第二章 - 犬猿の宣誓(B-4)
「…………あたしは心底会いたくなかったわ、真尋」
まったくの本心だった。部活から逃げた身で会えるような人間じゃない。
「そんなに悲しいこと言うなよぉ……」
対する人物――真尋は、手羽先みたいに細長い腕を窮屈に折りたたんで傷心のポーズを見せる。相変わらず細長い身体だ。女性の身体を例えるのには不適切かもしれないけれど、痩身長駆というワードがしっくり来る。
例えるなら……テニスの神に愛された体格。心底うらやましい。
直接会うのは数ヶ月ぶりになるけれど、嫉妬の心は生きていた。
あたしより10センチは高いところから、次の言葉が降ってくる。
「シューズ新調するの? 部活を辞めたと聞いていたけど?」
「ふん。テニス部に入っていなくたって、靴くらい買うわよ」
「そっか。部活を辞めても、テニス続けてるんだ。よかった」
安堵を含んだその声には、言外にこんなニュアンスが含まれていた。
――続けていれば、また戦えるかもしれないからね。
この女は御仁ヶ島高校2年生にして、女子テニス部の主将。
そして――公式戦において、あたしと最も対戦数の多かった選手。
当然の摂理である。
当たるのは常に関東大会の決勝戦だったから。
直接対決の勝敗は完全にイーブン。同年代ということもあって、今年はどうなるかと期待している人も多かったみたいだけれど――ぶつかる前に、あたしは部を退いてしまった。
「春季大会の結果、見た?」
頭ひとつ上のところから降り注ぐ問いかけに、あたしは無言で首を振った。
「――――つまらなかった」
真尋がぽつりと漏らしたその言葉が、あたしの心臓を抉り取る。
「……その様子じゃ、関東大会の優勝者はあんただったみたいね」
コクリと首肯される。
「そう。それはおめでとう……とでも言っておけばいいかしら?」
挑戦的な視線をよこしてやる。中学生に入ったばかりのころから、この地区の上位争いにあたしと真尋は食い込んでいて、やがて優勝旗を賭けて争うのが常となる。
それは高校に進学しても変わらなかった。
だから、順当な出来事なのだ。
あたしが消えて、この女がトップに君臨することは。
しかし、目の前のテニスの神に愛された女は、とたんに泣きそうな表情を浮かべて。
「…………ふざけるなッ!」
店内に真尋の怒声が響いた。
叫びが空気を伝って伝播して、あたしたちふたりに注目が集まる。
レジの奥から見知った顔の店員がこちらを心配そうに眺めていた。
「すっ、すみませんすみませんっ」
慌てた様子で周囲に謝る真尋。相変わらず、身体つきとは裏腹に気が弱い女だ。
でも、そんな人間が……真剣に怒った。本気なのだろう。
「……真尋。あたしのことはもう忘れなさい。あんたが大会のトーナメントをどこまで登っても……もう、その先にあたしの姿はないのよ」
「……そんなの無理だ。優姫とやる快感を知ってしまった以上、もうほかの女では満足できない」
「もう少し言いかたを考えなさいよ!?」
まわりから変な目で見られてるし!
「だって……関東大会で優姫を倒さないと、全国大会に行った気がしないんだ……」
「毎回倒していた、みたいに言うのはよしてくれない? 去年勝ったのはあたしよ」
真尋は過去を反芻するように中空を見上げる。
「中学1年生と、2年生で私が勝って……3年生の関東大会で、優姫が勝って……」
「あんたは身体の成長が早かったものね。あたしも2年生の冬にようやく背が伸び始めて、ようやく3年生のときにリベンジができた。あの時の真尋の顔は傑作だったわ。準優勝で、全国行きも決定してるのに、あんた泣きべそかいてたものね」
「うぅっ、うるさいっ!」
「あのねぇ……」
あんたのほうがうるさいわよ、と視線で制する。
「……高校生になって初めての関東大会で当たって、それでも僅差で優姫には及ばなかった。直接対決の戦績はこれでイーブン。今年こそリベンジしてやると思っていたのに……ッ!」
つまらない、と真尋は言った。
あたしと戦っている最中が、いちばん楽しいのだと。
対してあたしは……ずっと、テニスを楽しいって思ったことなんてなかった。
――と、思い込んでいた。
小さな頃からラケットを握り、テニスをするのが当たり前のことだったから。
ストロークで相手の裏をかいたり、豪快なスマッシュで得点をもぎ取ったり。
きっと……おそらく、そういう瞬間は今まで何度でもあったのだろうけれど。
気づけなかったのだ。失うまで。
「優姫。……聖峰女学院の大会結果は確認した?」
「……してない。興味ないもの」
「聞きたい?」
「聞かなくてもだいたい分かるわ」
そもそも、うちはいわゆる『お嬢様学校』だ。旧華族の子女とか、高名なお寺の娘さん、茶道の家元の子なんかがゴロゴロいる。社長令嬢とかも。……あたしもそのひとりだけれど。
健全な文化育成のため……という名目でスポーツに力を入れてはいるけれど、推薦入学は受け付けていないし、なにかの強豪校でもない。あたしも親に強制されていなければ別の学校に進学していたと思う……受験に受かるかは別として。
「負けたんでしょう? 今年のメンバー、県大会でも勝ちあがれるか怪しかったし」
「……県の2回戦で敗退。個人戦でも関東大会に出場している選手はいなかった」
「もともとでしょう。聖峰から関東大会に出場するような選手、あたしだけだったし」
「それでも、去年は団体戦で県のベスト16までは上がってきていたじゃないか」
「……ふうん? なにかがあったんでしょうね」
はぐらかして答える。
いい気味だ――とは思わない。
練習の質が試合に直結するのは当然だから。
鍛錬はすべて自分に返ってくるのだ。
それを受け止めるか否かは当人しだい。
真尋はなにかを察したのか、それ以上の追及をやめた。
「今度、大会に出るんだ。部活のそれとは違う、アマチュアの公式戦なんだけど」
「……それって高天原オープン?」
あたしの問いにきょとんと首を傾げてから、真尋はパァっと笑顔を咲かせる。
「もしかして優姫も? だったらまた戦えるな!」
「……なんの因果かしらね。まあ、当たるためにはお互いに勝ち進まないと――」
と、そこでハッと我に返る。
この女も背負っているのだ。
とある因果を。
高天原オープンは男女混合ダブルス。
真尋の相方って、もしかして――。




