72話 探偵、魔王の記録を見る 4
かつてこの町で魔王と戦った冒険者レコとキーロック。
2人のうち、レコのほうがユニークスキル魔眼で「魔王の倒し方を見抜いた」と宣言したところまで俺たちは読んだ。
その倒し方とは何か?
ページをめくると、そこにはこう書いてあった。
『わたしはキーロックに魔王の倒し方を説明した。
とはいえ、その方法というのは、今まで見てきた中で、群をぬいて奇妙なものであった。
「倒し方はシンプルなんだ、キーロック。魔王に触ればいいんだよ」
「……ああん? なんだって?」
「魔王に触るんだよ」
「触るって……手でぺたっと触りゃいいのか?」
「……ああ、そうだ。魔王に1時間、素手で離さず触り続ければいい。力を入れる必要もない。ただ普通に触るだけ。それだけで魔王は死ぬ」
自分でも奇妙なことを言っているという自覚はある。
普通、魔眼で見抜く倒し方というのは、背中が弱点だとか、氷魔法に弱いとか、そういう常識的なものである。
触っただけで倒せるなど、数多くの魔物の弱点を見抜いてきたわたしでも初めてである。
とはいえ、魔眼でそう見えてしまったのだから仕方がない。
わたしの言葉を聞いたキーロックは、しばし目を瞬かせていたが、やがて口を開いてこう言った。
「……いや、意味が分からん。なんで……触るだけで倒せるんだ?」
「わたしに聞かないでくれ……。理由など分からん。そんな難しい話が分かる人間じゃないんだ、わたしは」
「まあ……魔眼で見えた以上、事実だろうし、そこを議論しても仕方がないんだろうが……」
キーロックはそう言うと、魔王の倒し方を受け入れたのだろう。
話の方向を変えてきた。
「それで、触る場所は魔王のどの部分でもいいのか?」
キーロックの質問に、わたしはこう答えた。
「ああ、どこでもいい。顔面だろうと、角だろうと、腕の先端だろう、触ればどこでも構わない」
「ん? ってことは、魔王の玉を触ってもいいってことか? 魔王の玉って、魔王の一部だろ?」
おもしろい考えだが、わたしは首を横に振って否定した。
「いいや、魔王本体を触らないとダメだ。つまり、あの巨大なイカの体のどこかを触る必要がある」
「要するに、魔王自身に近づかないとダメってことか」
キーロックはしばし考えた後、今度はこんな質問をしてきた。
「触るのは誰でもいいのか?」
「ああ。わたしでもいいし、キーロックでもいい。人であるなら誰でもいい。そのへんの赤子でもいいくらいだ」
「レベルは関係ないのか?」
「ない。レベルが高いから触る時間は10分でいいとか、レベルが低いから2時間触らないといけない、なんてこともない。誰が触ろうと1時間触り続ければ倒せる。これは変わらないさ」
わたしの話を聞き、キーロックは「ううん……」とうなった。
「まとめると、魔王本体を1時間素手でずっと触っていれば誰でも倒せるってことか、レコ?」
「ああ、それでいい」
「となると、やつを倒そうと思ったら、近づいて、そして何とか体に触り続ける必要があるってことか……だが……」
キーロックは難しそうな顔をして魔王を見る。
彼の言いたいことはわかる。
相手は魔王なのだ。
1時間も体への接触を許すとは思えない。
「キーロック。知っていると思うが、一応言っておくと、わたしの魔眼は、あくまで倒し方の1つがわかるスキルだぞ? 他の倒し方もあるかもしれない」
「ああ、そういえばそうだったな。じゃあ……とりあえず遠くから攻撃してみるか?」
キーロックは提案してきた。
とはいえ、その言葉には「たぶん、遠くから攻撃しても魔王は倒せないだろうな」という響きが感じられた。
いま、この地下空間にいる魔王は見たところ、近づかないと何もせず、ただじっとしているタイプの魔物である。
ああいう魔物というのは、遠距離攻撃が効かないものだ。低レベルの魔物ならともかく、高レベルになるほどそういう傾向がある。ましてや相手は魔王である。
遠くから魔法や矢を放つだけで勝てるとは思わない。
とはいえ、確認しないうちから結論は出せない。
やってみないと分からないし、たとえ勝てなくても攻撃することで何か倒すヒントが得られるかもしれない。
「よし、攻撃してみよう」
と、わたしはうなずいた。
わたしたちは、今、魔王から500メートル近く離れた位置にいる。
できるだけ近くで攻撃したい。
2人して魔王に近づく。
ゆっくり、少しずつ距離を詰めていく。
おおよそ300メートルほどの距離まで接近したところで、これ以上近づくと何かしてきそうな気配が魔王からしてくる。
わたしはそのことに気づいたし、キーロックも気づいたのだろう。
わたしたちは同時に足を止める。
お互いの顔を見る。
うなずきあう。
それが攻撃の合図だった。
直後、わたしは魔法を放った。
火魔法、氷魔法、風魔法、雷魔法、などなど。
考え得る限りの魔法を、魔王目がけて浴びせる。
キーロックも動いた。
背中に背負っていた弓に矢をつがえ、放つ。
ただの矢ではない。普通の人なら引くこともできないほど強く張られた弓の弦を、キーロックの怪力で目一杯引き、頑丈なことで知られている特殊な金属オリハルコンで作られた矢を、魔王に向けて雷光のような速度で放ったのだ。
強力な魔法に、強力な矢。
並の魔物どころか、ドラゴンでさえ血祭りにできそうなほどの攻撃だっただろう。
だが……。
魔王相手にはまるで通じなかった。
魔王の手前、数十メートルのところで、あらゆる魔法も矢もかき消されてしまったのだ。
まるで手品師が花やウサギを消すかのようである。
魔王自身は全く動いていない。そよ風すら感じていないかのようである。
「……見えたか?」
わたしはキーロックに「何が起きたか分かったか?」という意味で、そうたずねた。
「いや……遠くて分からなかった」
「そうか。まあ……ともあれ、遠距離からの攻撃は通じないみたいだな」
わたしはそう言って、遠くから魔王を倒すことを早々にあきらめた。
これを読んでいる人の中には「いや、もっと色々なやり方を試せば、遠距離から魔王を倒す方法が見つかるかもしれないじゃないか」と思う人がいるかもしれないが、なんというか、実際に攻撃してみて分かったのだが、遠くからの攻撃では魔王を倒せる気配がしないのである。
気配、と言うとあいまいに聞こえるかもしれないが、ともかく倒せそうな感触がまるでしない。
経験上、こういう時はいくらやってもダメである。
なかば予想していたが、やはり魔王相手に楽はできない、ということか。
「……どうする、レコ?」
「どうするって……近づくしかないだろう?」
「だが、やみくもに近づいてもダメだろう」
「それはそうだが……」
2人してどうすればいいか、その場で話し合う。
結局、ともかく近づいてみようという話になった。
遠くから攻撃して倒せないのなら、近づくしかない。
わたしたちはS級冒険者である。
1時間魔王に触り続けるならともかく、一瞬近づくくらいならできるはずだ。
その一瞬のチャンスで攻撃すれば、効果があるかもしれない。
我々は魔王に向けて、足を進めはじめた。
もっとも、魔王も黙っていなかった。
距離が300メートルを切ったあたりから黒い液体を口から吐き始めたのだ。
だいたい手桶1杯ぶんくらいの量だ。重量感はさほどない。地面に落ちた時の音から、水と変わらない程度の重さだとわかる。
それが、ひとかたまりの水球になって、わたしたち目がけて飛んでくる。
たいして速くはないので、避けるのは簡単である。
地面に落ちると、液体は小さな水たまりを作り、やがて地面に染みこんで消えていく。
「ありゃあ、スミだな」
とキーロックは言った。
「スミ? あの黒い液体がか?」
「ああ、あれはスミだ。イカってのはスミを吐くんだよ」
「なんのために、そんなものを吐くんだ?」
「海のイカの場合、2パターンある。1つは、自分の分身を作るためだ。海の中だと、スミの塊がイカに見えるらしくてな。本物のイカと、スミで作った分身のイカ。どっちが本物か相手が混乱しているうちに、逃げるってわけさ」
キーロックの説明に、わたしは片眉を上げた。疑問を感じた時のわたしの仕草である。
「だが、ここは陸だぞ? あんな黒い液体を魔王と見間違えるはずがない」
「ああ、だからもう1つのパターン、目つぶしのほうだろうな」
「……なるほど」
確かにこんな黒い液体を目に食らえば、見えなくなる。
わたしは納得した。
なお、魔王の攻撃が飛んできている状況であるため、これらの会話は高速圧縮言語という、短い時間で大量に情報を詰め込んで話すことができる特殊な言語を使って話していたのだが、ともかくも魔王の吐く液体がスミであることはわかった。
もっとも飛んでくるスミはたいした速度ではない。
量も少ない。
簡単に避けられる。
わたしたちは徐々に近づいていく。
近づくことで魔王の行動パターンが急に変わる可能性を考え、わたしたちは慎重に距離を詰めていたが、魔王はただただ単調かつ緩慢にスミを飛ばすだけである。
徐々に徐々に魔王に近づいていく。
土の壁を背に、壁からおおよそ30メートルほど前に鎮座している魔王の姿が、目前に迫ってくる。
そうして、あとちょっと。
魔王まで、ほんの25メートルくらい、というところで。
「っ!」
嫌な予感を感じて、わたしは足を止める。
キーロックもほぼ同時に足を止める。
「おい、レコ……」
「ああ……」
わたしたちは驚きの声を上げた。
砂のように小さな無数の粒子が、魔王の体全体を分厚いバリアのように覆っていたのだ。
ほぼ透明で、よく見ると見えるという程度に小さなその粒子は、近づくまでは気づかなかったが、この距離まで来ればさすがに分かる。見る者をぞっとさせる不気味な何かを感じさせる粒子が、魔王の周囲を覆っていたのだ。
キーロックは、すばやく弓矢を取り出した。
「試したいことがある。いいか?」
「ああ、任せる」
わたしの返答を聞くと、キーロックは矢を弓につがえた。
そして、魔王の覆う粒子の壁に向けて放ったのだ。
閃光のように強烈な速度で飛んで行く矢。
しかし、粒子の壁に触れた途端、一瞬で消えてしまった。
いや、正確には消えたのではない。粒子に触れた途端、一瞬で砂粒よりも細かくバラバラになってしまったのだ。
わたしたちは言葉もなかった。
あの矢は、先ほども言ったように特別な金属オリハルコンで作られた物である。
巨人でもへし折ることができず、ドラゴンの炎でも溶かすことができない。それほど頑丈なもので、特殊な薬品と長い時間をかけてようやく加工できる代物である。
それほどまでに頑丈な矢が、溶岩に落ちた氷よりも速く消えてしまったのだ。
わたしもキーロックに続いて、魔法をいくつか放ってみたが同じだった。
あらゆる魔法が、粒子に触れた瞬間にかき消えてしまう。
さきほど、わたしとキーロックの遠距離からの攻撃を防いだのは、この粒子だったのだ。
「……思い出した」
「どうした、キーロック?」
「あの魔王によく似た生き物がいるんだよ」
「よく似た生き物?」
「ああ。そいつはイカの一種なんだが、オレ自身もずいぶん前に一度だけ、それもちらっと話に聞いただけでな。名前にも『イカ』という言葉がついていないから、今の今まですっかり存在を忘れていたのだが……」
そう言うと、キーロックはリゾックというイカについて話をした。
リゾックとは、陸に上がる珍しい種類のイカの名前らしい。
大きさは人間の頭ほど。草原のような見晴らしの良い場所に生息しており、獲物を狩るのに良さそうな場所を決めると、そこからじっと動かない。
そして、他の生き物が近づいてくるまで待つ。魔法の力でわずかばかりに宙に浮かびながら、じっと獲物を待つ。狙うのは角ウサギとか、大アカネズミとか、そういうリゾックが勝てそうな動物である。
生き物が近づくと、リゾックはまずスミを吐く。このスミは目つぶしになるくらいでたいしてダメージにはならない。
だが、そんなスミでも、何度もポンポン吐かれると、やられた側の生き物は腹が立ってくる。いや、腹を立てずに「面倒なやつは相手にしない」と言わんばかりにさっさと逃げてしまう生き物もそれなりにいるのだが、腹を立ててリゾックに襲いかかる生き物もいる。
だが、そんな生き物がリゾックに爪や牙を立てようとした瞬間、その体は切り裂かれる。
なぜなら、リゾックの周囲は『破壊の粒子』と呼ばれる無数の小さな粒子で覆われているからだ。
これに触れると、肉体が粉砕してしまう。
そうやって獲物を倒す。
これがリゾックの狩りの手段、というわけだ。
「……なるほど、イカの姿をしていることといい、陸上で獲物をじっと待ち構える狩りのスタイルといい、スミを吐いて破壊の粒子を持つことといい、たしかにそのリゾックという生き物にそっくりだ」
「だが、リゾックはあんなに巨大ではないし、リゾックの破壊の粒子はオリハルコンを粉砕できるほど強力でもない。さすがは魔王。さしずめ、魔王はリゾックの王……キングリゾックとでも呼ぶべきか」
わたしはキーロックのネーミングセンスに一言言いたかったが、今はそういう状況ではない。
飛んでくるスミを避けつつ、わたしはキーロックにたずねる。
「で、リゾックの攻略法はあるのか?」
リゾックの倒し方が、魔王キングリゾックの倒し方に応用できるかもしれない。
そう思ってたずねたが、キーロックの答えは希望のないものだった。
「破壊の粒子に破壊されないくらいの威力・速度・頑丈さで攻撃すればいい。それなら、弓矢だろうと槍だろうと倒せる。これがリゾックの倒し方だ」
「……なるほど」
要するに力押しだった。
だが、あの魔王相手に力押しが通用するとは思えない。
現にわたしの全力の魔法も、キーロックの全力の弓矢も、何メートルもの厚さを持つ破壊の粒子の壁を1センチも突き破ることなく、かき消えてしまったのだ。
威力・速度・頑丈さにおいて、あれ以上の攻撃をわたしたちはできない。
無論、近づいて攻撃というのもダメである。
何しろオリハルコンすら瞬時に粉砕する破壊の粒子が、魔王の全身を分厚いバリアのように覆っているのだ。前後左右どこから攻めてもダメだろう。
「そうだ、キーロック。上からはどうだ? ここは地下空間だ。壁をよじ登って天井をつたって、魔王の真上から攻撃したらいけるんじゃないか?」
「なるほど、その手が……いや、ダメだ。よく見ろ。破壊の粒子は魔王の頭上も覆っている」
キーロックの言葉は事実だった。
あれでは、上からの攻撃も防がれてしまう。
「な、なら、下からはどうだ? この地下空間は土で覆われているだろ? 地中を掘り進んで、魔王の真下に出て、そこから攻撃すれば……」
「……いや、レコ。それもダメだ。この土は鋼土と言ってな、すさまじく固いんだ。掘れるようなものじゃない。それによく見てくれ。魔王は少しだけ……だいたい50センチくらい宙に浮いているだろ? そして、破壊の粒子は、魔王の真下にも展開されている。仮に穴を掘って魔王の真下に出られたとしても、出た瞬間に破壊の粒子に粉砕されるだけだ……」
さきほどキーロックは、リゾックが宙に浮いていると言っていた。
キングリゾックである魔王も同じということか。
つまるところ、魔王は上下前後左右どの方向にもまんべんなく破壊の粒子を展開しているということである。
遠距離からの攻撃は粒子でかき消される。
そして近距離からの攻撃をしようにも、そもそも近づくことすらできない。近づこうとしても、粒子の壁を1センチも破ることなく死んでしまうだろう。
攻め手がまるでないのだ。
いったいどうやればこんなのを倒せるというのか?
誰か教えてほしい……』
(どうやれば倒せる、か)
俺は心のうちでつぶやいた。
アマミのやつが「ジュニッツさんなら、そろそろ得意の悪知恵で魔王を倒す方法を導き出しているんじゃないんですか?」とからかってくるかと思ったが、彼女は存外まじめな顔である。
レコとキーロックの話も佳境に入ってきているのだ。からかうような場面ではないと心得ているのだろう。
俺はページをめくった。
2022/5/13 誤字脱字修正