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神算日露戦争  作者: いばらき良好
第3章
15/33

3の5 怒りの黒溝台

 昨年十月から、秋山好古少将の秋山支隊は、第二軍の最左翼を守っていた。騎兵は移動攻撃こそが本分なのだが、兵力の少ない日本軍は、騎兵を防御任務にも流用する始末。

 しかたなく秋山は、馬を下りて即席の陣地を作らせた。

 基本は村の空き家を利用している。戦地なので住民は早々に退避していた。

 満洲の塀や建物はレンガや土壁なので、要所に鉄砲狭間のための穴を開けて、小銃および機関砲を配置させた。

 しかし、日本軍最西端の四〇キロが、秋山ら騎兵の八〇〇〇では隙だらけである。そこで拠点防御に切換えた。

 李大人屯に秋山本体、その西の韓山台に三岳支隊、その西の沈旦堡に豊辺支隊、最西端の黒溝台に種田支隊と、四ヶ所に拠点を絞った。

 遠目にはただの村だが、近付く敵には必殺の銃弾をお見舞いする。小口径ながら大砲も設置した。


 十二月に突然、児玉総参謀長から見たことも無い外国製のAKMが二〇〇〇挺も届いた。弾も十分ある。

 それまでの保式機関砲は六・五ミリ三〇連発だったが、秋山支隊には一一機しかなく、重さは五〇キロもあった。

 だが、AKMは七・六二ミリ三〇連発で重さ三・二九キロしかない。

 ちなみに三十年式小銃六・五ミリ五発の重さ三・八五キロより軽いのだ。

 これには秋山始め騎兵全員が、狂喜乱舞した。二〇〇〇挺もあれば十分に戦えるぞと。


 元日に旅順が落ちると、ロシア軍の武力偵察が盛んになった。

 小戦闘を仕掛けて、日本軍の対応や弱点を探っているようだが、最西端の秋山支隊がスカスカなのは直ぐに判るであろう。

 秋山も多数斥候を出して、ロシア軍の様子を探らせた。

 近いうちに、おそらく一ヶ月以内に、ロシア軍は大規模攻勢に転ずるだろう。その事を無電にて、奥保鞏大将の第二軍司令部や大山巌元帥の満洲軍総司令部にも連絡した。

 しかし返答は一度もないのだ。送受信が悪いのかも知れない。


 そこで敵情報告と援軍を求める伝令を出した。

「冬に戦闘はない。マイナス二〇度だぞ。塹壕など数センチも掘れない。何日も雪中行軍など出来るものか」

 各司令部の参謀たちは、頭から批判的で、秋山の伝令を笑い飛ばした。

 勝利続きで油断し、寝ぼけている軍人など役に立たない。秋山は、怒りと失望で憤慨した。こうなったら自分たちでやるしかない。


 一月二十二日、そんな状況は一変した。

 児玉総参謀長から「西部戦線指令」が、秋山にも届いたからだ。

――――――――――――――――――――

 西部戦線指令 満洲軍総司令官 大山巌元帥

 秋山少将の偵察報告に基づき、満洲軍総司令部が判断した結果、ロシア軍の西方攻撃は確実である。ロシア軍のうち一〇万が遊軍として、西から回り込む作戦である。

 これに対して、臨時立見軍を編成する。次の部隊は、一月二十五日までに移動せよ。


 臨時立見軍司令官、立見尚文中将。参謀長、由比光衛大佐

 第二師団(西島助義中将)は、第一軍前線から佟二堡へ

 第三師団(大島義昌中将)は、第二軍予備から李大人屯へ

 第五師団(木越安綱中将)は、第四軍予備から沈旦堡へ

 第八師団(立見尚文中将)は、総予備から黒溝台へ

 後備歩兵第八旅団(富岡三造大佐)は、総予備から蘇麻堡へ

 秋山支隊(秋山好古少将)は、李大人屯、韓山台、沈旦堡、黒溝台から韓山台へ

 騎兵第二旅団(田村久井少将)は、五家子、牛居、媽媽街、呉家崗子から小北河へ


 なお、第二師団の抜けた前線には、第四軍の後備歩兵第十旅団が入ること。

 秋山支隊は陣地交換までは死守し、その後は、敵を撹乱するべし。

――――――――――――――――――――


 地図では、黒溝台の南が蘇麻堡、その南が佟二堡、そのさらに遠方南が小北河である。

 小北河は、湿地帯と河川に囲まれた南の出城の位置だ。氷結した今、騎兵第二旅団ならば、攻めるも退くも変幻自在だろう。

 ちょうど平仮名に丸の「つ。」の左右逆の形に布陣する事になる。

 問題は、日本の予備兵力が全く無いことだ。もし、戦線に穴が開いても補充されない。肝心の総司令部でさえもガラ空きである。

 秋山は、第三軍と鴨緑江軍の一刻も早い到着を待望した。そしてその時には、いよいよ決戦となるだろう。

 いくさが近いので秋山は、頻繁に斥候を出して敵状を探らせつつ、秋山支隊の四つの陣地をよく守るように下命した。

 西部への移動で各師団が来れば、各段に強くなる。今までの隠し砦とは、戦闘力が違うだろう。それまでの辛抱だ。


 二十三日の十五時、夕刻の大地に大量のロシア兵が進軍して来た。

「ついに来たか」

 日本の陣地転換を察知して、ロシア軍は急きょ攻撃へと移ったのだ。

 秋山は、通信兵を使って各支隊に命じた。

「すぐに味方が来る。それまで陣地を死守せよ。各師団長が到着したら、速やかに引き継いで、韓山台に集合。今は馬を下りて亀になれ」

 電話による通信が、忙しくなって来た。

「黒溝台にロシアの第一波、およそ二万が砲撃開始」

「始まったか」

 一〇倍もの敵だが、種田錠太郎大佐なら大丈夫だろう。

 秋山は、腰の竹筒から酒を飲んだ。いくさと言えば酒だ。酒豪の秋山は、酔っても判断が鈍ることはない。逆に胆力が増すのだ。

「こっちも撃って来たぞ」

 近くで雷鳴のように、猛烈な砲声が轟く。数は多いが、なに、当たらんさ。

 李大人屯の秋山本体も、ロシア兵に囲まれている。こちらも兵二万と野砲一〇〇門というところ。しばらくして電話線も切られた。まことにロシア兵の群れの多さよ。

 残るは伝令が頼りだが、昼間は抜けるのが厳しいだろう。


 夕方十七時過ぎには暗くなり、砲声は止んで、十八時には完全に静かになった。

 マイナス二〇度の世界では、ロシア生まれの白熊たちも二十四時間戦闘は出来ない。おそらく今日は震える夜となるであろう。黒い大地には、たくさんの炎が星空のように見えている。敵兵たちが暖を取っているのだ。

「明朝、ロシアは突撃してくるぞ」

 秋山は、配下の騎兵第三連隊長の中山民三郎大佐に言った。

「その時は児玉大将のAKMが、役に立ちます」

「軽く夜襲を掛ける。敵の焚火を目印に接近し、連発銃で撃ちまくれ。そうするとロシア軍は、うかつに暖を取れなくなる。この寒さだ、明日はきっと動けまい。中山大佐に頼みたい」

「判りました」

 中山大佐が了承し、少しのちに夜襲隊二五名が集まった。


 同士討ちを避けるため、決して離れないことと決めて、中山大佐が先頭に立った。

 ロシア兵のたむろする暗闇に、無言で進んで行く。毛皮の帽子にマフラー、目だけを出した防寒装備でも、かなりの寒さだ。


 本部の一室で秋山は、ランプの下に地図を広げて敵の大将を探した。どこに居るのか。クロパトキンは奉天だ。西方軍の大将は、おそらく黒溝台の後方、北に進んだ火石崗子あたりが適当だろう。

 敵の兵力は、児玉総参謀長の予想した一〇万人以上なのは間違いない。


 外で騒ぎが起こった。ロシアの夜襲だ。味方のAKMの連射音が聞こえる。

 戸を開けた秋山は、痛いような外気に触れ、防寒着を着けて陣頭に立った。

 しかし、中山隊を夜襲に出していて敵味方が判別出来ない。もし今、陣地に戻ろうと近付けば、敵として撃つしかない。ここは中山大佐の機転に賭けるしかなかった。

「よく引きつけてから撃て」

 秋山が注意した。

「このAKMは連発銃。夜は接近戦だぞ」

 ロシアの夜襲は津波のようであった。命を張った人海戦術である。

「ウラーッ」と叫んで突っ込んで来る。

「撃て、撃て」

 秋山は自らもAKMで連射した。

 敵は、こちらの陣地構成や兵力など判っていないのであろう。

 敵の銃弾は雨のようにバラバラと降り、味方のAKMはタタタと軽やかに撃ち込む。

 秋山の読みは甘かった。ロシア人は驚くほど寒さに強い。マイナス二〇度での戦闘も可能なようだ。敵の夜襲は数度もあったが、運よく撃退出来た。AKMのお陰である。

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