39話 探偵、身体性能をアップする 前編
翌朝は晴れていた。
穴の底から天を見上げると、雲ひとつない晴れやかな空が広がっている。
エヴァンスの話によると、魔王がいる影響か、この穴の周辺は雨がまるで降らないそうだ。
雲が空にかかることすらなく、夜を除けばずっと日の光が降り注ぐのだという。
今はまだ朝だから、穴の底は、全体が日陰で覆われていて涼しい。
が、日が高くなって、ここからでも太陽が見えるようになれば、この穴の底も照りつけてくる陽光で暑くなるだろう。
「そうなる前に、推理を終わらせちまいてえな」
俺は、そうつぶやくのだった。
◇
バターを塗った白パンに、肉と野菜のスープという朝食を食べている間、俺はメイに自分のことを話した。
俺に戦闘能力が一切無いこと。
俺が月替わりスキルを上手く使って魔王を倒していること。
それらを正直に話した。
メイは、一緒に魔王と戦う仲間である。
下手に隠しごとをして、メイがそれで疎外感を感じ、やる気をなくされては命にかかわる。
もっとも、俺の魔王退治は英雄譚とは程遠い内容である。
メイがガッカリするかもしれないな、とは思っていた。
が、その心配は杞憂であった。
「戦闘が苦手なのに、誰も思いつかなかった方法で魔王を倒すなんてすごいよ!」
メイは目を輝かせてそう言うのだった。
朝食を済ませると、魔王討伐の準備を始める。
「準備って何をするんですか?」
「月替わりスキルの実験さ」
今回、俺は月替わりスキルの能力のうち、『剣の決闘』と『しがみつき』と『身体性能アップ』の3つを、魔王戦に使う能力の候補に挙げた。
3つの能力のうち、何か1つだけを使えばいいのか、どれか2つを組み合わせて使えばいいのか、3つの能力を全て組み合わせて使えばいいのかはわからない。
が、ともかくこれらの能力をどうにかして使えば魔王を倒せると、俺の直感が訴えているのだ。
「それで、どの能力から実験を始めるんですか?」
「『身体性能アップ』からいこう」
俺はスキルボードをアマミとメイに見せた。
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『身体性能アップ』
10秒の間、腕力、脚力のどちらか1つを向上させることができる。
※この能力を使っている間は、もう一度『身体性能アップ』を使用するなどして、使用者の身体に大きな変化を生じさせることができなくなる。
※この能力は、2回使用すると消滅する。
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「ふむ、腕力、脚力のどちらかを性能アップできるんですよね。どっちから上げますか?」
とアマミがたずねてくる。
「腕力からにしよう。メイ、裏世界に連れて行ってくれ」
「あ、うん、わかった」
メイは小さな両拳をぎゅっと握った。
とたん、俺たちを閉じ込めている白い光の膜が消えた。
俺たち3人は裏世界に来たのだ。
さっそく『身体性能アップ』を使い、腕力を強化する。
「どうです? 何か変わりました?」
「正直、よくわからねえ」
試しに、近くにある岩を持ち上げることにした。
穴の底には、俺の背ほどもある大きな岩がいくつも転がっている。
岩の色は黒い。ところどころ赤い斑点がある。
メイが言うには、そのうち太陽が高くなると、南東から南を経由して南西にかけての方角から穴の底に日光が射し始め、陽光に熱せられて岩がすさまじいほどに熱くなるらしい。
「たぶん触れるだけで大やけどしちゃうんじゃないかな」とメイは言う。
が、朝の早い時間である今はまだ岩は冷たい。
俺は、自分の背ほどもある岩を両手で抱えた。
そして、力をこめた。
「むっ!」
大きな岩が、ゆっくりと持ち上がる。
(おおっ!)
普段の自分なら絶対に持ち上げられないような重い岩を、生まれ初めて持ち上げられたことに、俺は心の内で感嘆を漏らす。
なるほど、これが腕力アップか。
腕力だけでなく、足腰の筋力や耐久力もそれなりに上がっているようだ。
でなければ、持ち上げた瞬間に、腰や膝がおかしくなっていただろう。
俺は5秒ほど岩を持ち上げた体勢を維持した後、ゆっくりと下ろした。
(次はもう少し大きな岩を持ち上げてみるか)
続けて2度、腕力アップを試す。
だいたい自分の背丈ほどの大きさの岩であれば、ギリギリ持ち上げられるようだ。
大幅な筋力アップである。
だが、俺は「この腕力があれば魔王を倒せる!」と大喜びしたりはしなかった。
この程度の腕力の冒険者なら、今まで何人も見てきたからだ。
実際、現実世界に戻った時、アマミは渋い顔をしてこう言った。
「うーん、正直、中堅以上の冒険者であれば、あれくらいの岩を持ち上げられる人はざらにいます」
アマミの言葉にメイもうなずく。
「アマミさんの言う通りだと思う。お父さんも、あれくらいの岩、持ち上げてたし」
メイの父親であるエヴァンスは、自分のことを剣使いのC級冒険者だと言っていた。
つまり、俺が手に入れた腕力は、魔王よりはるかに弱いC級冒険者と同程度ということである。
「やっぱり、この程度の力で魔王を倒すのは無理ってことか」
「無理でしょうねえ。魔王どころか、ドラゴンすら倒せませんよ」
「剣ならどうだ? 腕力を上げれば剣だって速く振れるようになるだろう?」
やってみた。
結論から言うと、ダメだった。
腕力をアップした状態で振った俺の剣はかなりの速さだったが、そんな俺よりもアマミの剣は遥かに速かったのだ。
アマミの剣の腕前は、腕力を上げた俺よりもはるかに上であるようだ。
そして、そんなアマミでも、自分の剣では魔王には歯が立たないと言う。
であれば、俺の剣など魔王に通じるわけがない。
「ダメか。魔王は剣じゃないと倒せねえってのに、その剣が通じないのはキツいな……」
エヴァンスはこう言っている。
――剣の魔王は強い。
――魔法攻撃は一切通じない。槍だの弓矢だのも通じない。大賢者の火炎魔法も、槍使いの自慢の一撃も、一切通じなかった。
――過去に通じたのは剣による攻撃のみである。
この言葉通り、魔王は剣でしか倒せない。
俺はそう思っていた。
ところが、アマミがこんなことを言ってきた。
「別に、魔王には剣しか効かない、ってわけじゃないと思いますよ?」
「そうなのか?」
「ええ。エヴァンスさんも『今までダメージを与えることが出来たのは剣だけ』と言っているだけで、『絶対に剣しか通用しない』と言っているわけではありません」
「そういやそうだな」
「そもそも、魔王だろうと何だろうと、特定の攻撃以外、一切効かないというのはありえませんよ。たとえば、槍使いの自慢の一撃が通じなかったとエヴァンスさんは言っていますけれども、そうですね……もし『槍の魔王』なんて魔王が現れて、渾身の槍の一撃を剣の魔王に食らわせたとしたらどうです? さすがにダメージをあたえられると思いません?」
「まあ……無傷というわけにはいかねえだろうな」
「そういうことですよ。あくまで剣が弱点というだけで、耐久値以上の威力の攻撃であれば何でも効きます。最強の槍使いの一撃でつらぬくとか、規格外の威力の高熱を浴びせるとかすれば、倒すことだってできますよ」
「なるほど……」
俺はうなずいた。
「ちなみに、アマミは『魔王の耐久値以上の威力の攻撃』はできるか?」
「うーん、無理でしょうね。わたしは器用貧乏ですから。弱点の剣を使っても無理なんじゃないんですかねえ」
「そういえば、エヴァンスがこんなことを言っていたな」
――かつて、剣に特化したレベル118の男が、魔王の体を駆け上り、渾身の剣撃で首を突いたことがあった。
――剣は魔王の喉にわずかに刺さり、魔王から血を流させた。
――が、そこで剣は止まってしまった。
――そして次の瞬間、暴風のごとき魔王の剣が剣士に襲いかかり、剣士は絶命してしまったのだ。
「ええ。剣に特化した人の渾身の一撃でわずかに刺さる程度なら、わたしの器用貧乏の剣なんてまるで通じませんよ」
ここまでの話をまとめると、
『腕力を上げても、それだけでは魔王は倒せない』
『魔王は剣以外でも倒せる。ただし、アマミほどの実力者でも、剣の魔王は倒せない』
ということか。
まあ、いい。
まだ実験は始まったばかりである。
続きをやろう。