第四章 - 犬猿の決戦(Ⅳ-2)
――そんなやりとりがあったが、なんかもうどうでもいい。露天風呂最高だわ。
岩囲いの浴槽にザブンと肩まで浸かった瞬間、張り詰めた1日目を終えた疲れも、狗上やねえさんに面倒をかけられて抱えたストレスも、すべて溶け出すような感覚をおぼえた。
でっかい風呂に入るの、いつぶりだろう?
バイト先にはシャワールームしかないし、自宅のは追い炊き機能のついていないユニットバスだし、かといって近場の銭湯を探すほどの意欲もないし。
……前の実家以来か?
思いきり脱力して熱い湯に身を委ねると、思わず肺の底から呼気が漏れた。
部屋に荷物を置いて(狭いひとり部屋だった)食堂でメシも食ったし、あとはストレッチして明日のイメージトレーニングでもしながら床につくか……なんて、とりとめのないことを考えていたところで。
「おつかれさま。ゆうくん」
と、突然声をかけられた。
湯船に温められた心臓がドクンと跳ねる。
ちゃぽん、と俺の隣に降り立った影。その聞き覚えのある声に体勢を立て直す。
「……真澄かよ。ビビらせんな」
「ひさしぶりだね。……もしかして、間違えて女湯に入ったかと思った?」
「そんなわけねえだろ。まわり見てみろ、男ばっかだろうが」
「男湯なんだから当たり前でしょ」
どっちかといえば、女の子が間違えて入ってきたのかと思った……とは言わない。
「ゆうくんが僕のことを女の子だと勘違いしてたの、けっこう根に持ってるんだけど?」
「それは悪かったって。あのときめっちゃ謝っただろ……」
むう、と頬を膨らます真澄に、俺は再び手を合わせて謝罪を述べる。
真澄はすぐに表情筋を緩めて、うーん、と浴槽の中で伸びをしつつ。
「お互い全勝だね。僕がCブロック、ゆうくんがDブロックだから、当たるのは準決勝かー。もうショートカットして先に直接対決やりたくない?」
「……そんな甘い考えで試合してると、足元すくわれるんじゃねえか?」
「ないない。コートで向き合った相手はみんな僕に萎縮してるから。そんな敵に負ける未来なんて見えないって。窮鼠猫を嚙むって言うけどさ、噛むためには意思の力が必要なんだよ」
笑顔のまま、えげつないことをつらつらと述べる真澄に、なにも言えなくなる。
そんな俺を覗き込むように、真澄はこんなことを尋ねてきた。
「ねえ。ゆうくんは、どんなときにテニスを楽しいって思う?」
それは純粋な疑問……のように思えた。
だから、湧き出る言葉を声に乗せて、思いのままに答える。
「ラケットを握ったとき。ボールを追いかけてるとき。サーブとかスマッシュでエース決めたとき。ボレーで相手を出し抜いたとき。試合の動画見て振り返ってるとき……やべえな、全部楽しいぞ。俺ってもしかして超テニスバカなのか?」
おどけて言うと、真澄は「あはっ、そうかもね」と笑って。
「そっか……うらやましいな。僕、勝ったときにしか楽しいって思えないから」
ぽつりと、俺にだけ聞こえるような声で呟いた真澄は、どこか寂しそうだった。




