持つべきものは友
夢を見ていると、これは夢だと気づく事がある。今がまさにそれだ。
甲子園に出場し、エースを務める俺が事もなげにホームランを打ち、チームを勝利へと導く。外野には、「潤君素敵」、と黄色い声を張り上げる女生徒で溢れている。
現実では自らの打球で前歯を欠損してしまう程にダメな俺だけど、この世界なら俺の思いのままだ。だからこそ試してみたくなる事がある。
この場で全裸になったら皆はどんな反応をするのか。現実では決して許されないことだ。
だが、これは夢。許される。
普段から、潤君ってチビだよね、と同級生の女子に後ろ指をさされ、野球部の後輩には、潤先輩ってベンチの座り方だけは本当に上手ですよね、と小馬鹿にされている。
夢の中で些細な反撃を試みたくなるのも必然だ。
自慢ではないが俺には陰毛がない。
夢だからではなく現実でもないのだ。
高校二年生で下の毛が生えていないのは、毛の処理が煩わしい年頃の男女からしたらさぞ魅力的に映るだろう。
なぜアイツは生えていないのか。くそ羨ましいって感じにね。
そんな訳で日頃の行いを夢の中で返そうってわけさ。
決して俺に露出癖があるからではない。
さて実行しようーーそう思った途端、天空からオフクロの声が雷の如く鳴り響いた。
ーー潤! 時間よ! 起きない!
やばい! オフクロの声だ!
クソ! もう朝なのか。
意識が覚醒する前にこのささやかな復讐を遂げなければ。
ーー起きなさい!
クソ! オフクロめ!
俺の復讐劇を邪魔するかーーあ……。
次第に大きくなるオフクロの声に抗う事は出来ず、俺の意識は夢から遠退く。
こうして俺の小さな復讐劇は幕を閉じた。
「ここは地獄か…」
目を覚ますと眼前にしわくちゃの妖怪がいた。オフクロだ。しかも距離が近いため、高齢者が放つ独特の臭いが鼻につく。
朝から最悪だ。
「なに寝ぼけたこと言ってるの! 早く起きなさい! 学校に遅刻するわよ!」
「うるさいなぁ」
オフクロの声は本当に大きくよく通る。恐らく俺の部屋だけでなく家全体に声が木霊しているはずだ。そんな声量オバケに近距離で起こされるのだ、たまったもんじゃない。
「今日は休む」
「なに馬鹿言ってんの! 始業式早々休むなんて許しませんよ」
普段なら素直に従う俺だが、今日に限っては反抗した。別に体調が悪いわけではないのだが、夏休み明けで精神的に参っている。夢の中での復讐劇が邪魔されたのもそれに拍車を掛けていた。なにより高校野球選手権で大恥をかいているので、登校すれば皆の笑い者になるのは火を見るより明らかだ。
実際あの事件から二週間ほど月日が経っているのだが、あれ以降は全く部活に顔を出していない。
ひたすら寝ては夢の中に逃げていた。
今日もその腹づもりでいたが、やはり学校が始まるとなるとそうゆう訳にもいかない。
オフクロは何が何でも登校させる気でいる。
「いい加減にしないと本当に怒りますよ!」
「うるせぇ! 休むったら休むんだ!」
だが俺も譲らない。
本当に学校に行きたくないんだ。
予想外の抵抗にオフクロは驚きを隠せないようだ。
押し黙っている。
ふん! いつまでも従順な子供だと思うなよオフクロ。少し遅めの反抗期ってやつさ。
「分かりました。もう何を言っても無駄なようですね……」
オフクロは落ち込むように項垂れる。そしてボソボソと呟き始めた。
呪詛でも唱えているのかと思うほど声が小さいのでほとんど聞き取れない。唯一聞き取れたのは、仕方ないか、と諦めたような台詞だけだった。
やっと観念したのかな?
きっと本気の熱意が伝わったんだな。
やった学校サボれるぞ!
そう安堵していると、オフクロは部屋から出ていこうとーーーーするのではなく、着ていた割烹着をおもむろに脱ぎ始めた。
「オ、オフクロ?」
困惑する俺を余所にオフクロはファイティングポーズを取り始めたのだ。
自分の母親ながら行動が全く読めない。
「口で言っても分からない子には拳が一番です。掛かってきなさい!」
「え?」
間髪入れずにオフクロが飛び掛かってきた。掛かってきなさいって言った癖にそっちから来るの⁉︎
もうやめて!!!!!
俺はなす術なくボコボコにされ否応なく学校に登校させられた。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
「痛い」
腫れ上がった左頬を押さえながら沼白高校へと向かう。
沼白高校は自宅最寄駅から二駅先にある黒の沼駅にある。区間だけ観れば大した距離ではないが、下車してから徒歩三十分も掛かるのだ。また勾配が急なので歩くだけでも体力を削られる為、歩くスピードが自然と落ちる。それに加えて今は満身創痍だ。走らなければ遅刻確定である。
ああ、空は俺の心と違って淀み一つないな。そのせいもあってかな、暑い。そういや、あの試合の日も丁度こんな暑さだったな。どうせならこの暑さで皆の記憶を燃やし尽くしてくれればいいのに。
暑さと学校への距離が縮むにつれて悲観的になる。
学校に行きたくない。
きっと皆が俺を笑い者にするんだ。
もういっそのこと登っているこの坂を全力疾走で降ろうかなーーなどと考えていると、突然背後から肩を叩かれた。
「よ! 潤!」
振り向くと額から汗を流している南條自適がいた。少しばかり息を切らしている。どうやらこの坂を走ってきたようだ。
「おお! 南條!!」
南條自適ーーこいつは俺の心許せる数少ない友達。誕生日と血液型が同じだと言う事もあり、入学早々意気投合したのだ。注釈を加えると二年間同じクラスでもある。
そんな大親友の南條が右腕に着けている腕時計を指差した。
時刻は八時二十分。
俺の高校は八時三十分までに登校しなければ遅刻扱いだ。
「潤、このままだと遅刻だ。走るぞ」
どうやら南條に遅刻する意思はないようだ。
遅刻する気でいたが仕方なく一緒に走ることにする。
「めちゃくちゃ顔腫れてるけど、どうしたし」
「今朝、オフクロとタイマン張った」
俺にも見栄はある。
オフクロに何一つ反撃出来ないでフルボッコにされたなんて口が裂けても言えない。
「突っ込みどころ満載だな。で、揉めた理由は?」
「俺が登校拒否したから」
「チラッと耳にしたけど初出場で盛大にやらかしたみたいだな。それが登校拒否の原因?」
「うん」
南條は返答を考えているようで走りながら腕組みをしている。
ベンチとはいえ野球部の俺に歩調を合わすとは帰宅部なのに恐るべしスタミナ。
考えがまとまったようで、南條は再び口を開く。
「まぁそもそも試合は劣勢だったみたいだし、そんな大事な場面での大役、しかも初めての試合だったんだからプレッシャーに負けて本領発揮できないのも無理ないよ。むしろそんな大事な場面で抜擢されたって事は監督は潤に何かしら期待してるって事だよ」
「ありがとう。でも帰宅部の南條がそこまで詳細に知ってるって事は全校に知られてるって思った方がいいよね」
「周りなんて気にするな。次の試合でギャフンと言わせられるよう努力すればいい。お前はやればできる男なんだから」
南條は凄いな、いつも前向きに物事を捉えられて。俺とは大違いだ。でもそうか、監督がなんの考えもなしにあんな大事な局面で俺を出したりしないもんな。そう考えると元気が湧いてきたぞ。
南條の励ましで幾分か気分が明るくなった俺は走る速度を上げた。
「おい! 急に速度あげるなよ」
「あは。南條のお陰で元気でたわ」
「それは良かった。あとさ、一番大事なこと訊くの忘れてた」
「なに?」
「タイマンの勝敗は?」
ようやく校舎がみえてきた。
ギリギリ遅刻せずに済みそうだ。
「互角」
結局、他人の評価を気にする俺は見栄を張った。