37 絶対零度の蛇人
四人の後ろからその蛇体をうねらせ、先程までドットがいた場所までそのナーガは悠然と進み出た。
ドットにとってはほんの一瞬の出来事だったが、それでも今もその光景が現実であるとは受け入れられず、ただ茫然とそのナーガの姿を眺める他無かった。
接近された事にワワムすら気が付かなかったどころか、攻撃をされた事にすら誰も気が付かなかったであろうことは、既に先程までの会話の瞬間を切り取った写真のように動かない皆の姿を見ればすぐに理解できる。
「お前の話はお前達が黒衣の魔導師と呼ぶ存在に聞いた。俺に与えられたこの無敵の能力の唯一の弱点だとな」
当然のように口を開き、ドットの事について語るその姿を見ても、あまりにも同時に不可解が起きすぎると情報を整理するために新たな情報を遮断するのか、ドットは目の前に混沌の魔獣がいるはずなのに自分が正常に思考できている事すら疑問に思う事は無かった。
「俺が攻撃すれば誰だろうと物言わぬ岩と同じになるこの力と同じく、お前が攻撃すれば全ての力が消え失せる……。だが俺とお前の決定的な差は、お前は一人では何もできない役立たずだという事だ」
変わらず勝ち誇った表情を浮かべたままそのナーガは言葉を続ける。
事実、ナーガの言う通り今でこそ勝ちを確信しているためナーガはドットを敵視していないが、もし一瞬でも敵意を向ければその瞬間ドットは何かを考える事すら覚束なくなるだろう。
だからこそドットは茫然自失としたふりをしたまま、現状を打破する方法を必死に考えていた。
『大丈夫だ……現状あちらの敵意が無い以上、こちらが敵意を向けなければ幾らでも情報を集められる。攻撃の手段は何だった? 何故誰も接近に気が付けなかった? 慣れない土地に慣れない気候、不安要素は確かにあったが、少なくともライオネッタさんとマリアンヌさんの二人は冒険に慣れている。完全に警戒を解く事は絶対に無いはずだ……。考えろ! 戦う事の出来ない自分に出来るのは考える事だけだ……っ!』
ドットが現在も使える唯一の武器とも呼べるのは、その冷静な判断能力だった。
冒険者としての少数行動にこそ慣れていないものの、いずれ全軍指揮を任されるために幾度も戦場を経験していたからこそ、指揮官が冷静さを欠いてはならないという鉄則を叩き込まれていたため、不測の事態に対する対応能力は非常に高い。
ある意味以前のサンドスコーピオンとの初の接敵時に、焦って動こうとした事で思考力を失った事が、今回意識が戻ると同時に再び意識を失わなかった最も大きな要因だっただろう。
『全員がそのまま固まっているという事は尾や爪での物理的な攻撃では無いはずだ。でなければ宙に浮いた人と同じように姿勢が崩れていないとおかしい。逆に言えば私も攻撃に巻き込まれていたからこそその僅かな攻撃で吹き飛んでいたという事だ。そして一番重要なのは……私自身は"混沌の魔獣の異常性の影響を受けない"という事。これはいずれ来る黒衣の魔導師との直接戦闘でも間違いなく役に立つ』
他に何か情報たりえる物が無いか周囲を視線だけで見回すが、景色は相も変わらず変化が無く、吹雪はただ勢力を増してゆくのみ。
『とにかく情報が欲しい。奴は今、確実に油断している。こちらの意図を勘付かせないように勝ち誇ったまま情報を引き出せるか……?』
ドットが周囲を見回している事に気が付いたのか、ナーガも少しだけ不思議そうな表情を浮かべたため、すぐにドットは肩の力を抜いた。
「確かにお前の言う通り、私がお前に攻撃する手段は存在しない。だが、他の冒険者に助けを乞うことぐらい、お前を倒すためなら厭わない」
「馬鹿か? お前は。目の前にお前が選んだ精鋭だったものが四つ並んでるのは見えてないのか?」
「だからこそだ。いくらお前に無敵の能力があったとしても、お前を倒せばノードの都市機能は復活する。そのために軍の派兵を依頼すれば敵わないはずだ」
「……何を企んでる?」
吹きすさぶ肌を斬りつけるような風で冷え切ったドットの身体が、一瞬熱を帯びた。
呼吸を整え、思考を巡らし、更に慎重に言葉を選んでゆく。
「仮定の話だ。少数で突破できないのなら大軍を持って制圧する。今の私にならその助力を乞えるだけの実績があるというだけの話だ。随分と余裕そうだが私が逃げるとは考えないのか?」
「ああ、そういう話か。逃がした所で何も問題は無い。別のパーティを連れてこようがマジで軍が動こうが、普通の人間は俺のどんな攻撃を受けてもその瞬間に身動き一つできなくなる。その証拠がここの氷柱群だ! ここにある柱は全部人間の物だ! 軍が来ようが俺が一つ衝撃波を放てばただの肉の壁が出来上がるだけだ」
「随分な自信だな。だが、人間を過小評価していれば足元を掬われるぞ?」
「お前と同じだ。数百を氷柱にし、今は更に黒衣の魔導師に与えられたこの知恵もある。実績がどうだと言っていたが、ここでもお前は所詮他人頼りでしか動けん。諦めな。俺はいずれこの力を使いこなし、この世界の全てを手中に収める」
「世界とは大きく出たな。だが、私が生きている限りその日が来る事は無い」
「ほざけ。お前は殴ろうが斬りつけようが死なんというのは既に聞いている。無駄に体力を消耗する気は無い。さっさと尻尾を巻いて逃げて、この俺の時代の到来を伝聞して回るといい」
「……そうさせてもらおう」
ドットはそう言うとテレポートを発動し、すぐにノードへと帰還した。
まだ知りたい事はいくつかあったが、それでも今のドットにとってはナーガとの会話は十分に得られるものがあったため、怪しまれる前に即撤退を選んだのだ。
一人ノードの中央広場に戻ったドットはその足ですぐに武具店へと向かった。
理由は言うまでもなくドット自身が戦えるようにするための装備を整えるためだ。
『奴の言う通り、衝撃波のような直接触れない攻撃でまで相手に異常を引き起こせるなら例え何人引き連れても攻撃することは敵わないだろう……。かといって私以外の人間ではダメージを与える事は出来ないとも言っていた以上、何とかして私自身が攻撃を当てる方法を探さなければならない……』
幸いここは魔導都市。
武具の純粋な質の良さで言うならば鉱山都市であるライドに軍配が上がるが、ノードには魔石や錬金術によって生み出された魔法武器が多く存在する。
最も数も種類も多いのは魔導師の為の杖や身体能力を許可する装飾品の数々だが、近接戦闘職の為の武具も少なくはない。
ハーピィの風切り羽根をそのまま刀身に使った風で敵を切り裂く特殊な剣に始まり、斬りつけた相手の生命力を吸い取り使用者の傷を癒すサーベルや、一つの属性に限るが完全に炎を遮るマントや雷を無力化する兜、所持者が神の加護を受けていなくても特定の神聖魔法を使えるようになるペンダント等、効果も種類も様々だ。
だが今ドットが必要なのはそれらではない。
店主にそれぞれの道具の詳細を聞きながら目的の武器と防具を探し続けたが、残念ながら求めているような装備は無かった。
とりあえず今あるナイフよりはマシであろう、とドットは元々自身がよく身に付けていた片手剣と同程度の大きさの剣を一本選び、購入した。
他にも手段は考えてあるが、一先ず店売りの道具で解決策が思い浮かばなかった時の為の作戦から試す事にした。
町外れの適当な岩を相手に剣を構える。
久し振りに重たい剣を袈裟斬りに振り抜くが、流石に筋力は衰えておらず、それどころかこの旅の間にステータス上ではその変化を実感する事はできないが、間違いなく倒してきた魔物の生命力による身体能力の底上げと、自身の筋力の増加は感じられる程に剣筋は以前よりもキレを増していた。
惜しむらくは、それが木や岩相手ならば自在に振り回せても、一度魔物と相対すれば振るう事が出来なくなるという事だろう。
『……この身一つだ。ずっと避けてきた事で試す他ないだろう』
冷たい外気を肺の中へ取り込み、白い息にして一つ吐き出し、解析魔法を唱えた。
次の瞬間には寒空を見上げており、当然ながら敵の姿も見当たらない。
だが身体は雪に預けられており、景色も最初の場所とは全く違う所に変わっているため、少なくとも一度敵に襲われ何処かへと吹き飛んだ後だろう。
『分かってはいたが、やはり唱えてからすぐに攻撃態勢に切り替えるのは不可能だな……。まあ、切り替えようとしたおかげで解析魔法を延々唱え続ける事態は避けられたと考えるべきか……』
上体を起こそうとしたが雪に相当深く埋まりこんでいるのか身動きが取れなかったため、またテレポートを使用して街へと戻って外へ出る。
想定通り攻撃されても死にはしない事も分かった事でドットは、あらゆる方法を周辺の魔物相手に試しては吹き飛ばされ、そして意識を取り戻したら街へ戻るを繰り返し続けた。
とはいえ一切の恐怖が無いわけではない。
意識を取り戻せばボロボロになった装備と共に腕や足、首元や腹に攻撃されたような感覚が残っている場合もあり、確かにそこに腕があって痛みも無いはずなのに、その幻肢痛のような残滓だけが意識のない自分の身に何があったのかを嫌でも想像させられる。
その感覚がドットの中での一つの閃きを実行させるための足枷となりつつあった。
『他に何か有効な手段は無いか?』
装備が復元されるまでの間に自身の能力を使って無数にあるアイテムの名前を追いかけてはそれらしい物を出現させて確かめる日々が暫くの間続いた。




