4話 探偵、魔王を倒す 前編
「ニンゲン……コロス……コロス……」
巨大な黒いアメーバが、ぞっとするほど不気味に響く声を上げている。
荒野の魔王である。
大きい。とにかく大きい。10階建ての建物ほどはある。
そして、ゼリー状の体は異様に濁っている。その不気味に濁った身体から、無数の大きな触手がうねっている。
「……あの、ジュニッツさん。わたしたち、こんなところにいて大丈夫ですか? なんか『ニンゲン、コロス』って言ってますよ?」
「ああ、過去の記録を見る限り、この距離なら魔王の攻撃が当たることはない……はずだ」
俺たちは今、魔王からずいぶん離れた位置にいる。
これ以上近づかないのは、近づいたら危険だからだ。
「わかりました。ジュニッツさんがそう言うなら信じましょう。ところで、ジュニッツさん」
「なんだ?」
「実はわたし、荒野の魔王については、そんなに詳しくないんですよ」
アマミが意外なことを言う。
「ああん? お前、魔王のこと、色々知ってただろう。偉そうにクイズまで出しやがったじゃねえか」
「魔王一般については広く浅く知ってますよ。でも、特定の魔王……たとえば荒野の魔王の性質とか能力について深く知っているわけじゃないんです。こっちに住み始めたのは3年前からですしねえ。だから、聞くんですが」
アマミはそう言って、黒い巨大なアメーバを……とても人間が勝てるとは思えないほど不気味な巨体の生き物を前足で指す。
「あれが荒野の魔王ですか?」
「ああ、そうだ」
「ジュニッツさん、あんなのと戦うんですか?」
「戦うに決まってるだろ。何しに来たと思ってる。戦うだけじゃねえ。勝つんだ」
今さら何言ってやがる、と言わんばかりに俺は答える。
「アレにですか?」
「アレにだ」
「あっ、意外と見かけ倒しだったりするんですか? 実は小石を投げつけただけで死んじゃうとか」
「そんなわけねえだろ。いいか、見てろ」
俺は石を拾って、思いっきり投げた。
石は放物線を描いて魔王の方向に飛んで行く。
そして……。
「ゴオオオオオオオオオオ!」
地を震わすような魔王の雄叫びと共に、魔王の触手が雷光のごとき速さで、巨大なムチのように襲いかかった。
ズドン!
地響きがする。
触手は石を粉々に粉砕し、そのまま勢いで地面を深くえぐったのだ。
「わわっ!」
アマミが驚きの声を上げる。
だが、魔王の攻撃は一発だけ止まらない。
「コロス! コロス! コロス!」
不気味な叫び声と共に、無数の触手が降りかかる。
ズガン! ズガン! ズガガガガン!
激しい音と共に、触手は硬い地面をえぐりとっていく。
俺たちのいるところまでは届かないが、それでもほんの数十メートルしか離れていないところまで、黒い稲妻のような迫力で流星雨のごとく恐ろしい触手が落ちてくる。
結局、魔王が静かになるまでに、何百発という攻撃が降り注ぐこととなった。
あれが一発でも当たっていたら、俺もアマミも生きていないだろう。
「調べた通りだな。荒野の魔王は近づいてきたものを、あんな風に容赦なく触手で粉々にするんだ」
過去の記録を見る限り、魔王の攻撃はただこれだけである。
ただこれだけの単純なものだが、シンプルなだけに弱点もなく、付け入る隙がない。
それにしても、思った以上に魔王の攻撃は迫力がある。
隣ではアマミがずっと「わわっ!」だの「ひゃあ!」だのと悲鳴を上げていて、あまりにも驚くから、自分が驚くタイミングを失ってしまったが、そうでなければとっくに悲鳴を上げていたかもしれない。
そのアマミは、しばしのあいだ呆然としていたが、ふと気づいたようにこう言った。
「あれ? でも、近づくものを攻撃ってことは、言い換えれば、魔王に近づかなければ攻撃されないってことですか?」
「そうなるな」
「でしたら、遠距離から攻撃すればいいのでは? 魔法とか弓矢とかで、遠くから一方的にボコボコにしてしまえば勝てますよ? 楽勝ですよ?」
もっともな考えである。
俺も少年時代、魔王の記録を見てそう思い、(勝てる!)と興奮したものである。
が、それではダメなのだ。
「やってみたやつはいたさ。自慢の弓矢や魔法で魔王を倒してやろうって冒険者どもがな」
「ほほう。どうなりました?」
「散々だったさ。魔王の触手によって、矢は叩き落とされ、火魔法も氷魔法もあらゆる魔法がかき消され、なにひとつとして攻撃は届かなかった」
「もっと大人数ならどうです? 100人くらいで囲んで一斉攻撃するんです」
俺は首を横に振った。
「100人どころか1000人でもダメだったさ。国が魔王討伐に乗り出したことがあってな。魔法使いの精鋭部隊に、トップクラスの弓兵部隊、それに城攻め用の投石機の部隊まで用意して、魔王の周りを1000人以上でぐるりと囲み、一斉に攻撃したんだ」
「それでも失敗したと?」
「ああ。どれほど大量かつ多彩な攻撃を一斉に浴びせようと、無数の触手がすべてはたき落としちまったのさ」
「うーん、さすがは魔王ですねえ。となると……接近戦でしょうか? 近づいて剣や槍でブスリとやるんです」
アマミが前足で、えいっえいっ、と刺すような仕草をしながら言う。
猫パンチにしか見えないその姿に、うかつにもほっこりしてしまう。
俺はゴホンと咳払いをして、こう言った。
「近づいたら触手でやられるぞ」
「全身を金属鎧で固めるんですよ。ついでに防御強化の魔法もかけます。ガチガチにガードするんです」
「過去にやったやつがいたが、ダメだったな。触手であっさり鎧ごと粉砕されちまったそうだ」
「うーん……なら、スピード勝負はどうでしょうか? 速度上昇の魔法をかけて、触手をかわすんですよ」
アマミは高速移動のつもりなのか、シュッシュッ、と体を左右に動かしながら言う。
猫ダンスにしか見えないその姿に、うかつにもほんわかしてしまう。
俺はオホンと咳払いをして、こう言った。
「それも失敗した。スピード自慢の冒険者たちが過去に何人も挑んだ。が、結局みんな、雷光のように飛んでくる無数の触手はかわしきれなかったそうだ」
「じゃあ、いっそ穴でも掘って、地中から魔王に近づくのはどうです? モグラ作戦です」
俺は地面を足でドンドンと踏み鳴らしながら、首を横に振った。
「このあたりの地面は鋼鉄みたいに硬え。とても掘れるもんじゃねえよ」
その鋼鉄の地面をあっさりと穴だらけにするのだから、魔王の攻撃がいかにすさまじいかがわかる。
「うーん……」
アマミは頭をひねった。
他に魔王を倒す手立てがないか考えているらしい。
やがて、首を横に振った。
「ダメです。これ以上は思いつかないです」
「わからねえか」
「ええ。ジュニッツさんは、どうやってアレを倒すつもりなんです?」
「簡単さ。こいつを使う」
俺は自分のスキルボードをアマミに見せた。
スキルボードとは自分のスキル情報が書かれた半透明の板である。
本人の意思で空中に出現させることができる。
触ることはできない。
はじめて見た時は「なんだろう、これ?」とずいぶん不思議に思ったものである。
ちなみにスキルというのは、身体強化や回復魔法のような能力のことである。
レベルアップすると、スキル点という数値がもらえる。このスキル点を消費することで、好きなスキルを手に入れることができるのだ。
たとえば、身体強化(初級)は8点、回復魔法(初級)は10点、といった具合にスキル点を消費することで、自由にスキルを入手できる。
レベルが高い人間は、スキル点をたくさんもっている。
そのスキル点を使って、基礎能力を上げたり、様々な魔法を覚えたりできる。
だから、強い。
逆に俺はレベル1だ。
スキル点は初期の1点しかない。
1点で手に入るスキルなど、クズスキルと言われているものばかりだ。
俺は今まで、この1点を使わないでいた。
いつかレベルアップするかもしれないという希望を胸に、温存していたのだ。
が、もうそんな希望はクソ食らえである。
あるかもわからないレベルアップを待つなどバカげている。
だから俺は2日前、この1点を使って『クズスキル』を1つ取った。
これこそが魔王を倒すスキルである。
そのスキルをアマミに見せた。
「わっ、ジュニッツさん! なんですか、これ!?」
アマミは驚きの声を上げた。
俺が魔王を倒すまで、あと30分。