40話 探偵、身体性能をアップする 後編
腕力の次に俺がアップさせたのは脚力だった。
裏世界に着くと、俺はメイにこう宣言した。
「メイ、ここで待っていてくれ。穴の上に行ってくる。俺の脚力をアップした上で、広い大地を走り回ってみてえ」
俺はアマミに穴の上へと連れて行ってもらい、脚力をアップする。
「どうです?」
「こころなしか体が軽くなった気がするな。ちょっと駆け回ってみる」
俺は足に力を入れてみた。
ビュン!
景色が高速で動いた。
足に軽く力をこめただけのつもりだったが、それだけで驚くほどの速度が出たのだ。
(すげえ!)
俺は興奮した。
生まれてこのかた、こんな速さで走ったことなど一度もなかったのだ。
足にぐんぐん力をこめる。吹き付ける風が左右白黒スーツをなびかせる。
俺は、ますます足に力をこめる。荒れ地を高速で駆け回っていく。
そして……。
「わっ!」
足がもつれた。
走っている途中で脚力アップの効果時間が切れてしまったのだ。脚力が突然本来のものに戻ったことで、足が上手く回らず、もつれてしまう。
(やばい!)
さっきまで、俺はすさまじい速度で走っていた。
その状態から足をもつれさせたのだから、当然すさまじい速さで転倒して、地面に激突することになる。
(くっ!)
俺は大怪我か死を覚悟した。
が、待ち構えていた衝撃は来なかった。
「ふう、危なかったですねえ」
アマミが、ほっとしたような声で言った。
地面に激突する寸前、アマミが背後から俺を抱き止めたのだ。
「……悪い、助かった」
俺は礼を言った。
断言するが、アマミが抱き止めなければ、俺はよくて大怪我、悪ければ死んでいた。
ここは裏世界だから、死んだところで現実世界に戻れば全部『なかったこと』になるのだが、だからといって無意味に死にたいわけではない。
「いえいえ。ジュニッツさんの無茶をサポートするのが私の役割ですからねえ」
「ああ、助かった。で、それはそれとして聞きてえことがあるんだが」
「なんです?」
「ずっと俺の後ろをついてきていたのか?」
「ええ。心配でしたので、気配を殺してこっそりと」
「つまり、お前は、脚力アップした俺と同じくらいの速さで走れるってことか?」
「もっと速く走れますよ」
「……なるほど」
腕力アップと同様、脚力アップも『中堅以上の冒険者ならできる程度のことが、できるようになるだけ』のようである。
魔王討伐にどう役に立つのだろうか?
魔王から逃げるのに使う? 簡単に追いつかれてしまいそうだが。
そんなことを考えていると、いつの間にか現実世界に戻っていた。
「あ、おかえりなさい、先生。どうだった?」
メイが俺に実験結果をたずねてくる。
「ああ、アマミのおかげでちょっとな。走っている最中に脚力アップが切れて、派手に転倒しそうになり、あやうく死ぬところだったのさ。助けがなかったら危なかった。大変だった」
「……えっ? うそ?」
「本当さ。穴の上に行く前にメイに宣言した通りに脚力アップを使ったのはいいものの、あやうくとんだ目にあうところだった。結局、脚力は1回しかアップできなかったな」
「え? え? え?」
メイは目を白黒させる。
そして、こう言った。
「あの……アマミさんが、死にかけたの……?」
「あん!?」
何を言っているんだ、メイは。
アマミが死にかけた? 死にかけたのは俺だぞ。
そう思った俺は、次の瞬間、メイの意図に気がついた。
(ああ、そうか!)
俺はさっきこう言った。
――「ああ、アマミのおかげでちょっとな。走っている最中に脚力アップが切れて、派手に転倒しそうになり、あやうく死ぬところだったのさ。助けがなかったら危なかった。大変だった」
俺はこれをこういう意味で言った。
『俺が脚力アップをして、派手に転倒しそうになって死にかけた。アマミのおかげで助かった。助けがなければ大変なことになるところだった』
だが、メイはこれをこういう意味で受け止めてしまったのだ。
『アマミが脚力アップをして、派手に転倒しそうになって死にかけた。俺が助けた。アマミのおかげで(アマミのせいで)色々大変だった』
確かにどっちの意味にでも受け取れる。
そして、メイはわけがわからなくなり、目を白黒させたのだ。
俺はメイに伝え方が悪かったと謝り、発言の真意を伝えた。
メイは納得し、謝罪した。
「わたしのほうこそ誤解しちゃってごめんなさい。アマミさんも、勝手に死にかけたことにしちゃってごめんなさい」
「いえいえ、メイさん。気にすることはないです」
「うん、ありがとう。……あっ!」
メイが何かを思い出したように口を開けた。
「どうした?」
「えっと、たいしたことじゃないんだけれど……お父さん、パズルが好きだったなあ、って思い出して」
「うん? どうしてここでエヴァンスが出てくるんだ?」
俺が聞き返すと、メイは説明をした。
メイの父エヴァンスはパズルが好きである。
彼は妻との出会いについて、こう語っている。
――2人とも冒険者にはめずらしく、パズルや論理問題のようなものが好きで(双方とも古代遺跡の謎解きがきっかけだったらしい)、それが縁で仲良くなったこと。
中でも好きなのが『表現パズル』だ。
表現パズルとは、次の3つの条件を満たす文章パズルのことである。
条件1「まぎらわしい表現があること」
条件2「問題に嘘がないこと」
条件3「論理的に考えれば、正解がわかること」
そして、さきほどメイを誤解させた一連のやり取りも、メイ視点で見れば次のような表現パズルになるのだ。
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問題
ジュニッツはメイに、こう宣言した。
「俺の脚力をアップした上で、広い大地を走り回ってみてえ」
そして、戻ってきたジュニッツは、メイにこう言った。
「ああ、アマミのおかげでちょっとな。走っている最中に脚力アップが切れて、派手に転倒しそうになり、あやうく死ぬところだったのさ。助けがなかったら危なかった。大変だった」
さらに、こうも言った。
「穴の上に行く前にメイに宣言した通りに脚力アップを使ったのはいいものの、あやうくとんだ目にあうところだった。結局、脚力は1回しかアップできなかったな」
さて、脚力アップしたのはジュニッツだろうか? アマミだろうか? 論理的に答えなさい。
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この問題は、表現パズルの3つの条件を満たしている。
・条件1「まぎらわしい表現があること」
これは問題なく満たしている。
「ああ、アマミのおかげでちょっとな(以下略)」というセリフは、メイを誤解させたことからもわかるように、まぎらわしい表現である。
・条件2「問題に嘘がないこと」
これも問題ない。
文中に嘘は一切無い。
・条件3「論理的に考えれば、正解がわかること」
これも問題ない。
俺は「俺の脚力をアップした上で、広い大地を走り回ってみてえ」とメイに宣言した後、「メイに宣言した通りに脚力アップを使った」と言った。
よって、脚力アップしたのは俺である。
「脚力は1回しかアップできなかった」と言っているから、他の誰かに追加で脚力アップを使ったわけでもない。
言い換えれば『アマミの脚力はアップしていない』ということになる。
であれば、「ああ、アマミのおかげでちょっとな(以下略)」という例の誤解を生じさせたセリフの解釈も、
解釈1.脚力アップして死にかけたのは俺
解釈2.脚力アップして死にかけたのはアマミ
という2つの解釈のうち、解釈2は矛盾する。
解釈1のみが成り立つわけである。
よって表現パズルの答えは、解釈1である。
このように、まぎらわしい表現があったとしても、間違った解釈をすればそこには必ず論理的矛盾が生じるのだ。
「エヴァンスは表現パズルが好きなのか?」
「うん、お父さんこういうの好き。わたしによくいじわるな問題出してくる」
「そうか。だったら全てが終わったら、今度はこっちがエヴァンスに問題を出してやるのはどうだ? 魔王の倒し方を当てさせるのさ」
「お父さんに?」
「俺は日記をつけているからな。その日記をそのまま問題文として出してやりゃあいい」
日記とは、俺が今こうして書いている文章そのものである。
「日記の文章を読み上げて、エヴァンスに魔王の倒し方がわかるかどうかを、表現パズルとして出題してやるのさ。メイがいつもやられていることをやり返してやるんだ」
「わ、うん、楽しみ。お父さん、わたしが出す問題、すぐに解いちゃうし。絶対、吠え面かかせる」
「そうか。なら、何が何でも無事に帰らないとな」
「うん」
◇
それから引き続き、脚力アップの実験を続けた。
いろいろとわかった。
垂直跳びをしたら3メートルに達すること。
穴の底から穴の上まで、脚力だけで駆け上がることもできること。
だが、その程度のことならアマミでも楽にできる。
魔王を倒せるほどの能力ではないのだ。
「難しいね」
メイが率直な感想を言う。
「まったくだ」
「能力の効果を2倍、3倍にできたらいいのにね」
「それができりゃあ苦労は……ん?」
俺はふと思った。
能力を重ねがけしてみるのはどうだろうか?
たとえば腕力アップであれば、1回アップした後、効果が切れる前にすぐもう1回重ねてアップするのだ。そうすれば効果も2倍以上になるのではないか。
俺は自分の思い付きをメイに説明した。
「というわけだ。メイのおかげで面白いアイデアを思いついた」
「う、うん、うまくいくかわからないけれど……」
「世の中のことは、大体やってみねえとわからねえものさ」
俺は裏世界に着くと、まず1回目の腕力アップを行う。腕力が上がる。
そうして、すかさずもう一度腕力アップを使おうとした。
が、どういうわけか発動しない。
2回目の腕力アップが、まるで発動しないのだ。
「うん? どういうことだ?」
何度も腕力アップをかけてみるが、いっこうにかからない。
やがて10秒が過ぎ、1回目の腕力アップの効果が切れる。このタイミングで、やっと2回目の腕力アップが発動した。
つまり、腕力アップは二重にかけることができない、ということになる。
「……ああ、よく考えたら当たり前のことか」
俺はなぜ二重にかけられなかったのかに気づいた。
「どういうことですか?」
アマミがたずねてくる。
「簡単な話さ。こいつを見てみろ」
俺は『身体性能アップ』の能力説明欄を見せた。
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『身体性能アップ』
10秒の間、腕力、脚力のどちらか1つを向上させることができる。
※この能力を使っている間は、もう一度『身体性能アップ』を使用するなどして、使用者の身体に大きな変化を生じさせることができなくなる。
※この能力は、2回使用すると消滅する。
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「見ろ、こう書いてあるだろ。『この能力を使っている間は、もう一度『身体性能アップ』を使用するなどして、使用者の身体に大きな変化を生じさせることができなくなる』と」
「ああ、なるほど、つまり能力を多重にかけられないってことですか」
「そういうことさ」
俺はそう答えた後、今度はメイの方を向いた。
彼女は落ち込んだ顔をしている。
『身体性能アップを重ねがけする』という俺のアイデアは、メイの発言がヒントになっている。
そんな自分の発言が元となったアイデアが失敗してしまったのだ。
罪悪感を感じているのだろう。
だから、俺はこう言った。
「メイ。助かった」
「……え?」
落ち込むようにうつむいていたメイは、驚いたように顔を上げる。
「お前のおかげで、できないことが1つ発見できた。だから、助かったと礼を言っているのさ」
「え、で、でも、わたし役に立たなくて……それどころか迷惑を……」
「何を言ってやがる。上手く行かねえ方法を見つけることができたじゃねえか。推理が一歩進んだんだ。大したものさ」
「あっ、う、でも……」
俺は、なおも落ち込んでいるメイの頭に手を伸ばした。
そして、そっと撫でてやった。
やった瞬間、(まずいことをしたか?)と思った。
アマミはこうやって撫でてやると喜ぶのだが、メイもそうであるとは限らないからだ。
だが、その心配は無かった。
「ふぁっ……」
メイは安心したような、照れたような、どこか嬉しそうな顔をしたのだ。
「わっ、ずるいですよ、ジュニッツさん。わたしもです、わたしも。ほら、さっきの剣! 腕力アップして剣を使っても魔王には勝てないって証明したじゃないですか。大手柄ですよ、大手柄。だから、わたしも! わたしも!」
アマミがそう言って俺に、頭を差し出してくる。
さらさらとした銀髪が、ふわりと揺れる。
なんとなく、素直に撫でてやるのがシャクだったので、俺はわざと乱暴にぐしゃぐしゃと撫でてやる。
「わっ! わっ! 違います、ジュニッツさん。もっと、やさしく、やさしく! ……あっ、で、でも、これはこれで強引なのがいいかも……はふぅ……」
「変な声、出してんじゃねえ」
俺は片方の手でメイの頭をやさしく、片方の手でアマミの頭を乱暴に撫でたのだった。
◇
その後も、身体性能アップの実験をいろいろとやった。
まず、アマミの魔法と、身体性能アップを組み合わせることで、何かできないかを試してみた。
が、結局どれも大した効果はなかった。
身体性能アップをアマミにかけてみる、というのもやってみたが、これもダメだった。
どうも、身体性能アップは、俺自身に対してしか使うことができないらしい。
「アマミの身体性能を上げられたら、それだけで魔王を倒せるかと思ったんだがな」
俺がそう言うと、アマミは首を横に振った。
「いやあ、無理ですよ。多少、能力を上げた程度では、魔王は倒せません。わたしは元S級冒険者といっても、あくまで器用貧乏なタイプなんです。ちょっと強くなったくらいじゃ、魔王には勝てませんよ」
「防御力を下げる魔法とかで、魔王を弱らせてから攻撃したらどうだ?」
「ああいうのは、ある程度実力差があると効果がないんですよ。わたしよりはるかに実力が高い魔王相手には効きません」
「うーん、そうか」
「わたしはあくまで助手です。魔王を倒す上で手助けはできますが、それだけです。わたしが剣や魔法で魔王を倒すことは絶対にありません。そんな力はないですからね。そんなムチャクチャなことができるのは、ジュニッツさんだけです」
「む、そうか……」
「まあ、でも、だからといって、ジュニッツさん1人を危険な目にあわせたりなんかしません。戦う時も命を懸ける時も一緒ですよ、ふふふ」
「わ、わたしも! わたしも先生たちと一緒に戦うから!」
アマミは楽しそうに笑いながら、メイは両拳をぎゅっと握りながら、そう言うのだった。
そんな彼女たちの言葉を聞きながら、俺はアマミの「わたしが剣や魔法で魔王を倒すことは絶対にありません」という言葉は事実になるだろうな、と思っていた。
今までもそうだ。アマミは俺の魔王討伐を助けてはくれたが、あくまでサポートに徹していた。彼女自身が魔王と直接戦うことはなかった。戦っても役に立たないと理解しているからだろう。
そのくせ、命だけは一緒に張るのだ。俺が魔王を倒せなかったらどうするつもりなのか。
(いや、倒せなかったらなんて考えても仕方ねえ。俺がやる。それだけさ。俺が魔王を倒すんだ)
俺は、そう決意を固めつつ、その『魔王討伐』に必要な情報収集として、次の実験の準備を進めるのだった。