4の1 未来船
「長官、今や浦塩は、極東ロシアで唯一の軍事拠点であり、必ずやバルチック艦隊はここにやって来ます」
連合艦隊作戦参謀の秋山真之中佐は、東郷平八郎司令長官(海軍大将)の下で作戦計画を立案していた。ここまでは一分の隙も無い。
「秋山、対馬海峡の通過ではなく、敵は裏をかいて、東京湾攻撃じゃないのか?」
参謀長の加藤友三郎少将が心配の声を上げた。
「いいえ、必ず対馬海峡を通ります。なぜならバルチック艦隊は、すでに上海で石炭船を退避させました。であれば、短期航海しか考えられません。狙いは強硬突破です」
秋山は、いち早く無線にて上海の情報を得ていた。
そこに伝令が飛び込んで来た。まだうす暗く、日の出前の五時である。
「敵艦隊発見であります」
「レーダーか?」
秋山は、伝令に訊ねた。
「はい。福江島のオイルタンカーが、バルチック艦隊を発見しました」
「よし、長官やりました」
まさに秋山の読み通りであった。大事な未来船を、五島列島最西端に配備したのも、今日のためである。
五月二十七日の早朝、九州西北の玄界灘にて日本が先手を取った。
「戦闘を開始せよ」
東郷司令長官の号令で、日露両海軍の決戦が始まった。
海兵たちはキビキビと動いて、弾庫から砲弾を運び大砲に装填する。
「放て!」
指揮官が叫ぶと、各砲が発砲した。照準は着弾を目視して、経験で付ける。その動きは猛訓練のお陰で無駄一つ無い。
百隻以上の艦艇が入り乱れる戦闘で、戦艦の数は四対八と日本が不利。
連合艦隊は、秋山が考案した敵艦隊の先頭に集中砲撃を加える「丁字戦法」を実行した。
日本はロシアより小口径砲が多かったが、士気が高く、命中率が良かった。
その時、旗艦の戦艦「三笠」が被弾。大きな音の後にメインマストが折れた。
「おい、大丈夫か! 長官、艦橋は危険であります」
秋山は東郷司令長官の身体を心配した。大声なのは敵弾の炸裂音で耳が馬鹿になったからだ。
「わしは構わん。攻撃を続けよ」
不動の姿勢で立つ東郷司令長官は、秋山が知る最も頼もしい指揮官であった。
秋山の丁字戦法とは、バルチック艦隊の単縦陣の前を連合艦隊が横切り、丁字型に被さるというもの。バルチック艦隊は前砲門しか使えず、味方の船が邪魔をして前方照準が難しい。
一方、すれ違う連合艦隊は横向きのため、前後の全砲門を使えるが、最前列と最後尾は被弾率が高い。事実、しんがりを務めた装甲巡洋艦「日進」は、丁字の去り際に、集中砲火を浴びて多くの死傷者を出した。
玄界灘海戦を終えて、バルチック艦隊は多数撃沈。もう艦隊行動も出来ず、生き残りのロシア艦もすべて手負いで浦塩へと逃げた。
海上に浮遊する無数の木端には、ロシア水兵がしがみ付いて泳いでいた。
東郷司令長官は命じた。
「日露両国の怪我人を救助せよ。大破した『日進』と拿捕したロシア艦は、佐世保に下がらせろ」
「長官、例の三万トンオイルタンカーを臨時の病院船にしましょう」
秋山が発案した。おそらく世界一大きい船だ。広い甲板なので数千人が乗船できるであろう。
「良き考えである。秋山に任せる」
「はっ、有難うございます。病院船に怪我人と捕虜を乗せます」
秋山は「三笠」の無線室に移動した。
「参謀の秋山だ。東郷司令長官の許可を得たので無線を送ってくれ。内容はこうだ。オイルタンカーを病院船にする。軍医殿、怪我人、捕虜は病院船に移れ」
「オイルタンカーを病院船にする。軍医殿、怪我人、捕虜は病院船に移れ。以上、無線送ります」
「よし」
無線係の復唱に応えた。
無電は各艦に積んである。秋山が海軍省に三度上申し、大臣とも直接掛け合って導入したものだ。モールス信号という限定だが、有るのと無しとでは、戦い方も違ってくる。
日没までに呼び寄せたオイルタンカーに、救助したロシア水兵一万人を移し、広い甲板では海軍医官が応急処置を施した。
傷には包帯を巻き、海で低体温になった患者は風呂に入れ、温かいスープをロシア兵の全員に飲ませた。
指揮を任された秋山に対し、大柄のロシア水兵たちは感激の涙を流した。そんな男たちから、熱い思いを片言の英語で聞かされた。
「バルト海から七ヶ月。熱帯の暑さに皮膚はただれ、野菜は腐り、乾パンには虫が湧いた。飲み水も足りなかった。だから海戦は負けた。でも我々は生きている。日本人は、敵だった我々を救助し、温かいスープを飲ませてくれた。神に感謝します」
これに秋山は応えた。
「ロシア水兵がよく戦ったことを、このアキヤマは知っている。しかし、戦いは終わった。ここは病院船である。ゆっくり休んでくれ」
「スパシーバ(感謝)、アキヤマ」
握手をし、肩を抱き合って、お互いの健闘を称えた。
夜半、東郷司令長官の追撃命令により、対馬の南北に陣を敷いた。
海戦二日目もレーダーが敵艦発見。
目視確認では戦艦一隻と数隻の補助艦艇で、バルチック艦隊旗艦の旗を揚げていた。まさに敵の大将である。
「あの旗艦を撃て」
東郷司令長官の号令の下、一斉に砲撃を開始した。日本の旗艦「三笠」の主砲にも闘志が乗り移ったようだ。
最初の数発こそ外れたが、あとは全弾命中。敵の旗艦に被害を与えると、降伏の白旗がマストに揚がった。
連合艦隊は勝利した。
しかし、油断は禁物。未確定の勝ちに浮かれて、逆襲されてはたまらない。




