4の2 未来船
「秋山君、使者に立ってくれ」
秋山は、東郷司令長官から軍使の大役を命じられた。
緊張するも、冷静に降服勧告の手順を考える。ロシア語は必要だ。ふと恩人の八代大佐の顔が浮かんだ。だがあいにく「三笠」にはロシア語が堪能な者は居なかった。
秋山は英語で話すとして、あとはフランス語かドイツ語の出来る人間が欲しいところ。未来船の時と同じ人物の顔が思い浮かんだ。
「長官、通訳にフランス語の山本信次郎大尉を御貸し下さい」
「許可する」
東郷司令長官から許可を戴いた。山本大尉は語学堪能で度胸もあって相棒には十分だ。
加藤参謀長が前へ来て、秋山に忠告して呉れた。
「秋山、反乱兵に気を付けろよ。絶対に背中を見せるな、刺されるぞ」
反乱兵に背中を刺される嫌な情景が頭をよぎった。戦争中だ。敵陣では何が起こっても不思議はない。
「はい、気を引き締めて、行って参ります」
敬礼し、東郷司令長官と加藤参謀長の返礼を受けた。
戦争では、いつ死んでもおかしくない。人格、決断力、信頼のある、いい上司に出逢えたのは幸いだ。東郷司令長官も加藤参謀長も、秋山の作戦を全幅の信頼で採用してくれた。
東郷司令長官のためなら命を賭けると不退転の決意で艦橋を後にし、一緒に連れて行く山本大尉を探した。
分隊長である山本大尉は、せわしなく砲の点検を指揮していた。膅発、いわゆる大砲の自爆事故が「敷島」「日進」「吾妻」で起きていたからだ。砲弾に使われる伊集院信管にも改良が必要なようである。
皆そうだが、連戦連勝にて喜びが隠しきれない様子に見て取れた。熱気もあるが、爽やかな海風で、汗が引いて行く。
秋山に気付いて砲を離れた山本大尉は、あわてて敬礼した。
「ご苦労、山本大尉、東郷司令長官からの命令である。一緒に敵艦に乗り込んでほしい」
「はい。仏語ですね。承知しました」
さすがに兵学校出は文武両道だ。ビシッと決まっている。
「バルチック艦隊への降伏勧告である。油断なきよう頼む」
「では、部下を何名連れて行きますか?」
もっともな意見だ。通常なら敵艦を拿捕するのに十分な人数が必要だ。その辺の裁量は、秋山が行っても差し支えないだろう。だが……、
「我ら二人で行こう。これは油断している訳ではなく、日本とロシア、国こそ違えども、使者を殺すような人間は、海軍提督にはなれないからだ」
たぶん突発的な事件でも無い限り、生きて帰れるという自信があった。
「失礼しました。それでは、カッター(短艇)を下ろさせます」
戦艦に移乗するのは大変だ。平坦なオイルタンカーとは訳が違う。
カッターか、手漕ぎでは遅い。まるでペリー来航の時の、何とか奉行みたいに弱そうだし、使者が立派に見えねば困る。
丁度、戦艦「三笠」のすぐ近くに水雷艇が目に付いた。一五〇トンくらいで小回りも利きそうだ。
「山本大尉待て、あの水雷艇を使おう。こちらに接弦するように信号を送れ」
山本大尉が部下に命じ、手旗信号が始まった。了解の信号が来る。
水雷艇はゆっくりと動き始め「三笠」に接弦した。この艇長は良い腕だ。
「よし、行くぞ」
「はい」
秋山と山本大尉が飛び込んだ。
波の揺れで滑らないよう膝に力を入れ、敬礼に応えながら小さな艦橋を潜った。
「艇長の野内文治少佐であります」
野内艇長が敬礼した。敬礼で応える。
「連合艦隊参謀の秋山真之中佐です。東郷司令長官から使者の命令を受けています。我ら二人をロシア戦艦まで送って戴きたい」
「了解しました」
「山本信次郎大尉であります。よろしくお願いします」
「使者の大役ご苦労様です。では参ります」
野内艇長がテキパキ指示を出し始めると、緊張する山本大尉は秋山に話しかけた。
「秋山参謀、質問してよろしいでありますか?」
「何だ?」
「はい、相手の提督は、誰でありますか?」
これから乗り込む交渉相手だ。大事である。交渉をしくじって、相手に駄々をこねられても困る次第。
「ロシア通の友人から聞いたことがある。ロシアは国力も船も日本の数倍だが、もともと陸軍国ゆえ海軍の人材は多くない。おそらくは海軍参謀総長のロジェストヴェンスキー少将(出航後に中将になる)か、艦隊砲術教育部長のフェリケルザム少将か、砲術学校長のネボガトフ少将あたりだろう」
友人とは広瀬武夫海軍中佐、故人だ。海軍兵学校の一期先輩で文武両道に秀で、秋山が駐米武官を命じられた時に、広瀬は駐露武官を命じられた。
堂々とした体格の海軍紳士で、ロシア社交界でも注目を集めたそうだ。
日露戦争開戦前に、広大なシベリア大地を鉄道とソリで横断して帰国し、ロシア陸海軍の貴重な情報を日本にもたらした。海軍提督の名前もその頃、聞いたものだ。
一年前の旅順口閉塞作戦で、広瀬少佐は最前線で戦死し、軍神として昇級、中佐を与えられた。
この作戦は港の入口に船を自沈させて塞いでしまうというもの。秋山は被害が多くて利なしと拒否していたが、現場の声に押された東郷司令長官が命令したものだった。
戦略的な問題は、時間であった。
ロシア・バルチック艦隊がヨーロッパから日本に到達した時に、連合艦隊は、ロシア・旅順艦隊との二正面作戦になる。いわゆる挟み撃ちになる。これは最悪の事態だ。
それまでに何とかして旅順艦隊を無力化しておきたかった。
だが、強引な作戦は失敗に終わり、親友の広瀬は死んでしまった。
結局、旅順要塞攻略戦は乃木希典(陸軍)大将の第三軍が総勢一三万人を投入し、死傷者六万人の大被害を出しても落とせず、見かねた児玉源太郎・満州軍総参謀長(陸軍大将)が指揮して二〇三高地をわずか四時間で占領し、旅順港内の艦船を砲撃して沈没させた。
秋山は、児玉大将が「神算」と呼ばれるのに納得して感謝した。
「これで本当の艦隊戦が出来る。バルチック艦隊来てみろ。広瀬のカタキを討ってやる」
秋山はそう決意して作戦を練り、必死に頑張って、その通りに勝利した。




