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神算日露戦争  作者: いばらき良好
第3章
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3の2 怒りの黒溝台

 明治三十八年(一九〇五)一月九日、血の日曜日事件が起きた。

 これはボリシェヴィキ主導のデモ行進で、リーダーはロシア正教会司祭のゲオルギー・アポロヴィチ・ガポン神父。

 日曜日の早朝から、首都サンクトペテルブルクに貧しい労働者とその家族一〇万人が集まり、エルミタージュの冬宮に向かってデモ行進を行った。その他に職場でのストライキは、およそ一一万人にもなった。


 皇帝への要求は「労働者の法的保護」「戦争中止」「憲法制定」「基本的人権の確立」であった。この要求に激怒した皇帝ニコライ二世は、警備隊に発砲を命じ、女子供を含む三〇〇〇人以上が死亡した。

 この事件の衝撃は、ロシア国民にまだ少し残っていた皇帝への親しみの感情を失わせ、激しい怒りとともにロシア全土に「暴力革命」の火を付けた。


 一方、ニコライ二世の怒りも治まらなかった。神から統治を任された皇帝に対し、徒党を組んで強訴するなど許されない。それもこれも全て日本が悪い。思い返せば、皇太子時代のアジア歴訪からだ。

 一八九一年、日本の大津で警察官に斬り付けられた。ニコライ二世は、頭部から流れ落ちる血の中で「この日本の猿を根絶やしにしてやる」と神に誓った。

 それから三国干渉で日本に嫌がらせをし、シベリア鉄道と東清鉄道を敷き、旅順に要塞を建設、義和団の乱に乗じて満洲を占領、韓国も勢力圏とした。

 十三年かけて、遂に日本を陥落させる。

 日露戦争は、簡単に勝つ筈だった。しかし、一月一日には旅順要塞が落ちた。ロシア満洲軍も後退続きである。


 ニコライ二世は、近くにいた侍従兼国務顧問官のベゾブラーゾフに八つ当たりした。戦前に「日本になどすぐ勝てる。簡単に勝てる」と強く主張したのが、爆殺されたプレーヴェ内務大臣とベゾブラーゾフ侍従なのだ。日本を油断して戦ったのではないか。

 ベゾブラーゾフはこう答えた。

「満洲には、熟練老将のグリッペンベルク大将を十一月に派遣しました。次の陸戦はロシアが勝利します。

 十月に出航したバルチック艦隊の司令官は、前海軍参謀総長のロジェストヴェンスキー中将です。海戦も勝ちます。

 日本人を奴隷にして、我らは夏の太平洋バカンスと洒落込みましょう。あと少しの辛抱です。戦争は将軍たちに任せて、皇帝陛下は、その後のロシア領日本総督を誰にするのか、考えて置いて下さい」


 話を聞いて、ニコライ二世にも笑みが出た。日本の猿どもを絶滅させる。男は鎖に繋いでシベリアで死ぬまで働かせ、女はロシアの農奴にくれてやろう。子供は鉱山に送り、老人は射撃の的にする。日本の金銀や土地を奪って、ロシア人に分け与える。北海道を皇帝領にして、狩場にでもするか。何やら楽しくなって来た。

「戦争は将軍たちに任せる。ただし、ロシア民衆の反乱は許さない。次は皆殺しにせよ」

「はい、そうします」

 ベゾブラーゾフは、命令を伝えに下がって行った。

 ニコライ二世の希望は、まだ生まれて五ヶ月の皇太子アレクセイの成長である。四皇女が生まれた後の初の男子だ。

 そうだ。成長した息子に、日本をプレゼントしよう。

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