36話 探偵、裏世界に行く
「わたし、裏世界スキル、取る!」
メイは、小さな両拳を胸の前でぎゅっと握って言った。
「落ち着け。人生を決めることだぞ? 明日の朝まで時間をおいたらどうだ?」
俺はそう言って、メイをなだめた。
メイは首をぶんぶんと横に振った。それこそブンブンという音がするのではないかというくらいに振った。
「先生、わたしね、ずっとずっと役に立たなかったの……。
レベルが低くて、何もできなくて……。
お父さんは「それでもいい」って言ってくれたけれども、わたしはそんな自分がずっと嫌だった。
だから……だからね! 先生がわたしのことを必要だと言ってくれて、すごく嬉しかったの! 本当にすごく嬉しかったんだよ? わたし、裏世界スキル取りたい! 取って先生の役に立ちたい!」
メイの目が、まっすぐ俺を見つめてくる。
「いいのか? もう一生他のスキルを取れねえかもしれねえんだぞ?」
「先生は、その……魔王と戦うんだよね?」
「ああ」
「わたしを助けに来てくれた先生が命がけで戦うのに、わたしだけ何もしないなんてできないよ。わたしも戦う。戦って役に立ちたい。そのためならスキルでも何でも取る!」
「……いいだろう」
俺はうなずいた。
メイが本心から覚悟を決めているというのなら、俺はただそれを受け入れるだけである。
「メイ。スキルを取ってくれ」
「うん。取る!」
メイはスキルボードを操作した。
そこにはこんなスキルが載っていた。
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『裏世界』
裏世界に行くことができる。
裏世界に行ってから1分後、元の世界に戻る。戻った時は、裏世界に行った人間の記憶以外、何もかも元通りになる。たとえ、誰かが死んだとしても、元通りに生き返る。
※裏世界は、この世界とまったく同じである。ただし、生命がいない。
※裏世界に行くことができるのは能力使用者と、能力使用者が許可した人間(本人の承諾も必要)のみ。
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これでいいんだよね、とメイが表情で聞いてくる。
俺は首を縦に振った。
メイがスキルボードを操作し、裏世界を選択する。
こうしてメイは、裏世界スキルを取得した。
◇
せっかく取得した新スキルである。
陽が明るいうちに、試してみることにした。
というより、すでに1回試している。
メイが勝手に1人でスキルを使ったのだ。
裏世界スキルを取得したすぐ直後、いきなりメイがへたり込んだので、何事かと聞いてみたら、こんな答えが返ってきたのだ。
「えっと……裏世界に行ってたの」
どうやら俺が気がつかないうちに、1人で裏世界に行って、1人で戻ってきたらしい。
「……なんでいきなりスキルを使ったんだ?」
「あの……先生とアマミさんを危険な目にあわせたくなかったから」
メイの説明はこうだった。
裏世界スキルは説明文の通り、裏世界に行く能力であるが、もしかしたら裏世界というのは危険なところかもしれない。
スキルの説明文には『裏世界は、この世界とまったく同じである。ただし、生命がいない』とあり、一見危険はなさそうだが、本当に安全かどうかは行ってみないとわからない。
であれば、いきなり俺とアマミをつれていくわけにはいかない。
だから、まず自分が偵察の意味で、一度裏世界に行ってみたのだ。
とまあ、こんな具合のことを話した。
「ああ……」
俺より一回りも年下で戦うのも苦手な女の子が、俺を危険な目にあわせたくないからという理由で、自分から危険かもしれない場所に飛び込んだ。
その事実に、俺は何とも言えない気持ちになる。
「まあ……なんだ。ありがとう」
「わ、わたし、役に立ったかな?」
「立ったさ。助かった」
「え、えへへ。そうかな。嬉しいな」
メイは、はにかんだ顔をした。
俺はメイに、感謝はしているが、次からは行動する前に一言俺に相談するように、と伝えた。
「うん。わかった」
「それで? 裏世界はどんなところだった?」
「えっとね。危険はなかった」
「それはよかった」
俺は安心した声で言った。
「それから?」
「えっと、こことほとんど同じだった」
「ここってのは、俺たちが今いるこの穴の中か?」
「あ、うん、そう。スキルを使っても、この穴とそっくりの場所に出て来ただけだったの」
俺たちは今、魔王の檻と呼ばれている穴の中にいる。
深さ20メートル、縦横10メートルの直方体の形状をした大きな穴である。
ただの穴ではない。
穴全体が、白い光の膜で覆われているのだ。
横から見ると、穴の断面図はこうなっている。
■■□□□□■■ 上
■■□ □■■
■■□ □■■ ↑
■■□ □■■
■■□ □■■
■■□ □■■
■■□俺達□■■ ↓
■■□□□□■■
■■■■■■■■ 下
■が地面である。
□が白い光の膜である。
俺たちは、光の膜の中にいる。
この光の膜は、外から中へはすんなりとものを通す。
が、中から外へ出ようとすると、抵抗が生じる。光の膜が鋼鉄よりも頑丈な壁となり、出ることができないのだ。
アマミも穴に入った直後、強化した拳で光の膜を殴ってみたが、ビクともしなかったと言う。レベル120のアマミでさえ破壊できないのだから、相当に頑丈である。
ともあれ、俺たちが今いる穴というのは、こういうところである。
メイがおとずれた裏世界は、俺たちが今いるこの穴とそっくりの場所だったらしい。
裏世界スキルの説明文には『裏世界に行くことができる』と書いてあるし、『裏世界は、この世界とまったく同じである』とも書いてある。
しかし、裏世界が現実世界と同じであるとして、その裏世界のどこに行くことになるかは書いていなかったので、気になっていた。
が、どうやら、現実世界と同じ場所に行くらしい。
現実世界のこの穴の底でスキルを使えば、裏世界でも初期位置は同じ穴の底、というわけだ。
だが、1つ気になる点がある。
「で? どこが違ったんだ?」
「え?」
「さっきメイは、裏世界のことを『こことほとんど同じ』と言った。ほとんどってことは、何かが違うんだろう? それはなんだ?」
「あ、うん。まずね、先生とアマミさんがいなかった」
「ふむ」
裏世界スキルの説明文には『裏世界は、この世界とまったく同じである。ただし、生命がいない』と書いてある。
生命がいないのだから、俺たちがいないのは道理である。
「あとね、この白いのがなかった」
「うん?」
「穴の中にね、この白い光の膜がどこにもなかったの」
「……なんだそりゃ」
メイの話によると、彼女の見た裏世界はこんなところだったらしい。
■■ ■■ 上
■■ ■■
■■ ■■ ↑
■■ ■■
■■ ■■
■■ ■■
■■ ■■ ↓
■■ メイ ■■
■■■■■■■■ 下
「つまり、出ようと思えば、穴から出られたってことか?」
「う、うん。がんばって鎖をのぼれば……」
「それでメイはどうしたんだ?」
「えっと、よくわからなくて、ぼーっとしてた。そうしたら、いつの間にかここに戻ってた」
裏世界スキルの説明文には『裏世界に行ってから1分後、元の世界に戻る』とある。
1分経過したところで、今俺たちがいる世界に戻ってきてしまったのだろう。
「ありがとう。メイの話はだいたいわかった。次は俺も行こう」
スキルの説明欄には『裏世界に行くことができるのは能力使用者と、能力使用者が許可した人間(本人の承諾も必要)のみ』とある。
メイが許可して、俺が承諾すれば、俺も一緒に裏世界に行くことができるはずだ。
「うん、わかった。次は先生も一緒だね」
メイがそう答えると、アマミがこう言ってきた。
「なら、わたしもご一緒しますよ」
「アマミさんも?」
「ええ。ジュニッツさん1人がついていくんじゃ、心配ですからねえ。というわけで、メイさん。わたしもついていって大丈夫ですか?」
「あっ、う、うん、大丈夫」
うなずくメイに、俺はひとつだけ気になっていることをたずねた。
「メイ、体の方は大丈夫か? さっきスキルを使った直後、へたりこんでいただろ。もしかして、裏世界スキルは何度も使えないスキルなのか?」
「んっと……大丈夫。あれは、無事に現実世界に戻ってこられて、安心してへたり込んじゃっただけだから」
「無理はするんじゃねえぞ。俺は人が無理しているかどうか、よくわからねえ男なんだからな」
メイは「ん、平気」と言うと、今度は俺とアマミを含めて裏世界スキルを使った。
とたん、周囲の景色が変わった。裏世界に着いたのである。
メイの言う通りであった。
穴の中を覆っていた白い光の膜がなかった。
穴の底も壁も、赤茶けた土がむき出しになっていた。
頭上を見上げる。
穴の入り口をふさいでいた光の膜も、なくなっている。
「アマミ、俺を穴の外に連れて行ってくれ。メイはそこで待っているんだ」
「了解です。しっかり捕まっていてくださいね」
アマミは俺を背負うと、垂直に切り立った穴の壁を駆け上がっていった。
ほどなくして、俺たちは穴の外に出る。
そこは荒れ地だった。
赤茶けた渇いた大地が広がり、ところどころに岩がゴロゴロと広がっている。
先ほど、俺たちが穴に入る直前に見た光景とまったく同じである。
「静かですね」
アマミが妙なことを言い出した。
「ああん? もともと静かだったじゃねえか。この荒れ地に入ってから、動物も魔物も全然見ていねえぞ」
「現実世界のほうでは、目立つところにいなかっただけで、魔物の気配はあったんですよ。小動物の気配もありましたし、虫の気配もありました。それが今ではまったくありません。本当に静かです」
「ほう」
裏世界スキルの説明文には『裏世界は、この世界とまったく同じである。ただし、生命がいない』とある。
なるほど、生命がいないとはこういうことか。
(たぶん町中で裏世界スキルを使ったら、無人の町にポツンと自分だけいるということになるんだろうな。いろいろできそうだ)
俺がそう思った瞬間である。
また周囲の景色が変わった。
俺とアマミは穴の中に戻っていたのだ。
メイも目の前にいる。
「わっ、お、おかえりなさい」
「……ああ、ただいま」
見ると、穴の中は白い光の膜で覆われている。
「メイ。ここは、現実世界か?」
「えっ、あ、うん、そうだよ」
「なるほど、1分経ったか」
裏世界スキルの説明には『裏世界に行ってから1分後、元の世界に戻る。戻った時は、裏世界に行った人間の記憶以外、何もかも元通りになる。たとえ、誰かが死んだとしても、元通りに生き返る』と書かれている。
「1分経てば元通りに戻る。つまり、裏世界で穴の外に出たところで、1分後には、現実世界で最後にいた場所……つまりこの穴の底に戻されちまうってことか」
「せっかく脱出できたと思ったんですけどねえ」
アマミがそう言って残念がる。
「そう上手くはいかねえさ。それよりメイ。裏世界スキルは、すぐまた使えそうか?」
「あっ、えっと……ちょっと無理かも……」
「アマミ、見てやってくれ」
「はいはい。というわけでメイさん。ちょっと失礼しますよ」
「あっ、う、うん」
アマミがメイの額を触ったりしながら、彼女の状態を確認する。
回復魔法の使い手であるアマミは、人の健康状態を把握するのも得意である。行き倒れていたエヴァンスを的確に介抱できたのも、その能力によるところが大きい。
「体力に問題はないですし、精神的にも問題はありません。単純にスキルの時間制約でしょうね」
「というと?」
「短時間で連続して何度もスキルを使えないってことです。一度使ったら、少し時間を置く必要があります」
「要は待てってことか」
「じゃあ、その間、ジュニッツさんの失敗談100連発でもお話ししましょうか」
「やめろ、バカ!」
俺たちはしばらく他愛のない話をした。
魔物肉の料理の話とか、どれが一番美味かったとかいう話をした。
話に出て来た魔物肉は、アマミのアイテムボックスの中に冷凍保存されているので、それを今晩食べようかという話もした。
メイはここ数日ひどい食事しかしていない。
伯爵領の連中も、魔王に殺される前にメイが死んだら自分たちにドクロマークがついてしまうから、死なない程度の水と食糧は残していっている。
臭い水に、カビたパンに、すっぱい変な味のするチーズである。
だから、温かくて美味しい料理が食べられると聞いて喜んだ。
「わっ、わっ。ありがとう。……あ、で、でも、いいの? わたしなんかも一緒に食べて……」
「いいに決まってんだろ。いい歳した大人である俺が、子供にまずいもの食わせて、自分だけ美味いものを食えってのか? そんなかっこわりいことできるか。メイは俺の言う通り、俺たちと同じもん食ってりゃいいんだよ」
「こんなこと言ってますけど、ジュニッツさんは単に優しいだけですからね」
「何を訳のわからねえこと言いやがる」
5分もすると、また裏世界スキルが使えるようになった。
スキルを使い、裏世界に行き、色々と実験する。
現実世界に戻ってきたら、また他愛のない話をする。
そんなことを日が暮れるまで繰り返した。
色々なことを試した。
たとえば、裏世界でアマミに岩を片っ端から粉砕させる、ということをやった。現実世界に戻った時、破壊した岩は全て元通りに戻っていた。
裏世界で自分の手に小さな傷をつける、ということも試してみた。現実の世界に帰還すると、傷はきれいに消えていた。
アマミとメイの2人だけで裏世界に行ってもらう、ということもやってみた。俺がまばたきしている間に、2人は裏世界に行き、帰ってきた。「1分間、2人でぼーっとしていました」とアマミは言った。
俺は確信した。
『裏世界スキルは、かなり使える』と。
このスキルだけでは魔王は倒せないが、相当に使えるのは確かである。
すでに頭の中には、スキルの使い道がいくつも思い浮かんでいる。
推理、というほど難しいものでもないが、アマミとメイは、はたして使い道に気づいているだろうか。
いずれにせよ、この先が楽しみだった。