96話 探偵、魔王キング・リゾックを倒す 2
泣いていたルチルだったが、すぐに落ち着いた。
もう大丈夫そうである。
俺は言った。
「さて、じゃあ魔王を倒しに行くか」
アマミは真面目な顔で、ルチルは緊張した顔でうなずいた。
俺たちは歩き始めた。
魔王の部屋は、一辺500メートルの巨大な地下空間である。内部にドームがあり、俺たちは今、その中にいる。
上から見ると、下図のようになる。■が壁、□がドーム、魔が魔王である。
俺たちは、☆から★に向けて移動する。
■■■■■■■■■
■ 魔 ■
■ ■
■ ■
■ ■
■ □□□ ■
■ ★←☆□ ■
■ □□□ ■
■■■■■■■■■
★に着くと、魔王の姿が見えた。
「お……おおっ……」
畏怖と恐怖の入り交じった声がした。
ルチルである。
「あれが……魔王……」
生まれて初めて見る魔王の姿に、ルチルは震える声でつぶやく。
声だけでなく、体も震えている。
「レコの記録通りの姿だな」
俺は魔王を見ながら言った。
魔王の容貌は、レコの記録に描かれている通りである。
巨大なイカだ。体高30メートル。全身が青く、角を生やしている大きなイカの姿である。
「動く気配はないですね」
魔王の様子を観察しながら、アマミは言う。
彼女の言う通り、魔王は彫像のようにじっとしたまま動かない。
「近づかない限り、魔王は何もしてこないからな」
レコの記録でも、こう書いてある。
――いま、この地下空間にいる魔王は見たところ、近づかないと何もせず、ただじっとしているタイプの魔物である。
魔王が動くのは、300メートルより手前まで近づいた時である。
――もっとも、魔王も黙っていなかった。
――距離が300メートルを切ったあたりから黒い液体を口から吐き始めたのだ。
今、俺たちがいる場所は、魔王から500メートル近く離れている。
ゆえに何もしてこない、というわけだ。
「だから、安心しろ、ルチル。ここなら安全だ」
俺はそう言ったが、ルチルは顔をこわばらせている。
「ジュニッツ殿は……」
「うん?」
「ジュニッツ殿は、その、魔王と戦うのが怖くないのじゃろうか? あ、いや、もちろんジュニッツ殿が推理した『魔王の倒し方』はみごとであったし、あの方法なら確実に魔王を倒せるとは思う。
だが、それでも相手は魔王じゃ。万が一があるかもしれぬ。わらわならきっと、その万が一が怖くて何もできぬ……今でも魔王の姿を見て震えているくらいじゃ。だから、落ち着いているジュニッツ殿を見て、すごいなあと思ってのう……」
俺は肩をすくめた。
「そんな大層なものじゃねえさ。俺は探偵だ。探偵は推理をする。
だが、推理ってのは、それだけじゃ意味がねえ。行動を起こして、推理が正しいかどうかを確かめる必要がある。
行動を起こすのは誰だ? 当然、探偵だ。自分で推理したことなんだから、自分で体を張って正しさを確認する義務がある」
無論、今ルチルに頼めば、俺に恩のある彼女は『推理が正しいかの確認』を代行してくれるだろう。
やり方は簡単だ。
まずルチルに月替わりスキルを取得してもらう。
次に、俺が推理した通りのやり方で魔王を倒しに行かせる。魔王に恐怖しているルチルだが、それでも義理堅い彼女は、俺への恩を果たすため、震える足で必死に魔王を倒しに行ってくれるだろう。
その結果、どうなるか?
もし推理が間違っていたら、魔王は倒せない。ルチルも死ぬかもしれない。が、俺は安全である。
一方、ルチルが魔王を倒しそうになったら、推理は正しかったということである。ルチルには戦いの途中で引きあげてもらい、後は俺が全く同じやり方で魔王を倒して手柄を独り占めすればいい。
どっちに転んでも、俺に損はないというわけだ。
もっともこんなクソみたいなやり方、吐き気がするから、やるつもりはない。
ルチルにも教えない。教えたらルチルは「なるほど! そのやり方なら、わらわも役に立つことができるのじゃ! ではさっそく恩義のあるジュニッツ殿のために、怖いが、わらわが魔王を倒せるかを確認してくるのじゃ」などと言い出しかねないからだ。
俺はただこう言った。
「なんにせよ、自分の推理の正しさは、自分の命を張って確かめるのが当たり前だ。俺はただ、そういう当然のことをやろうとしているだけさ」
「そ、そうじゃろうか? 普通は、なかなか命など張れぬし、やはりジュニッツ殿はすごいと思うのじゃが……」
ルチルは納得のいかない様子ではあったが、これ以上この話を続けるような状況でもないと思ったのだろう。
「話をそらせてしまって申し訳なかったのじゃ。続きをお願いするのじゃ」と言った。
「わかった。で、魔王だが」
「うむ」
「倒し方は分かるな?」
「倒し方……えっと、『死神対戦』を使うのじゃったな。死神を呼び出してチェスリルの決闘をする能力じゃ」
「そうだ。で、この能力を使った後、注意しなければならない点が2つある。何だか分かるか?」
俺の問いかけに、ルチルは首をひねった。
「む……なんじゃろうか?」
「1つ目は、しゃべれねえってことだ」
一昨日の晩にも話したが、死神対戦は、念じることで発動する。
そして、念じたら、すぐに決闘状態になる。
――死神を呼び出す儀式や呪文詠唱が完了した瞬間から、決闘開始である。
決闘が始まるということは、決闘作法が適用される。
作法では、私語は死罪である。決闘と関係のない余計なことを口にしたら死ぬのだ。
「死ぬのは俺だけじゃない。決闘の当事者である俺が話せば死ぬのは当然だが、アマミとルチルも、俺の仲間として同じルールが適用される可能性がある」
「わらわ達も、しゃべったら死ぬ、ということか……」
「そうだ。8時間の間、黙っていてほしい」
死神対戦の効果は8時間で切れる。
効果が切れれば、決闘も無効となって終了する。
――効果の終了は、決闘が終わるか、時間切れ(決闘開始から8時間経っても決着がつかない)になった時です。
――時間切れの場合、決闘は無効になります。
言い換えれば、決闘開始から8時間のあいだは、言葉を発したら死ぬということである。
「もう1つの注意点は、動いちゃいけねえ、ってことだ。決闘作法では、離脱も死罪だからだ。アマミもルチルも、座ってじっと待っている必要がある」
俺は動ける。
2日前に語ったように、決闘作法では『対戦相手が来るのを待っている間、目に見える範囲に魔物がいたら駆除すること』が推奨されている。だから、俺は魔王を倒すため、動き回ることができる。
だが、アマミとルチルは魔王とは戦わない。俺の推理したやり方だと、複数人で魔王を倒しに行っても意味がないからだ。魔王と戦わない以上、彼女たちは歩くことも立ち上がることもできない。
「まとめると、8時間のあいだ、銅像のように黙ってじっとしている必要がある、ということだ」
「う、うむ、わかったのじゃ。肝に銘じておくのじゃ」
「アマミもいいな?」
「もちろんです」
「とはいえ、長時間じっと待っているのも退屈だろう。そこでだ」
俺は、スーツのポケットから紙を取り出し、たたんでいたそれを大きく広げた。
「これは……なんじゃろうか? びっしりと文字が書いてあるようじゃが……」
「なぞなぞだ」
「……は?」
「ほら、紙に色々と問題が書いてあるだろう。『剣は剣でも、探偵を呼び寄せる剣はなーんだ?』とかな。どれもこれも、昨日の晩、俺が一生懸命考えた練りに練ったなぞなぞだ。動くこともしゃべることもできなくても、頭の中で問題を解くことはできるだろう? このなぞなぞ集があれば、時間もあっという間に過ぎるってわけさ」
ルチルは、ぽかんと口を開けた。
一方、アマミは、
「ジュニッツさんはすごいなあ」
と言う。
「いえね、魔王討伐の前夜にすることと言ったら、作戦を確認したりとか、武器の手入れをしたりとか、そういうのが普通でしょう? なのにジュニッツさんは大まじめに、なぞなぞ作りをするんですからねえ。大物だなあ」
からかっている様子もなく、妙に感心した顔でよく分からないことを言う。
どう反応すればいいのか。
俺は「とにかく」と言った。
「とにかく、これで事前に言うべきことは言った。後は魔王を倒すだけだ。何か質問はあるか? ……ないな。じゃあ、ちょっと倒してくる」