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その前提条件 彼の場合

 コンコン


 浅香あさか 陽壱よういちは、窓ガラスから響く軽い音で目を覚ました。この目覚ましが恒例になって、もう何年経つだろう。

 まだ眠気の残る体を起こし、ベッド横にある窓のカーテンを開ける。

 ガラス越しに少女のふにゃっとした笑顔が見えた。


 少女の名前は深川ふかがわ 美月みつき

 彼女はおもちゃのマジックハンドを使い、陽壱の部屋の窓ガラスを叩いていた。何年も前に陽壱が手渡したものを、今でも使っていた。

 マジックハンドは美月の部屋の窓から伸びている。つまり、二人の部屋の距離はその程度ということだ。


「おはよう」

「おはよういちー」


 窓を開けて、挨拶する。

 美月はあくびをしながらそれに応えた。

 いつもの朝だ。


「じゃ、またあとで」

「はーい」


 陽壱は窓とカーテンを閉めた。さすがに着替えを見られるのは恥ずかしいし、見るのもそれはそれで恥ずかしい。正直な話をすると、見たいとは思う。

 高校二年生は多感な時期だ。

 実のところ、陽壱は美月に恋をしていた。


 陽壱と美月が出会ったのは十二年前。浅香家が深川家の隣に引っ越してきた時だ。お隣さんの同い年ということですぐに仲良くなり、ほぼ毎日一緒に過ごした。いわゆる幼馴染みという関係だ。


 それから小学校、中学校と成長してもその関係は変わらなかった。おっとりしている美月と、少々気の早い陽壱。バランスの取れた二人の距離は近いままだった。

 友人達にからかわれることもあったが、男女の友情は存在すると公言していた陽壱は全く意に介していなかった。


 中学三年のある日、陽壱はある事実に気が付いた。

(あれ、俺って美月のこと好きなんじゃね?)

 きっかけは進路希望を提出する時だ。陽壱は美月の志望校が気になって仕方がなかった。小中学校では一緒に通うのが当たり前だったが、高校が違えば当然別行動となる。陽壱の認識できないところに美月が行ってしまう。その異様ともいえる焦りから、陽壱は自らの感情を自覚するようになった。

 ずっと一緒にいたのは、お隣さんで仲良しな女の子だからではなく、恋愛感情として好きだったからだ。いつから変わったのかは、わからない。ただ、それは陽壱としての真実であった。


 結果的には同じ進学先を選び、二人はそのまま高校生になった。が、陽壱の心が落ち着くことはなかった。一度自覚してしまった感情はとどまることを知らず、その心を強く締め付けた。美月ののんびりとした一挙一動が愛おしいとすら思えた。


 だが、その想いを美月に伝えることはできなかった。これが一方的な想いだったとしたら、今の関係を崩してしまう。それは最悪のシナリオだ。

 いつか彼女に恋人ができた時にも、自分の居場所は確保しておきたいという、情けない思いもある。

 だから、この二年と少しは必死にこれまでの自分を装った。苦しくはあるが仕方ない。それに、美月の隣はやっぱり居心地がいい。


 陽壱は寝る時に着ていたスウェットから制服のズボンとシャツに着替える。いわゆる学ランの上着は持ったまま、階段を降り自室のある二階から一階へ。

 洗面所で鏡を見る。そこには普通の中の普通という少年が映っていた。中肉中背、顔も整っているとは言い難いが酷いわけでもない。寝起きの為、寝ぐせは残るが短く切り揃えた黒い髪。突出してよい部分も、突出して悪い部分もない。大勢に埋もれるような外見だ。それは普通と表現する他にはない。

 外見以外も普通と言わざるを得ない。学校の成績は中の上、運動神経は中の中といったところだ。


 そんな陽壱だが、ただ一点、普通とは言えないものを持っていた。

 彼は【性格がいい】のだ。

 お人好しという意味ではなく、思いやりを持った上で相手の話を受け入れ、必要と判断した場合は自分の意見を通す。そのあたりのバランスやタイミング、そして相手に合わせた表現方法が絶妙なのだ。

 それだけでは口だけの男なのだが、実行も伴うところがより彼の評価を上げている。校内の面倒な作業を手伝ったり、迷子の猫を探したり、目立たないように人助けをしたり。


 それらを計算ではなく感覚で行うところから、周囲にいるほとんどの人間が大なり小なり彼に好印象を抱く。妬みから陰で嫌う者もいることにはいるが、直接関わってしまえばもう終わりだ。

 人と群れるのを好まない性格もあり、深く関係する相手は多くはないものの、万人に広く好かれる。それが浅香 陽壱という少年だ。

 ついたあだ名は『人たらしの浅香』というものだ。


 そんな陽壱なので、女性にモテることもある。美月と付き合っているのではと噂が流れたこともあるが、その度に当人同士は仲の良い幼馴染だと否定した。

 想いを告げられることもあったが、陽壱は丁重にお断りをしていた。

 あの日までは「恋愛はまだわからない」、あの日以降は「好きな子がいるから」と。


 身支度を整えた陽壱は、母親の用意したトーストをかじる。第一ボタンまではとめるが、詰襟を閉じるほど真面目ではない。中学生の妹が「バタートースト、略してバースト」などと言っていた。

 トイレから出てきた父親はまだパジャマのままだった。今日は遅めに出勤するようだ。


「行ってきます」


 家族に一声かけて、玄関のドアを開ける。駅まで向かうバスの到着まで、まだ余裕のある時間だ。

 五分ほど待つと、隣家のドアが開いた。


「いってきまーす」


 ゆったりとした甘い声が聞こえ、愛しい美月の姿が見えた。思わず頬が緩む。


「二回目のおはよー」

「おはよ」


 セーラー服を着た美月が手を上げた。

 中学の時と似たデザインで代り映えはしないが、スカートの丈が短くなっていて、膝と太ももが少し見えている。初めて見た時は驚いたし、今でもドキドキしてしまう。

 その手には四角い包みが二つ握られていた。


「はい、お弁当。中身は内緒だよ」

「いつもありがとう」

「いいってことよー」


 これもお決まりのやり取りだ。

 高校に入ってから毎日、美月は弁当を陽壱の分まで用意してくれる。学食のない高校だったし、陽壱の母親は料理が得意ではないので非常にありがたい。

 最初はお世辞にも美味しいとは言えなかったが、だんだん上達してきている。そんな努力家なところも、好きと思うポイントだ。

 そんなことよりも、わざわざ用意してくれるという事実が陽壱を浮かれさせる。

 二人は連れ立ってバス停に向かった。


 さぁ、楽しくも苦しい一日の始まりだ。

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