残酷なようでごあすが、あんたにはロシアへ帰って、皇帝陛下にこの戦争の終結を進言して戴きたい」

 東郷司令長官が言ってくれた。

 おそらく中将がロシアに帰れば、負けた責任を取らされてギロチン刑だろう。そのくらい誰にでも予測できる。しかし、報告するのも長官たる職務であろう。

「判りました。最後のご奉公をさせて頂きます。あとで聞いた話ですが、日本海軍は巨大な病院船をお持ちだとか。本当でしょうか?」

 東郷司令長官は、ただ無言で頷いて、ゆっくりと立ち上がった。

 秋山は心中を計った。東郷は連合艦隊司令長官だ。例え口が裂けても、未来船のお蔭で勝てたとは言えないだろう。死んだ者たちに失礼である。

「まずはしっかり、怪我を治してくやんせ。今日はこれで失礼いたしもす」

「戦った相手が東郷さんでよかった。今日は有り難う」

 と言って中将が右手を差し出し、東郷司令長官もしっかりと握手をした。

 山本大尉は額の汗を拭い、通訳の大役は終わりとなった。


 病室を出て帰路の中庭で、青木軍医は、

「長官、日本人の怪我人も当病院には多く居りまして、重傷者だけでも一言お声を掛けては頂けませんでしょうか?」

 軍医も怪我人も懸命に頑張っているのだ。

「解かりもした。軍医殿、案内してくれ」

「はい」

 病棟廻りが始まった。青木軍医が案内し、秋山が東郷司令長官を紹介した。

「諸君らのお陰で日本は強国ロシアに勝てた。ありがとう。諸君らの受けた傷は、名誉の負傷である。早く治して元気になってくれ」

 この東郷司令長官の言葉は本心であった。決して言わされている訳ではない。

 感激して涙する患者もいた。

 秋山は号泣するその一人で、高野五十六少尉候補生(のちの山本五十六元帥)の名札のある青年に声を掛けた。

 左手指に痛々しく包帯をして、足も負傷しているようだ。

「具合はどうだ?」

「はい、新薬のお陰で片腕を切断しないで済みました」

 秋山は気が付いた。それはハンス医師の未来薬であろう。若い命を救えた事は、自分の事のように嬉しい。

「不幸中の幸いだったな。若者よ、怪我を直して頑張ってくれよ」

「はい」

 とても良い目をした若者である。

 秋山は、東郷司令長官に続いて病室を出た。

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