71話 探偵、魔王の記録を見る 3
レコとキーロックが魔王の部屋に転移したシーンまで読んだ俺は、次のページをめくろうとした。
そこへアマミが声をかけてきた。
≪待ってください、ジュニッツさん≫
≪どうした?≫
≪次のページですが、血で汚れてダメになっているようです≫
≪なんだと?≫
アマミが言うには、魔王の部屋に着いてからの最初の1ページが、レコの血で汚れて読めなくなってしまい、破棄されてしまったという。
要するに、魔王の部屋に転移した直後のシーンが欠落しているのだ。
≪……まあ、ないものは仕方ないか。今残っているものを読もう≫
俺はページをめくった。
そこには、こう書いてあった。
『さて、バタつきはしたが、ここで状況を整理するためにも、わたしたちが今いる魔王の部屋の構造について書いておこう。
魔王の部屋は、上から見ると下図のようになっている。
■が部屋の壁、□がドームの壁、魔が魔王、玉が魔王の玉である。
■■■■■■■■■
■ 魔 ■
■ ■
■ ■
■ ■
■ □□□ ■
■ 玉□ ■
■ □□□ ■
■■■■■■■■■
東西南北の方位はわからないが、便宜上、図の下側を南としておこう。
その南側には、直径100メートルほどの大きさのドームがある。
お椀をひっくり返したような形で、土の壁で囲まれたドームだ。窓はなく、出入り口は西側に1つだけ。
ドームの中には魔王の玉がある。
実は、魔王の玉は2つある。
1つは地下迷宮の玉。
もう1つは、魔王の部屋のドーム内にある玉。
そして、片方の玉に触れると、もう片方の玉のところに転移することができる。
地下迷宮の魔王の玉 ←→ 魔王の部屋の魔王の玉
つまり、地下迷宮の玉に触れると、魔王の部屋の玉のところに転移できる。
逆に、魔王の部屋の玉に触れると、地下迷宮の玉のところに転移して帰ることができる、というわけだ。
そして、ドームから出ると巨大な部屋が広がっている。
ドーム自体も広かったが、部屋は更に広い。
部屋の高さは100メートル、縦横は500メートル少し。
照明魔法が未熟な者であれば、満足に全体を照らすことさえできないくらいに広大な直方体の部屋だ。
これはもう部屋というより、巨大地下空間と言った方がいいだろう。
部屋の壁と床は土である。
ここに来るまでに通ってきた地下迷宮は、壁も床も基本的に灰色の石でできていた。だが、深い階層に行けば行くほど、土がむき出しになった部屋も増えてきた。
そんなことを思い出した。
部屋の中は、基本的に何もない。
きれいに真っ平らな土の床が広がっているだけである。
あるものといえば、3つだけ。
1つ目は魔王の玉。
2つ目はドーム。
そして3つ目は、魔王である。
ドームから出たわたしたちは、初めて魔王の姿を見た。
前のページではここまで書いた。
さて、では、魔王を見たわたしたちがどうなったかというと、情けないことに動けなくなってしまった。
全身を氷で貫かれたような恐怖と言えばいいだろうか。
魔王がいること自体は、覚悟していた。
当然だ。ここは魔王の部屋なのだ。魔王を倒しにきたのだ。いないと困る。
だが、実際に魔王を目の当たりにするのは、初めてだった。
ひと目見ただけで「あれが魔王だ」とわかるほどの圧倒的な存在感と威圧感。
わたしは、今まで幾度となく死の危険をくぐり抜けてきたはずだった。
だが、そんなわたしでも、魔王の存在を前にして、恐怖のあまり固まってしまったのである。
固まったのはわたしだけではない。
キーロックもだった。
本来ならこの男は、いつだって自信ありげに笑っている。
少し先の話になるが、魔王の攻撃を食らったわたしたちは、回復の時間稼ぎのため、魔法のバリアの中に閉じこもっていた。
その時も、キーロックは笑っていた。
たくましい体に、赤く逆立った髪、鋭い目を持つ彼は、絶望的にピンチな状況であっても、わたしより頭半分高い視線から「大丈夫、なんとかなるさ」と言って、安心させるようにニヤリと笑みを浮かべていた。
だが、そんなキーロックも、魔王の姿を初めて見たこの時は、恐怖で顔を凍らせ、固まってしまったのだ。
S級冒険者であるわたしたちですら動けなくなるほど、魔王は恐ろしい存在だった。
もし魔王相手に平然としていられるやつがいたら、そいつはよほど図太いか、よほど変人であるに違いない』
≪ジュニッツさん、変人だって言われてますよ?≫
≪うるせえ≫
俺はアマミの言葉を無視すると、続きを読んだ。
『どれほど時間が経っただろうか。
ようやく恐怖から立ち直ったキーロックは、ボソリとこうつぶやいた。
「……あれが魔王か」
わたしも魔王を見る。
500メートル近く離れたところにいる魔王は、間を遮る障害物が何もないとは言え、かなり遠い位置にいる。
だが、それでも圧倒的な威圧感を与えるほど巨大である。そして何より、ぞっとするほど異様な存在感を放っている。
魔王は全身が青色である。
体高は30メートルといったところか。
頭は縦に細長い三角形で、白い角が2本生えている。
その下には顔があり、濁った緑色の目が2つ、爛々と輝いている。
顔の下には、触手のような足が10本うねっている。
近づかなければ何もしないタイプなのだろう。ただただ不気味に目を光らせている。
「魔王の姿は言ってしまえば『巨大なイカ』だ」
とキーロックは言う。
イカとは海に住む生き物で、三角形の頭と10本の足を持っているらしい(正確には、頭に見えるのは実は胴体で、10本の足に見えるのは『8本の腕』と『2本の触腕という特殊な腕』らしいが)。
目の前にいる魔王は、そのイカを巨大にしたものに似ている。
ただし、海のイカとは違い、魔王には角が生えている。
海ではなく陸にいる。
おまけに、わたしたちがドームから出てからずっと「コッチニコイ……」という不気味な言葉を、延々と何度も発し続けている(わたしが最終的に魔王の部屋から撤退するまで、ずっとその言葉だけを発し続けていた)。
何より異様なほど大きい。
「イカっていうと弱そうなイメージを持つやつもいるが、実際は海のイカにもダイオウイカっていう人間よりもでかいイカがいる。そして、あの魔王はダイオウイカよりずっと巨大で、そして比べ物にならないくらい強い」
「……それはわたしも同感だよ、キーロック。なにしろわたしたちが、短い間とはいえ、恐怖ですくんで動けなかったくらいだからね」
もっとも、わたしはイカという生き物を、これまでの人生で見たことがない。
わたしが生まれたのは内陸にあるエルンデールの町であり、生まれてからずっとこの町の近辺から出たことがない。当然、海も見たことがない。
呪いで寝たきりの妹を置いて遠くに行くわけにはいかないし、といって負担と危険の大きな旅に妹を連れて行くわけにもいかなかったからだ。
幸い、近くに大規模なダンジョンがあり、そこで経験と実績を積んでS級冒険者になることができたが、ともあれ、わたしはそういう地元活動型の冒険者である。
一方でキーロックは世界中を旅している。
ここ数年は、ここエルンデールの町で、わたしとコンビを組んで活動してくれているが、それまでは世界各地を巡っていた。
当然、イカも見たことがある、というわけだ。
「で、レコ。どうやって魔王と戦う? 遠くから魔法か弓矢で攻撃するか?」
「いや……たぶん無駄だろうな」
長年、魔物と戦ってきた経験から、わたしもキーロックも、あの魔王が近づかなければ何もしないタイプであることは、すぐにわかった。
実際、後で分かったことだが、少なくともドームの近辺ぐらいの位置にいる限りは、何もしない。
それゆえ、『近づかなければ何もしないなら、遠くから弓矢や魔法で攻撃すれば楽勝だ』という発想は真っ先に浮かんでくる。
無論、そう簡単な話ではない。
この手の魔物は、遠距離から攻撃しても全く効かないことが多いからだ。
だが、100パーセントそうであるとは限らない。
魔王はどうだろうか?
「魔眼で見た結果はどうだ?」
キーロックがわたしに聞いてきた。
わたしには『魔眼』というユニークスキルがある。
これは、目で見た魔物の弱点……言い換えれば倒し方を見抜くスキルである。
氷魔法を顔面にぶつければ一撃で倒せるとか、槍に弱いとか、そういうのがわかるのだ。
無論、その方法じゃないと倒せない、というわけではないし、魔眼では見つけることのできない『もっと楽な魔王の倒し方』もあるかもしれない。
たとえば、ある魔物を倒すのに、
・普通に戦う:1時間かかる
・魔眼で見つけた方法で戦う:10分で勝てる
・まったく別の方法で戦う:1分で勝てる
という具合だ。
だが、少なくとも魔眼を使えば、普通にやるよりは効率の良い倒し方の1つが、すぐにわかる。
わたしがS級冒険者になることができたのは、このユニークスキルによるところが大きい。
それゆえ魔物を見たら、まず魔眼で確認するのがわたしの癖になっている。
今回も、もうすでに魔王を魔眼で見ている。
その結果を、キーロックは聞いてきたのだ。
もし、遠くから安全に魔王を倒す方法があれば、一番いいからだ。
「残念ながら、遠距離からあの魔王を討伐するやり方は魔眼では見つからなかったよ。だが、近づいて倒す方法ならある」
もっとも今思えば、この倒し方は『口で言うのは簡単。でも、やるのは異常に難しい』というやり方だった。
もしこの方法で魔王を倒せるやつがいたら、よほどすごいやつか、よほどぶっ飛んだやつに違いない。
「それで、レコ。いったいどうやれば魔王を倒せるんだ?」
「あわてるな。今から説明する」』
2022/5/13 誤字脱字修正




