4の3 未来船
「秋山参謀、着きました」
落ち着いた操船で、野内艇長が敵戦艦に横付けした。
山本大尉は、未だか未だかと外に出ていた。水兵たちの顔も緊張の様子だ。
「野内艇長感謝する。ご苦労だが帰りも頼む」
「了解しました」
秋山と山本大尉が、敵戦艦を見上げた。熱血が全身を巡る。
「山本大尉、これは戦艦ニコライ一世だ。だいぶ遣られたな」
すぐに上るぞと思ったが、弦側が高くて登れない。梯子か階段でも必要だなと、いろいろ思案していると、ロシア水兵が縄梯子を下ろした。
「指揮官先頭だ。俺が行く」
秋山は縄梯子を上った。山本大尉も続く。
破壊穴も開き、甲板上は慌ただしかった。乗り込んだ二人に、ロシア水兵が敵意の鋭い視線をくれ、お互いに身構えた。
士官らしき者は水兵に何か指示していた。
万が一にも反乱兵に後ろを取られないように注意しながら、
「日本海軍、連合艦隊参謀の秋山真之中佐である。提督にお会いしたい」
英語で言葉を発した。
「山本大尉、フランス語で頼む」
山本大尉が、ゆっくりと落ち着いた大きな声で訳してくれた。さすがは海軍士官、度胸がある。
すぐに反応があった。ロシア士官の一人が、フランス語で名乗った。
「アキヤマ、私は参謀長のクロックス中佐だ」
秋山にも、かろうじて解った。提督の所に案内するらしい。
艦内の騒ぎは、怪我人の治療と戦死者水葬の祈りの儀式のようだった。
秋山は、近くの死者の前で足を止め、両手を合わせて黙祷した。山本大尉も従った。
荒れた艦内だったが、日本人二人の弔いで序々に静かになった。今までの激しい殺気が消えて行くのを肌で感じる。
これは計算ではない。死者への礼儀は道徳として厳しく躾られている。
「さあこちらへ。提督はこの部屋だ」
クロックス参謀長から、丁寧に司令官室に案内された。そこにでは部屋の主が、うす茶色い作業服姿で書類を引っ掻きまわしていた。
秋山らは敬礼をして、
「日本海軍連合艦隊参謀の秋山真之中佐である。間違いなく降伏するのか?」
背筋を伸ばし、英語で質した。軍使は日本の代表である。
すぐに山本大尉が、フランス語で通訳してくれた。フランス語には反応があった。
部屋の主は笑顔で近付いて来て、太い声のロシア語で、
「私は艦隊指揮官のネボガドフ少将である。降伏する」
やんちゃ貴族に多い人懐っこい感じを受けた。
提督のロシア語をクロックス参謀長がフランス語に、山本大尉が日本語に訳してくれた。
「ただし、すべての艦船に連絡を取りたいので、しばらく時間が欲しい」
所作で椅子を勧められたが、
「お断りします。東郷平八郎司令長官が待っています。すぐに『三笠』に来て下さい」
秋山は、曖昧な態度を禁じた。もし反乱が起きたら如何するのだ。
「判った。着替えるから、一分だけ待ってくれ」
提督はロシア語で応じた。
「承知しました」
敬礼して司令官室を出た。クロックス参謀長が先導してくれた。
「山本大尉見たか、提督は機密書類を処分していたぞ」
秋山は周りを刺激しないように、ゆっくり静かに話しかけた。
「そうでありますか」
同じように静かに返事された。
甲板に出ると、ロシア水兵が整列しており、一斉に敬礼を取ったので、条件反射で二人も敬礼した。
クロックス参謀長がフランス語で述べた。
「死者の追悼に感謝する。ロシア海軍は、礼には礼で応える」
嬉しい言葉だ。戦闘終結を共に喜びたい気持ちだが、油断大敵である。
「諸君は勇敢に戦った。誰にも恥じる事はない。その事はこの秋山が証明する」
秋山の言葉を、山本大尉からクロックス参謀長を経て、ロシア水兵に伝わった。
「アキヤマ、スパシーバ、アキヤマ、スパシーバ」
ロシア水兵が声を上げた。
「有り難うと言っています」
それは分かっている。一応、名誉の停戦だという意味合いは伝わったようだ。
正装に着替えて勲章を胸に讃えたネボガドフ少将は、ロシア貴族らしく立派であった。
クロックス参謀長に後を託し、副官一名のみを連れて縄梯子を降りた。親分肌というか、いい度強だ。
水雷艇では野内艇長らが待っていてくれた。お陰で秋山も山本大尉も無事に使者の役目が出来た。
提督は副官を随えて船首に立った。その後ろに秋山と山本大尉が控える。
「山本大尉、ご苦労であった。陸にあがったら一杯やろう」
「はい、私は安給料です、御馳走して下さい」
敵中をたった二人で乗り切った戦友だ。親しみも湧くというもの。背中を叩いた。
「分かった。あと一息、提督を送り届けるまでが仕事だ。しっかりな」
「はい」
水雷艇は徐々に速度を上げて行った。
戦艦「三笠」では、東郷司令長官、加藤参謀長以下多数が整列して、ロシア提督を向かい入れた。
その中に、秋山もよく世話になっている巡洋艦「浅間」艦長の八代六郎大佐の顔もあった。駐ロシア武官を経てロシア語に堪能な八代大佐が、気を利かせて来てくれたのだ。
東郷司令長官とネボガドフ少将が挨拶し、八代大佐がロシア語で通訳した。
戦争は終わらせ方が最も難しい。
交渉していても、いよいよの所で「止めだ」と蹴られることもある。なにせ直前まで互いに激しい死闘を繰り広げていたのだから。
幸い、ネボガドフ少将が即席の降伏文書にサインし、八代大佐と東郷司令長官が確認して、一同笑顔となった。
八代大佐のロシア語は流暢で、薩摩隼人で無骨な東郷司令長官との間を、上手くつないでくれた。
しばしの歓談後、加藤参謀長がネボガドフ少将に戦艦「三笠」の折られたマストや艦内を見せて歩いた。
ネボガドフ少将が見えなくなると、
「秋山君、ご苦労でごあった。ネボガドフ少将も良い部下をお持ちだと言ってごわんど」
東郷司令長官が親しみの薩摩弁で秋山をねぎらった。
「有り難うございます」
「しかし今は一瞬の平和でごわす。戦争はまだ終わっておりもはんど。ロシア皇帝が戦を諦めるような作戦をぜひ頼む」
東郷司令長官は、いつも数歩先の大局を見ているのだ。
秋山は、自分の本分は作戦にあると自負するので、全幅の信頼で任せてもらえるのは、嬉しかった。
他でも小戦闘があって、ロジェストヴェンスキー中将が捕縛されたと報告があった。かなりの重傷のようだ。中将に昇級していたのを知った。
「長官、負傷兵の治療と船の修理の為に、佐世保への帰港を進言いたします」
「よかろう」
午前十一時、東郷司令長官は戦闘終了と佐世保港への帰還を連合艦隊全艦に通達した。
未来船のレーダーがバルチック艦隊を発見してから三十時間の激闘であった。
浦塩の様子は、満洲軍の児玉総参謀長から大本営経由で無電が入った。
最終的には一隻の入港も無かった。それ以前に残留していた巡洋艦ボガツイリと、大破したグロモボイとロシアの三隻が浦塩艦隊の残るすべてであった。




