1 はじまり
大きな城の中庭で木剣同士のぶつかり合う乾いた音が幾度も響いている。
小気味良い音を立てるのは今正に稽古をつけられているのであろう二人の男性。
一人は若く、多少力任せではあるものの良い太刀筋で剣戟を打ち込み続けているが、もう一方の初老の男性はその攻撃を涼しげな表情で全て受け流している。
そしてそのまま初老の男性は一度も打ち返す事無く受け続け、暫くいなし続けると一度距離を空けた。
それが打ち込みの終了の合図なのか、青年は構えていた木剣を下ろして軽く額の汗を拭っていた。
「随分と腕を上げられましたね。ドット様」
「たとえ世辞であったとしても嬉しいよ。ラインハルト」
その初老の男性、ラインハルトは嬉しそうに微笑みながらドットの剣の腕の上達を褒めたが、若さの有り余るドットが額に汗を滲ませているのに対して汗一つかいていないラインハルトの様子を見て、ドットは少しだけ皮肉を込めて言葉を返した。
ドットの返事を聞くとラインハルトはからからと笑ってみせた。
「いえいえ、決して世辞などでは御座いません。今日という日までにそれ程の剣術を身に付けられたというのは、事実として素晴らしい事なのです。ただ、仮にも私は『剣聖』を拝命した身。いくらハロルド家の嫡男殿といえど、まだ一本くれてやるわけにはいきませんな!」
「全く……晴れの日にも華を持たせてくれないとは酷い師匠もあったものだ」
そう言うと二人はもう一度景気良く笑ってみせた。
「では今日の稽古はここまでにしましょう。『成人の儀』の主役が遅れたとあっては私共々叱られてしまいますからね」
ラインハルトはそう言ってドットの木剣を受け取り、ドットもすぐに自室へと向かって儀式のための正装へと着替える。
『成人の儀』
それは齢十八を迎える誕生日の日に行う神聖なる儀式。
司祭により執り行われる洗礼を以て創造主から祝福を授かる、今後の人生をも左右する大切な日でもある。
基本的には家系や努力が優先されているのか大きく外れたスキルを授かることは無いが、稀に本人が自覚していない才覚があるのか、冒険者を目指していた者が商才を授かるような事例もある。
無論、授かったスキルと関係の無い人生を歩む事も可能だが、それまでの努力を無駄にしたくないという想いで才能を無駄にするのは愚の骨頂だろう。
そしてこの青年、ドット・ハロルドもまた今日十八歳を迎える者の内の一人だった。
百年前に復活した魔王による人類への報復が始まり、今から三〇年前に彼の父、ユージン・ハロルドは魔物の群れを殲滅し、彼等が今住んでいるノウマッド領を人類の手へと取り戻した武勲により、爵位を与えられた程の武人である。
だが逆に今も最前線にて指揮を執る身であるため親子の時間はあまり無かったが、同じ武人として魔物の驚異から人類を護る騎士となるため、その背を見て育っていた。
同時に彼の母、クレース・ハロルドはほぼ常に最前線に身を置くユージンを支える良き妻であり、同時に内政のほぼ全てを執り仕切る才女であった。
長き戦によって荒れ果てた土地を、人を纏め上げ、田畑を拓き、土地を貸し、職を与えてあぶれ者の多かった最も魔物の近い街であるにも拘らず、様々な商業の賑わう魔物の存在を微塵も感じさせない、笑いと活気の溢れる領地となった。
そんな母から信頼を置かれる宰相がドットの教鞭を直接執っていたため、政治学や帝王学もしっかりと叩き込まれているため、正しく文武両道の英才教育を受け、尊敬し敬愛する両親のどちらにも恥じる事の無いよう、今日という日まで努力を積み重ねてきた。
『大丈夫……。緊張するな……』
今一度自分自身に言い聞かせるように心の中で念じ、一つ長い深呼吸をしてから自室を出る。
本来ならば村の教会等に訪れた司祭の元へ赴くのだが、そこは貴族としての特別待遇。
逆に司祭に城の居間へと出向いてもらい、そこで成人の儀を執り行う。
悩んでもどうなることでもないが、見えぬ先というものは焦燥を駆り立てる。
そのせいか色々と考えを巡らせながら歩いている内にドットは誰かと軽く肩をぶつけてしまった。
「すまない。怪我はないか?」
「ええ。お気になさらず。こちらも無駄足でしたので……」
そこに居たのは全身を黒装束に身を包んだ女性。
目深にフードを被っており、顔に黒のヴェールを身に付けているため声を発してくれなければ性別の判断すらつかなかっただろう。
その手には身の丈と同じ、装飾の施された杖があったため、転ばずには済んだようだ。
『魔導師だろうか……? 城内で見かけるのは珍しいな。……というより無駄足とはどういう意味だ?』
「君! ……!?」
その容姿のせいで少々面食らってしまったが、少し歩いたところで先程の発言が気になり振り返ると、そこには先程までそこにいたはずの黒衣の魔導師の姿はなかった。
『誰も居ない……? いや、確かに誰かとぶつかったはずなのだが……』
城内には魔物の奇襲を避けるために転移魔法の類は発動できないように封印が施されている。
またその通路は長い一本道の廊下であるため、すぐに身を隠せるような場所もない。
刺客のような存在なら既に刺しているだろうし、来賓ならば今日の主役を前にしてあの言動は余りにも失礼だ。
「兄上!」
先程の出来事がなんだったのか思案していると元気な声が廊下を響き渡りながら駆け寄ってくる。
「今日は遂に兄上の成人の儀ですね!」
「なんだカーマ、一足先に祝いに来てくれたのか?」
勢いそのままに飛び込んできたのは弟のカーマ。
父母共に忙しいハロルド家では兄弟で共に行動することが多かったせいか、お兄ちゃん子に育ってしまっていた。
今もドットの前で満面の笑みを浮かべており、犬だったら腰ごと尻尾を振っていそうだ。
「当然ですよ! 本当は兄上の成人の儀にも参加したかったのに……」
「親族であっても成人前の子供は立ち入り禁止だからな。まあそういうしきたりだ。五年後のカーマの成人の儀には私も立ち会うよ」
「それは嬉しいですけど……。 やっぱり兄上の晴れの舞台にも立ち会いたかったですよ」
不満そうに口をへの字に曲げたり、かと思えば弾けてしまいそうなほどの笑顔を見せたりと感情がそのまま表情に出るので見ていて飽きない。
結局そのままカーマと雑談をしながら居間へと向かったせいで先程の出来事がすっかり抜けてしまったが、別段何かがあったわけではないため気にも留めていなかった。
「後でどんなスキルを授かったのか教えてくださいね!」
「ああ、また後でな」
そう言って一度二人は別れ、儀式のために整えられた居間へと入る。
普段は居城を空ける事の多い父も、内政の為あまり顔を合わせる機会の少ない母もこの日ばかりは揃っており、我が子の姿を前にして思わず笑みが零れていた。
ラインハルトを始めとした場内の騎士や侍女もかなりの数が出席してくれており、皆今日の主役の到着を拍手で迎える。
『……やはり先程の魔導師は居ないな』
見当たる限りでは見知った顔の者しか居らず、先程の魔導師は見当たらないが、同時に不穏な空気を漂わせているような輩も存在しない。
折角の暖かな雰囲気を壊すわけにもいかず、そのままドットは司祭の方へと歩を進めた。
「お待ちしておりましたドット様。それでは式を進めさせていただきましょう」
温和そうな表情の司祭がドットの到着に気が付くとそう口にして微笑み、恙なく洗礼を執り行う。
片膝を突いて座るドットの頭の上で司祭が宝剣を振るいながら聖典の言葉を読み上げ、聖杯に注がれた聖水をドットの頭へかけて祝福を授かる準備を整えた。
するとドットの頭の中へ天から落ちてきたような言葉が響き渡った。
《スキル『デバッグ』を付与します》
頭の中を内側からかき混ぜられるようなえも言えぬ感覚に陥り、倒れそうになったドットを司祭が慣れた手つきで支える。
「どうです? 立てますか?」
「え、ええ……」
その感覚はすぐに引いてゆき、すぐに真っ直ぐ立ち上がれるようになったため、ドットは自分の授かったスキルを見せるために自らのステータスを表示した。
瞬間、ドットも含めたその場にいた全員がそこに表示された内容に言葉を失った。
表示されているあらゆる数値が全て、『1』になっていたのだ。