3の7 怒りの黒溝台
児玉総参謀長との約束を果たすべく、川村景明大将の鴨緑江軍三万は、満洲軍総司令部のある煙台に向かっていた。
ところが、二十三日の夕方から戦闘が始まっていると無電で知り、挨拶などは後だと、勝手知ったる満洲の佟二堡救援に向かった。
満洲軍と韓国駐劄軍では指揮系統が違うので、全責任は川村大将が取る。
二十四日昼の佟二堡には、ロシア騎兵およそ二万が押し寄せていた。
騎兵が最も活きるのは、機動戦の野戦だ。城攻めは得意ではない。
佟二堡陣地に八方から分散して攻める敵騎兵団に、鴨緑江軍三万が雪崩を打って攻め掛かった。
味方の奇襲は成功した。体勢を崩した敵は、一旦、北へ退いた。これに連動して、隣の蘇麻堡を攻めていた部隊五〇〇〇も下がった。
ロシア人捕虜から、指揮官名と兵数を聞き出した。ロシア第二軍司令官はグリッペンブルク大将。ミシチェンコ中将の騎兵団が二万に、コソゴフスキー少将の部隊五〇〇〇。今回その内の二〇〇〇くらいは倒した。
日本の西部には鴨緑江軍三万に、佟二堡の第二師団九〇〇〇と、蘇麻堡の後備第八旅団四五〇〇、騎兵第二旅団五〇〇〇が合流した。合計四万八五〇〇である。
退いた敵は、二万三〇〇〇で黄臘坨子に集結した。ここは黒溝台から西へ四キロの位置である。
川村大将は、黄臘坨子の敵を抜いて、ロシア軍の後方に出る作戦を考えた。第二師団長の西島助義中将も、田村騎兵少将と富岡歩兵大佐も同意した。
指揮系統が別とは、不自由なものだ。
決戦は明朝二十五日に、黒溝台西方で行う事とした。
二十四日夕、黒溝台北方の火石崗子にいたロシア第二軍司令官のグリッペンブルク大将は、ミシチェンコ騎兵団の敗退を知って怒っていた。
「乃木軍が来たに違いない。ちくしょう。クロパトキンが、もたもたしていたからだ。よし、戦ってやる。乃木をぶっ殺してやる。前進するぞ。前進だ」
第二軍司令部直属のオレンブルク・コサック騎兵師団一万を南進させた。司令部要員一〇〇名も最後尾に付いて行く。さらに黒溝台からシベリア第一軍団の半分、一万を抽出。
黄臘坨子で合流すれば、味方四万三〇〇〇対、敵日本軍約五万となる。ロシア騎兵のコサックは世界最強だから、野戦なら必ず勝てる。
「お前ら日本の猿なんかに負けたら豚以下だぞ。恥ずかしくて帰国出来ないから覚えておけ。勝って、勝って、勝つんだ」
夜中の進軍なのにグリッペンベルク大将は大騒ぎし、怒っていた。いくさの興奮は自分でも止められないようだ。
二十四日二十一時半、秋山騎兵二〇〇〇と工兵の五〇〇は、韓山台にて集合し、出陣の号令を待っていた。
恐ろしい寒さだ。月明かりの星空に大地の放射冷却で、空気が痛い。毛皮を着ていても全身の震えが止まらない。
「全員、凍傷に気を付けろ。慌てずに万全の準備をするのだ。なに、敵は逃げんさ。湯でも酒でも飲んでおけ。戦いは明朝、それまでの行軍は、体温の維持に努力せよ」
秋山は、ロシア西方軍の大将首を狙っていた。
焚き火にあたり竹筒の酒を飲む。冬には冷た過ぎて、胸に鉛を飲む気分だ。それでも酔いが回ると呼気が熱くなって来た。さあ、そろそろ行くか。愛馬に騎乗する。
「出発にあたって注意する。寒くても焚き火には近付くな。必ず敵がいる。進軍は静かに、ゆっくりでいい。明朝万全に戦えればいい。
しかし決戦となったら、死ぬ気で戦え。負ければ日本の家族が酷い事になる。畏れ多くも陛下にも御災難が降り掛かる。将兵たちよ、忠孝に励め。よし、出発だ!」
馬を反すと、騎兵第八連隊長の永沼秀文中佐が、走って来た。何事かと思うと、見るからに立派な太刀を差し出した。
「秋山少将殿、これをお持ち下さい。家宝の備前長船です。失礼かと思いますが少将殿は、指揮刀しか差しておられないようです。もし、これで敵に一撃を加えて頂ければ、お国の役に立ちますので、お持ち下さい」
「お前はどうするのだ。永沼を守るための家宝ではないか?」
秋山も困惑した。
司令官が刀で戦う戦闘は負けだ。ゆえに拳銃二丁と指揮刀しか持たなかった。
永沼中佐の声は、石に齧りついてでも、死中に活を求めよと言っている。
「自分には最高のAKMが有ります。それにサーベルで十分です」
秋山を慕って呉れている。戦いの前に、この笑顔を消すのは忍びない。
「よし、分かった。日本の為に、この家宝に働いてもらう。ただし、決戦が終わったら返すので、必ずまた逢おうぞ。一緒に酒を飲もう」
「はい、楽しみであります」
永沼中佐は、月明かりを自分の隊に走って行った。
秋山は、備前長船の太刀を腰に履く。江戸の侍が差していた打刀より、反りも長さも大きい。これは鎌倉か室町時代に作られた騎乗用である。
遥か昔にも、こうして武将が持っていた太刀だ。なんと勇ましいことであろうか。
さあ、行こう。
「いざ、出陣」




