古い世界と冒険者の話
遥か昔。人がまだ自由を得る前の時代。
世界の全ては古き闇に支配され、万物は己以外を認められずにいた。
ある時、古き闇より現れた一匹の竜によって、人は覚醒する。
意思ある者の誕生である。
初めの意思ある者は世界に神を見出し、続いて覚醒した意思ある者たちは四元を見出した。
やがて竜は古き闇に呑まれたが、人々は五人の意思ある者によって導かれる。
意思ある者の母──聖母ディクサイア。
四賢者──地のクスノート、水のシートフ、火のディライオティクシィ、風のモイオト。
五人と、次いで覚醒した意思ある者たちは、世界から古き闇を払い、光を齎さんと戦いを挑んだ。
ディクサイアの祈りによって得た祝福により、古き闇は彼女らを侵さず。
クスノートの生み出した大地が古き闇を封じ。
シートフの流した水が、大地より滲み出る不浄を洗い。
ディライオティクシィの灯した大いなる火が昼を、小なる火が夜を生み出し。
モイオトの吹かせた風の調べが、全ての人々に知を渡した。
聖母と四賢者の活躍により古き闇の時代は閉ざされ、意思ある者の時代が到来した。
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意思ある者によって繁栄と衰退と、平穏と争乱が幾度か繰り返された後の時代。
隣国を侵攻していた国が、文明を開こうとしていた団体が、古い術を研究していた者が一様に手を止める事件が起きた。
聖都、銀の大聖堂の崩落。
沈下して出来た大穴からは白い濃霧が吹き出し、聖都全体を包み込んだ。
四教会の力により濃霧の噴出は抑えられたが、聖都を覆った濃霧は晴れる事なく留まり続けた。
消えぬ濃霧により昼ばかりが続くうち、人々は徐々に意思を失くし、虚ろい彷徨うようになる。
虚人と呼ばれた彼らは、意思ある者の中に業を見出し、それを求めた。
惑い、嘆いた人々は神へと祈りを捧げ、神は地上に鐘の音と祝福をもたらした。
一人の伝令が虚人と濃霧から逃れ、聖都の様子を外へと伝えたのである。
事態を重く見た近隣諸国は調査隊を幾度となく派遣したが、その殆どが濃霧の中に消え、大穴に呑まれていった。
大穴の底に広がる迷宮と、都市に立ち入れば帰って来れぬことから、いつしか聖都は迷宮都市と呼ばれ恐れられた。
都市に残る人々は迷宮を踏破し、濃霧と虚人から都を救ってくれる勇者が現れるのを待ち望んだ。
しかし、これまで迷宮都市を訪れた歴戦の戦士も、高名な賢者も、敬虔な信徒も、迷宮の踏破は叶わなかった。
そしていつしか、迷宮都市に派遣される調査隊の数は減り、都市そのものが世界から見捨てられつつあった。
未だに迷宮都市へ訪れる者がいるとすれば、腕に覚えはあるが権力は無く、意地は持てど誇りは持たず、勇敢と命知らずの紙一重──
──そう、冒険者である。
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迷宮都市を臨む南の丘。そこには歳も性別も体格も思想も違う、けれど目指すべき場所だけは一致している集団が立っていた。
「あの霧の向こうが迷宮都市か」
そう口にしたのは誰だったか。数十人から成る集団の中で特定するのは困難だ。
目的地を目にしたことで野心が熱を持ったのか、冒険者たちは浮き足立つ。
「皆の者!」
張り上げられた声は、威勢の中にも聡明さが感じられる男のものだった。男は集団の先頭に立ち、良く使い込まれた銀の甲冑を鳴らしながら、琥珀玉の装飾が付いた戦斧を背中から抜いた。
「遂にこの時が来た。聖都を、いや、世界を脅かす霧の謎を解き明かす時が! 迷宮に巣食う魔物の首を狩る時が! 迷宮に眠る財宝を手にする時が! これまで幾度となく冒険者の一団が挑み、未だ到達しえない深層へ、我らが辿り着こう! さあ、未知なる冒険の始まりだ!」
「「「うおおおぉぉぉぉぉぉっ!!」」」
冒険者が冒険心を煽られ、どうして昂らずにいられようか。彼らは一斉に得物を掲げ、雄叫ぶ。
「……ヘッ。単純な連中だこと。ついこないだまで、顔も知らねぇような間柄だったってのに」
呆れと嘲りが入り混じった声で吐き捨てるのは、集団の最後尾で両刃両手剣を肩に担いだ重戦士だ。
重戦士の言う通り、ここに集っている冒険者は、迷宮都市探索のため徒党単位で各地から集った面子であり、ほとんどが初対面だ。集団の先頭で音頭を取っている者は少し名の知れた冒険者らしいが、広い世界の隅で武勇が謳われたところで知らぬ者の方が遥かに多い。
「捻くれて熱くなれない奴よりはいいと思うけどねー、アタシは」
ココン、と小気味良く鎧を叩いて茶化すのは、軽装の上に外套を羽織った斥候だ。
集団の最後尾で捻くれる重戦士にも、軽口を叩いてくれる仲間は居るのだ。
「ハッ。熱に浮かされておっ死んだ奴を見ても同じこと言えるかよ?」
大袈裟に肩を竦めて見せる重戦士に「ごほん」と咳払いを放つのは、頭から足元までをすっぽりと厚手の長衣で覆った魔術師。
「この場にいる時点で、我々も彼らも一蓮托生の身。気安く死ぬなどと口にするべきではない」
魔術師の注意を、重戦士は聞く耳もたぬと言わんばかりに鼻で息を吐いた。
不満を垂れ、それを茶化し、咎める三人の間を割るようにして一人の戦士が通り過ぎる。全身を鉄鎧で包み、左手に中盾を持ち、左腰には鞘に納められた両刃剣を下げている。
「どうでもいいけど、もう先行っちゃってるよぉ?」
戦士が通り過ぎたことで出来た空間に、滑り込むように体を入れて来たのは長弓を背負った弓手。口調と同じく、気怠そうに体をくねらせた。
重戦士は戦士に追い付き、追い越す勢いで走りだし、魔術師は勝手に先行する二人を注意すべく後を追った。
「あ……ったく、ホントに足並み揃えんの下手なんだから」
「上手に援護、してあげないとねぇ」
二人はくすりと笑みを交わし、一党の仲間と合流すべく駆け出した。
南の丘を駆け下り、濃霧の中に突入すると、想像以上に濃い霧の所為で視界は真っ白……いや、白いのかどうかも判別できぬ程であった。
冒険者らは気味悪さを覚えつつも狼狽えず、足早に濃霧を突っ切る。
「敵襲!」
晴れた視界で景色を確認するより先に警報が届き、次いで激しい戦闘音が鳴り響く。
荒れた平野で剣戟を交わすのは冒険者たちと、粗末な格好をした者たち。
冒険者とて、全員が小綺麗な鎧を身につけている訳ではない。個人の趣向や動きやすさを鑑み、蛮的な者も少なくない。だが、敵対者は違う。彼らの装備はどこかしらが潰れ、割れ、折れ、破れている。
野党の類いかと思われたが、それにしては静か過ぎる。他人の命や荷物を奪おうというのに、常に脱力気味では不気味かつ不自然だ。
「くっ、こいつら……!」
銀甲冑の男は流れるような体捌きで敵を斬り飛ばす。泥の様な黒い液体を噴出させながら敵の兜が外れ、白眼すらも黒く染まった瞳と視線が交わった。
迷宮都市探索の依頼を受けた際、聞いた事がある。迷宮都市には人の形をした魔物が棲んでいる。奴らは意思を持たず、しかし何かを求めるように意思ある者を襲う。正気を失った虚ろな瞳から、いつしか奴らの事はこう呼ばれるようになった──
「──虚人!」
戦斧を豪快に薙ぎ、二体目の虚人を地に伏せる。
敵の数は多いが、個々の能力は装備含めて低い。奇襲を受けた形となったものの、体勢を立て直せば十分に押し返せる。冒険者を率いる者として、威勢を示して見せねばなるまい。
戦場に声音を轟かせようと、大きく息を吸い込んだ時だ。頭部が大きく揺れ、放出しようとした息は口よりも下で熱と共に漏れ、潰れた言葉だけが絞り出された。
体から力が抜け、戦斧を落として膝を付く彼は、瞬く間に虚人の群れに埋もれていった。
指揮者が倒れたとて、無法者にも似た冒険者にはさほど影響は無い。彼らにとって、目の前の敵を倒すのに必要なのは賢しい作戦ではなく、自分の力を思いのままに振るうことなのだ。
「早めに弓兵を潰さねばなるまいな。矢避けとて、無限に張れるわけではない」
飛来した矢が目の前で弾かれるのを見送りながら、魔術師が告げる。
「それはそうなんだけどよ……こう数が多くちゃ、前に進めねぇって!」
重戦士の両刃両手剣が虚人を一人斬り飛ばし、虚人の群れへと激突させる。踏ん張る力がないのか、虚人の群れは容易く転倒し、進攻が滞る。
「多いのもそうなんだけどぉ、数減ってなくなぁい?」
転倒して団子状態になった虚人へ、火矢を射掛ける弓手の横から「こっち!」と快活な声音が届いた。斥候だ。
「敵の層の穴を見つけた! 急いで!」
「でかした! 突っ込むぞ! 続け!」
景気づけに両刃両手剣を大振りして虚人を蹴散らす。斥候と重戦士が先頭を、その後ろに魔術師と弓手が続き、しんがりを戦士が中盾を構えて務める。
斥候に案内された穴の先では、虚人の屍と共に、斬り伏せられた冒険者が幾人も転がっていた。
「おいおい、なんだぁ?」
威勢よく駆けていた重戦士の足が鈍り、死屍累々の光景を凝視した。
冒険者の死体は全て、叩き潰されたように臓腑を撒き散らしている。凄惨であるが、戦場であるならばあり得ない光景ではない。ただ、死体の中で一人、静かに佇んでいる者がいると、途端に不気味さが増す。その者は人にしては随分と背が高く、人間の血に濡れた紫の司教服と司教冠を身に着け、右手に持った皿の無い天秤を胸の前で掲げ、左手に無刃の大剣を手にしていた。
「あれも虚人なのぉ?」
弓手が矢を番え、対象に狙いを定める。司教冠の下にある顔は枯れ木の様に朽ち、紫色をした眼窩だけが鋭く光っていた。
次の瞬間、弓手の視界から敵は消え、代わりに火花が散った。
「間抜けんのは口調だけにしろ!」
怒号。
火花は重戦士の両刃両手剣と敵の無刃の大剣がかち合って生じたものだった。無刃の大剣が上、両刃両手剣が下。体勢は悪く、体躯の差も大きい。如何に屈強な重戦士と言えど長くは持つまい。
「こっち!」
横に飛び出していた斥候が、両手の指に挟んだ投擲短剣を右、左と時間差で投擲する。
司教服の敵は重戦士との競り合いをあっさりと止め、後退して投擲短剣を躱す。かと思えば再び重戦士との間合いを一瞬で詰め、無刃の大剣を突き出した。
競り合っていた物が無くなった事で重戦士の体勢は崩れており、まだ受けも回避も取れぬ状態であった。
鉄と鉄が激しく衝突する。
「へっ!」
甲冑を着込んだ仲間の背を目にし、重戦士の口角は上がった。
しんがりの戦士が前線に飛び出、突き出された無刃の大剣を中盾で弾いて軌道を逸らしたのだ。
戦士はそのまま突撃して両刃剣を振るい、敵の腰部を狙った。
「────っ!」
潰れた咆哮が轟き、一瞬の間を置いて鉄の潰れる音が響いた。
その場にいる人間全員、仲間が一人消えた事に気付くまで、数瞬かかった。
「救援を!」
最初に冷静さを取り戻したのは魔術師だった。
「アタシが!」
仲間の声で時間を取り戻した斥候の脳裏に、吹き飛んで行った戦士の姿が映る。そして、この徒党で負傷者の救援は、身軽かつ薬類を多く持つ斥候の役目であった。
弓手が矢を連射して敵の足を止め、重戦士が必殺の一撃を狙って威嚇する。
相手は強敵であり、対峙する頭数も減ってしまった。だが、常に全員が万全でないと困難を乗り越えられないようでは、この徒党はとうの昔に全滅か解散していただろう。徒党としての全力が出せない。困難とはつまりそういう状況なのだから。
「魔法の太矢!」
敵の標的から外れた魔術師は杖を掲げて精神を集中させ、古代語を魔術因子に変換した言葉を発した。すると杖の先端に付けられた水晶から魔力が呼び起こされ、膨らみ、伸びると一本の太矢を模った。
魔術師が杖を振るうと太矢は尾を引いて放たれ、正確な狙いの下、敵の頭部へと迫った。
戦線から離れ、戦士を探す斥候。吹き飛ばされた仲間の残像を追っている内に、濃霧の中へと迷い込んでしまう。
「どこまで飛ばされたの?」
自身の手足すらも霞んで見える濃霧の中、戦士の名前を呼んで応答を願うが、返って来るのは耳の痛くなるような無音のみだ。
戦士の治療も、自身の戦線への復帰も早くしなければ全てが手遅れになってしまう。
焦燥する斥候の傍で、何かがスッと振り上がった。注意していても見逃してしまうような些細な変化であったが、それに気付けたのは、冒険者の斥候として今日まで食い繋いで来れた証であろう。
故に、斥候は最後に、自分が無刃の大剣によって叩き潰されることを知る権利を得た。
誰が呼び始めたか冒険者。
世界から見た冒険者の印象はこうだ。
五聖教が統治する世界で、神を信仰せず、商いもせず、畑も耕さず、身一つで大地を渡り歩く者たち。時に神秘に見え、時に巨万の財を得、時に野盗へと堕ち、時に野垂れ死ぬ。
冒険者となるにはそれなりの理由があるものだが、大地に散らばる砂粒の違いを気にする者がいるものか。
なので──迷宮を踏破し、歴史に名を残そうと夢見た冒険者が、迷宮都市に一歩も足を踏み入れる事なく野垂れ死んだとて、世界から見れば些末事でしかないのだ。