38話 伯爵、楽しい未来を妄想する
<三人称視点>
伯爵領の中心都市である伯都の練兵所。
兵たちが日頃訓練をしているその場所に、ゴドフ伯爵はいた。
兵士らが剣を振るい、鍛錬にいそしむ姿を、部下達とじっと見る伯爵。
50歳という年齢を感じさせぬほど筋骨隆々で、長い白髪をオールバックにしている伯爵の表情は険しかった。
「ふん。どうにも気合いが足りぬな」
不快感をあらわにした声で、そう口にする。
「気合い、でございますか?」
部下がたずねる。
「そうだ。どいつもこいつも気迫が感じられぬ。いいか、剣を持つということは、相手を必ず殺すという気構えがなければならぬ。だというのに、あいつらときたら肝心の気組みに欠けておる。まったく、近頃の若い連中と来たら……」
伯爵はイライラした声で、吐き捨てるように言う。
が、実のところ、兵士たちがサボっているわけでも、やる気をなくしているわけでもない。
単に伯爵の気が立っているから、兵たちが無気力に見えてしまっているだけである。
伯爵という男は、神経質なところがある。
時折、発作を起こすように、理由もなくイライラする。
傍から見れば、伯爵は恵まれている。
貴族の家に生まれ、レベルが上がりやすい才能に恵まれ、自慢の剣術による魔物討伐で名を上げ、当主の地位に就いた。
あれこれ命令してくる人間もいない。
形式的には伯爵はカルスラ国王の臣下であるが、あくまで形式に過ぎない。
カルスラ王国という国は、全体的に山がちであり、隣の公爵領や侯爵領に行こうとしたら、険しい上に魔物も多い山々を越えないとたどり着けない。
王としては、反抗的な侯爵や伯爵がいたとしても、討伐するには山を越えて軍を送らねばならず、容易ではない。
簡単に軍を送れないのであれば、王様も怖くない。
結果、伯爵のような地方領主たちは独立気質を持つようになった。
事実、カルスラ王国の王は、あくまで地方領主たちの調停役に過ぎない。形式的に偉いだけで、伯爵や侯爵に命令する権限は一切無いのだ。
要するにゴドフ伯爵は、事実上、自分の領地の王様のようなものなのである。
だが、伯爵は自身の恵まれた境遇に感謝などしなかった。
代わりに、発作のような癇癪を時おり起こしては、イラつきをぶつける。
ぶつける相手は、自分より弱いものである。
『低レベルのクズども』を剣の魔王の生け贄として始末することを始めたのも伯爵である。
やってみると、汚いゴミを処分しているようで、すっきりした。
イラつきが晴れるようだった。
「悪くはないな」
そんな気分であった。
圧倒的な強者である剣の魔王が『薄汚い低レベルのカス』を剛剣で粉砕する様は、見ていてスカッとした。
(また、あれが見たくなったな)
と伯爵は思った。
「おい」
部下に声をかける。
「はっ」
「魔王様が次に現れるのはいつだ」
「明後日でございます」
「生け贄はいるか?」
伯爵はたずねた。
今日の昼、ジュニッツとアマミが生け贄として連れて行かれようとしているところを伯爵は見ているはずだが、もうすでに「クズどものことなど記憶する価値もない」と言わんばかりに、そのことを忘れてしまっている。
部下も、いちいちそんなことは指摘しない。
余計なことは言わず、聞かれたことだけを答える。
「3人おります」
「ふむ。3人か」
伯爵は思案した。
(それだけいれば1人くらいは死にものぐるいで暴れてくれるか。であれば、見ていて楽しめるかもしれぬ。クズの無駄な抵抗は笑えるからな。そうでなくとも、魔王様がゴミどもを片付ける様を見るだけでも多少はスカッとできるか)
伯爵は決断した。
「よし。魔王様を見に行くぞ」
そう宣言した。
ジュニッツ達が今閉じ込められている魔王の檻。月に2度、半月の日に魔王が現れるその場所から少し離れたところに、ちょっとした岩山がある。
ほどよい高さがあり、頂上が平べったくて面積があり、何より魔王の檻がよく見える。むろん、魔王の行動範囲の外であり、安全なところである。
大勢で剣の魔王の『勇姿』を見学するには、ちょうどいい場所なのだ。
「同行者はいかがいたしましょうか?」
「ふむ、そうだな。スカッとしたい。ぱーっと行こう。側近どもは一通り連れていく。そのように手配しておけ」
「ははっ」
うなずく部下を見て、伯爵は少しはイラ立ちが晴れた。
(低レベルのカスどもがどんなみじめな姿を見せてくれるか。魔王様を相手にどれだけ無駄な抵抗をしてくれるか。明日が楽しみだな)
そんなことを思いながら、伯爵はほくそ笑むのだった。
◇
<エヴァンス視点>
心配だった。
ただただ心配だった。
ジュニッツさん達が生け贄として連れ去られた後、私は伯都から出て、東に向かっていた。
その先に小さな町があり、ジュニッツさん達が娘のメイを救出した後、そこで落ち合う予定なのだ。
だが、気持ちはまるで落ち着いていなかった。
自分が歩いているのか、それともふわふわと宙を浮いているのかわからないほどだった。
落ち着けるはずがない。
娘のメイが魔王の生け贄にされているのだ。
かわいそうに、小さな体で今ごろ震えているのだ。
本当なら、今すぐにでも駆け出したかった。
闇雲にでも走り回って、メイを探し出したかった。
閉じ込められているのを救出してやりたかった。
こわくて泣いているであろう彼女を、やさしく抱きしめてやりたかった。
「私の不注意でこわい目にあわせてごめんな」と謝りたかった。
だが、それはできない。
「エヴァンス。娘は俺たちが助ける。あんたは、余計なことは決してしないと約束してくれ」
ジュニッツさんはそう言った。
そして、私はジュニッツさんのその言葉に「わかった」とうなずいた。
そう、私は「余計なことはしない」と約束したのだ。
約束した以上は、決して破るわけにはいかない。
それに、ジュニッツさんの言いたいこともわかる。
娘を助けるには、S級冒険者でも破壊できない『魔王の檻』を壊すか、もしくは魔王そのものを撃破するしかない。
そして私は、しょせん中堅クラスでしかない冒険者だ。
魔王相手にどうこうできるわけがない。
そんな私にうろちょろされても邪魔であろう。
ジュニッツさんには、すでに魔王を2体も倒した実績がある。
そのジュニッツさんを信じる。
会ったばかりの相手を信用するのかと言われるかもしれないが、どのみち娘を助けるには信用するしかないのだ。
そして、信じると決めたら、徹底して本気で信じるべきである。
だが……。
それでも……。
「ああ、メイ、大丈夫だろうか……心配だ……」
私は、ふわふわした足取りで現実感のないまま、東の町へと向かっていくのだった。
◇
<メイ視点>
お父さんは今ごろ心配しているかな。
大丈夫かな。
もしお父さんと話せるなら、わたしは大丈夫だからお父さんは心配しないで、と伝えてあげたいけれども……。
2日前、『魔王の檻』という名の深い穴に閉じ込められた時は、わたしはもう終わりだと思った。
これで死ぬんだと思った。
わたしは穴の底で震えた。
こわくてふるえた。
でも、心の片隅でどこかほっとしていた。
これでもう、お父さんに迷惑をかけないで済むからだ。
わたしのレベルが低いせいで、「お前の育て方が悪いんだ」とお父さんが罵倒されたり、石を投げられたり、町から追い出されたりしてつらい思いをしているところを見ると、わたしも苦しい気持ちになる。
そんなのは嫌だった。
だから、これでやっとお父さんは自由になれるんだと、ほっとした気持ちもあった。
けれどもそれは、ほんの一時的な強がりだったみたいだ。
次の日になると、そんな気持ちはどこかに行ってしまっていた。
「やだよ……死にたくないよ……。
お父さんと会いたい……また笑いあいたい……。
わたしはダメな娘で……でも、それでもお父さんといたいよ……」
そうだ。わたしは死にたくないのだ。
わがままかもしれないけれども、お父さんとまた一緒にいたいのだ。
迷惑をかけてしまうかもしれないけれども、それでも一緒がいいのだ。
でも、現実は、あと3日で魔王がやってくる。
わたしは閉じ込められた生け贄で、どうしようもできない。
何もできない。
「ごめんね、お父さん……最後までダメな娘でごめんね……」
わたしは、もうただただ怖くて泣いていた。
そんな時である。
あの2人がやってきたのだ。
ジュニッツ先生とアマミさんである。
不思議な人たちだった。
アマミさんは、きれいな人だ。
さらさらした銀髪に、綺麗な形の青い目、すっと通った鼻筋。
わたしと同じ12歳らしく、わたしと同様にまだ小さくて幼い雰囲気があるけれども、あと何年かしたらすごい美人さんになるんだろうなあ、と思う。
そしてとても強い人だ。
レベルなんてわたしの60倍もある。
元S級冒険者らしい。
そんな本来なら雲の上の人だけれども、わたしは何というか、アマミさん相手にあまり恐縮はしていない。
アマミさんがわたしのことを低レベルだからと見下すこともなく、それどころかすごく気さくで話しやすいというのもあるけれども、一番はアマミさんのジュニッツ先生に対する態度だ。
なんというか、すごくゆるゆるなのである。
頬がゆるいというか、なんというか。
どう見ても、ジュニッツ先生のことが全力で好きなんだなあ、というのを感じるのだ。
先生を見る目とか、声の調子とか、雰囲気とか、何から何まで先生への好意が感じられる。
そんなアマミさんを見ていると、なんだか親しみが持てるというか、親近感がわいてくるのだ。
同じ女の子として、先生との仲を応援したくなるのだ。
そのジュニッツ先生はどんな人かというと、変わった人だ。
名前は前から知っていた。
レベル1なのに魔王を倒したすごい人だ。
いったいどんな人なんだろう、と、わたしはまだ見ぬ先生を勝手に想像して、勝手に憧れて、勝手に先生と呼んでいた。
実際に会ったのは今日が初めてだ。
先生はイメージと違っていた。
わたしはなんていうか、勇者みたいに大きな剣を持って、白銀の鎧に身をまとった人を想像していた。
けれども、先生は剣なんて持っていなくて、鎧の代わりに左右白黒の変な服(スーツって名前の服らしい)を着ていた。
とても戦えるような格好には見えない。
実際、先生はこう言っている。
「俺は探偵だ。探偵は戦うものじゃねえさ」
探偵が何かはよくわからない。先生は「謎を解くものさ」と言っていたけれども、やっぱりよくわからない。
でも、そう言っている先生からは覚悟が感じられた。
絶対に魔王を倒すんだという覚悟。命を張ってでも魔王を撃破するんだという覚悟。
前に、お父さんがこんなことを言ったことがある。
「メイ。冒険者にとって何が一番大事かわかるかい? それは覚悟だよ。自分の決断に命を張る覚悟。ここぞというところでリスクを取れる覚悟。どれだけレベルが高くても、覚悟がない者は大したことができないんだよ」
今ならお父さんの言ったことがわかる。
先生には覚悟がある。
とはいえ、別に悲壮な顔をして決意を固めている、というわけではない。
それどころか、すごく自然体だ。
ものすごく自然に気負うことなく、静かに覚悟を固めている。
S級冒険者ですら怖くて死を覚悟するような魔王を、ごく自然な態度で倒すと言っているのだ。
冷静に考えてみると、結構すごいことだと思う。
もちろん、はったりではない。
はったりでは、2体も魔王を倒せない。
いったいどうやって倒すつもりなのか、見当もつかない。
『推理』というもので倒すらしいけれども、本当にどうやるんだろう?
全然わからない。
ひとつ確かなのは、先生がわたしのことを必要としてくれていることだ。
先生は「メイの力が必要だ」と言ってくれた。
今まで何の役にも立たなくて迷惑ばかりかけてきたわたしを、先生は必要だと言ってくれたのだ。
だからわたしも、全力でそれに応えたいなと、そう思うのだった。