夜這いから始まる新婚生活
「はぁぁあああ?! 明日、婚約する? 女嫌いで有名のユルート伯爵と? 何故そうなったのです兄さま!!」
夜も更け各々就寝の時間に入るころ、リトラルド子爵邸では絶叫にも近い怒鳴り声が響いた。
少女はすごい剣幕で兄と呼んだ青年の胸倉に掴みかかり、その返答次第では殴り倒そうと言わんばかりに、青年の服をつかんだ拳に細い青筋を立てている。
胸ぐらを掴まれているにもかかわらず、青年は深い碧の瞳を和らげのんびりとした口調でまあまあと少女を宥めていた。
「別に悪い話でもないじゃないか。伯爵様との結婚なんて玉の輿だろう? もっと贅沢できるかもしれないよ?」
「わたくしは贅沢したいのではありません! お父様やお母様のように素敵な恋をして、幸せになりたいのです。第一、あの伯爵様がわたくしを受け入れてくださると思って?!」
そう。ユルート伯爵は『冷徹な貴公子』と称されるほど格好よく、女嫌いだ。この前はあの社交界の花、侯爵令嬢のリーリア様の誘いさえも断ったと専ら評判だった。
まあその視線がイイとかいう令嬢方が続出しているのが貴公子が貴公子である所以なのだが。
そんな方が有り得ない!と少女がわめいていると、青年は溜息をついた。
「婚約したのだからから受け入れるに決まっているじゃないか。受け入れられないのはお前の趣味だけだろう」
そう青年が断言した瞬間、少女は ああぁぁ……と呻いて蹲った。ふわりと白金髪が舞い、青年より少し優し気な色味の翠は潤み、艶やかさが醸し出されている。
小柄なことも相次ぎ、一見すれば庇護欲をそそる可愛らしい小動物のようであるが、見た目とは裏腹にその瞳は怒りと計算で埋め尽くされていた。
顔を塞ぎ、泣きそうな声で兄に問う。
内容は勿論先ほどからのらりくらりと交わされてきた‘何故急に婚約の話になったのか’という質問の答えだ。普通に婚約を打診されたならそういえばいいのに、こんなに話を逸らすのにはきっと何か訳がある。たぶんクズな方向に。
兄もこれ以上逃げられないと踏んだのか、頭をかいて申し訳なさそうに眉を下げた。
「ああ、実は王宮帰りに行きつけの店に寄ってね、カウンター席で飲んでいたらユールト伯と会ったんだ。今ままでは挨拶を交わす程度の仲だったんだが、意外と話が合ってね。ポーカーをやろうってことになったんだ。それでユールト伯が最近周りがやれ結婚しろと煩いというから……」
「まさかわたくしを賭けの対象になさったんですの?!」
有り得ないと目を見張ると、兄は肩を竦めた。
それはその言葉が正しいと示していて、止めと言わんばかりに酒の勢いで書いたのか文字がふにゃふにゃな婚姻届けを見せられ少女――リーゼロッテのナニカが切れた。
「このバカ兄がああああああああ!!!!」
右手で鳩尾を殴る。拳に手ごたえを感じ、兄は確かに崩れ落ちた。
*****
わたくし、リーゼロッテ・リトラルドはわりと温厚なほうだと思う。
こんな状況になっても横にいる兄を刺し殺さないし、今から会う伯爵様にだって穏便にわたくしに殺されるか婚約を破棄するかを選ばせてあげようと思っているのだから。
一応失礼のないように晴れ着だって着ている(着させられている)が、酒の過ちなんて誰でもあるよアハハハハーで済んだらそれに越したことはない。というか八割九分その可能性しかない。
だってこんな何のとりえもない中堅子爵と婚姻を結んだって何の旨味もないし。
というわけで一旦兄への怒りを収めて、ガタゴトと砂利道の揺れを感じながら見慣れない風景に魅入っているわたくしです。まあ。母親に抱きかかえられた子供が手を振ってきたわ。可愛い!
この時はまだ予想が大きく外れていたことをわたくしは知らなかった。
伯爵邸に着くと、そこには子爵ではお目通りもできないような豪華絢爛な装飾品の数々が並んでいた。というかお屋敷がまずデカい。思わず魅入っていると、ニコと穏和な笑みを浮かべた執事がお待ちしておりました。と頭を下げる。それから屋敷の主がいる場所へと案内された。
こちらでございます、と示された先は玄関とは打って変わって落ち着いた趣のある部屋。そこに居たのは夜会で絶世の美貌と謳われている背の高く比較的体つきの良い黒髪の青年、ルドラス・ユルート伯爵。
冷酷の貴公子の名は伊達じゃないというか、カーテシーをしたわたくしを華麗にスルー。それからずっと兄と喋りきりだ。
よしよし。伯爵はこの婚姻に毛筋の興味も持っていないと思われる。
兄と好きなだけ話して帰り際に婚約は無かったことで、とか言われるパターンね。
安心したわたくしはそのまま始終帰りに食べられそうな美味しそうな露店について考え、向こうの話など耳に入って来ていなかった。表情筋だけは笑顔をキープしていたのだが。それがいけなかったのだろうか……。
「いやーじゃあこれから宜しくお願いしますね」
と満面の笑みで言ったのは、バカ兄。
「ああ」
と短く答えたのは、なんちゃらの貴公子。
「……」
笑顔で固まったのは、展開についていけないわたくし。
そしてそのまま兄は颯爽と帰ってしまった。いかにもやり切った感が出ていて、とてもウザい。あのまま肥溜めに落ちて窒息しろと思ったわたくしは悪くないと思う。
そして貴公子サマはそのままわたくしを一瞥もせずにどこかへ行った。
あれ、わたくしオイテカレタ……?と思ったらメイドに拉致されお風呂にドボン。
そのまま着飾られ、わたくしはフリーズした。その間もメイクされている。え、これどうなってるの?
で、そのまま夕食へ。その間貴公子サマ無言。私も無言。世界一冷え切った夕卓の出来上がり。わあ。
……だめだわ。思考がおかしなことになっている。
そして案内された自室にて。
暫くぼーっとしていたわたくしは、あることに気づいた。
「っこのままじゃ、わたくしの趣味がっ」
そう。わたくしには崇高なる趣味があるが、理解者は非常に少ない。
それをあの伯爵に見つかったら……!
軽蔑した目で見られるのは、まだいい。いや、貴方に何がわかるのと怒りが湧くが、まあいい。
こんな奴いらんと突き返されるのもいい。もともとその予定だったし。
だけど、もし取り上げられて購入も認められなかったらっ、わたくしは!!
*****
同じ頃、ルドラス・ユールトはほっと息をついていた。
昨日酒の勢いで婚姻届を書いたと後から執事に教えられたときは焦ったが、結果的に良かったのかもしれない。
リトラルド子爵の妹は、小柄な容姿で穏やかな性格に見えた。いつも社交界で寄ってくるシツコイ輩のように強引なことはしないだろうし、何よりルドラスのことを少しも気にした様子がなかった。
この女嫌いが直らないのなら、形だけの妻としては上出来だ。子供は分家から養子を引き入れればいいし、『お飾り』を探す手間が省けた。
懸念していたことが無くなったからか、今日の果実酒は一段と美味い。
酸味と甘味が口の中に広がり――トントントントンとノック音が聞こえる。
粗方執事のセバスだろうと思い、入れとドアに向かって言う。そうして入ってきたのは――
もこもこの羊だった。
いや違う、今日迎えたリトラルド子爵の妹、リーゼロッテだ。
リーゼロッテは物珍しそうにルドラスの部屋を歩き、ルドラスの目の前に座る。
それをいつも女性に向ける冷たい目で見るのではなく思わず見つめてしまったのは、羊と揶揄できるくらいもこもこな寝間着を着ていたからだ。先ほどまで縛っていた髪を下げ、もこもこな抱き枕?まで抱えてとことこと歩く姿は可愛らしく、彼が知っている『女性』とはかけ離れていた。
抱きしめたら柔らかそうだ、という考えが脳裏を掠める。
どうしたんだい?と聞くと、リーゼロッテは驚いたように目を見開いたが気を取り直して得意げな顔をし、言う。
「夜這いにきましたの!」
……?
「うん、聞こえなかった。もう一度言って?」
「だから、夜這いにきましたの!!」
「……」
……この子は何を言っているんだろう?
そんなもこもこで夜這い?そんなことするのとは真逆の装いに見えるのは自分だけだろうか。
万が一、本当に夜這いに来たのだとして、そんなに大声で宣言することか?
ちらっとリーゼロッテを見るとその眉は寂しそうに垂れ下がっていた。
「あの、わたくし何か変なこと言いましたか?」
うん?言ってるか言ってないかと聞かれれば言っているが。
この場で言うのは可哀そうな気がするな。
「……リーゼロッテ嬢は夜這いという意味を知っているのかな?」
「? 男女が一緒に寝ることだとお兄様に伺いました」
間違ってはいない、が、多分この子は意味を分かっていない。頭を抱えたくなった。
「ね、行きましょ。それともわたくしはそんなにイヤですか?」
「嫌ではないが……」
「じゃあいいでしょう?」
無邪気に笑うリーゼロッテに、ルドラスは考えるのをやめた。
手の引かれるがままに寝室へと行き、リーゼロッテと笑いあって、寝る。
その日は久しぶりに悪夢も見ずに寝ることができた。
*****
「――?!」
起きたら伯爵様の腕の中にいました。なんて、誰が信じるのでしょうか?
そしてさっきねぼけて頭を擦り付けてしまったのだけど、不敬にならないのでしょうか?
というか何故わたくしはここに――そういえば趣味のことについて考えていたらおいしそうな果汁水があって、飲んでから記憶がないのですが……もしかしなくてもやらかしました?
――ああ、それにしてもぬくいなあ。
令嬢ならば誰でも焦がれているであろう伯爵を抱き枕にして、わたくしは二度寝を満喫した。
――自分を見つめた楽しそうな視線には気づかないまま――
こうして二人の新婚生活は幕を開けた。
ご視聴ありがとうございました。
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