3話 探偵、魔王にたどり着く
「魔王討伐依頼を受けてきた」
スラムの自宅に戻り、俺がそう言うと、アマミは目を丸くした。
魔王を倒す方法を推理した後、俺は興奮のあまり何も言わずに家を飛び出し、冒険者ギルドに行って依頼を受けてきたのだ。
だからアマミは今はじめて、俺が魔王討伐に行くと知ったことになる。
「……あの、正気ですか?」
驚いた顔でアマミは言う。
「俺は本気だ」
冗談だと思われないよう、真っ直ぐに目を見て言う。
アマミはしばし固まっていたが、やがて口を開いてこう言った。
「……えーと、あのですね、ひとつ確認しますが」
「なんだ」
「ジュニッツさんが倒しに行くと言っているのは、本当に魔王ですか? ひょっとしてゴブリンか何かと間違えていませんか? ジュニッツさんはそそっかしいですからねえ」
「バカ野郎。そんな間違え方するか」
「うーん……」
アマミは、人間が腕組みをするみたいに前足を組むという器用な格好でしばらく考えた後、こう言った。
「ねえ、ジュニッツさん。今から魔王について、いくつか質問をしてもいいですか?」
「は?」
「いえね、ジュニッツさんは前世を思い出したばかりでしょう? ひょっとしたらまだ混乱していて、自分でもよくわからないままに魔王討伐の依頼を受けてしまったんじゃないかって、心配なんですよ。だから、ジュニッツさんがちゃんと魔王のことをわかっているか、確認させてください」
俺は「混乱なんかしてねえよ」と言い返そうとした。
が、アマミの顔を見ると、いつものからかう調子ではなく、心の底から心配そうにしている。
「……好きにしろ」
俺がそう言うと、アマミはニッコリ笑って「ありがとうございます」と言い、さっそく質問を始めた。
「では、いきますよ。第1問です。魔王は世界に1体しか存在しない。『はい』か『いいえ』、どちらでしょうか?」
「バカにするな。『いいえ』だ」
俺は即答する。
人間の王が複数いるのと同様、魔王も世界中に複数体存在する。
「正解です。ちなみに、ジュニッツさんはどの魔王を倒しに行くのですか? 全員ですか?」
「そんなわけあるか。荒野の魔王だけだ」
『荒野の魔王』というのは、ここから一番近くにいる魔王である。
このあたりで単に魔王と言えば、荒野の魔王を指す。
アマミは「なるほどなるほど」とうなずき、次の質問をする。
「では、第2問です。魔王のレベルは一般的にどれくらいでしょうか?」
「正確にはわかってねえな。だいたいどの魔王も、レベル100以上はあるS級冒険者が束になっても、簡単には勝てない。だから、レベル100を軽く越えているのは間違いない。要するに最強クラスってことさ」
荒野の魔王に限らず、魔王というのはどいつも恐ろしく強い生き物である。
まともにやれば、俺はもちろん、ユリウスのクソ野郎だって勝てやしないだろう。それどころか、町の冒険者全員で一斉にかかったって蹴散らされて終わりだ。
それほどまでに魔王は強いのだ。
「ふーむ、これも正解ですね。では、第3問です。ジュニッツさんの言うように、魔王はとても強い。そんな恐ろしく強いのが、世界中に何体もいるわけです。どれか1体でも国を襲ってきたら大変です。国が滅んでしまいます。国はどうやって対抗しているのでしょう?」
「何もする必要はねえさ。魔王ってのは、どいつもこいつも基本的に生まれた場所から動かねえんだ。放っておけば、魔王にやられることはねえさ」
魔王が動かないのなら、近づかず、何もしなければいい。
「ですが、国はしばしば魔王討伐軍だの勇者パーティーだのを組織して、魔王退治を試みています。放っておけばいいなら、なぜわざわざそんなことをするのでしょう?」
「迷惑だからさ。魔王は、周りにいる魔物を強化させる。魔王を中心として、だいたい国1個ぶんくらいの範囲で、魔物のレベルが20から30は上がる」
魔王自身は動かなくても、魔物たちは町や村を襲う。その魔物たちを、魔王は強化するのだ。強化されれば、被害も大きくなる。
魔王は存在しているだけで迷惑なのだ。
なら、どうすればいいか?
簡単だ。魔王を倒してしまえばいい。倒せば魔物は弱くなる。
そして、一度魔王を倒せば、その地域には少なくとも50年は新しい魔王が現れない。メリットは多大だ。
ゆえに国は、しばしば大規模な遠征軍を魔王討伐に送るし、冒険者ギルドにも魔王討伐依頼を出しているというわけだ。
俺がこういったことを説明すると、アマミは「正解ですねえ」と言った。
「では、最後の質問です。荒野の魔王を討伐するために、遠征軍やパーティーが過去に何度も送られています。成功したでしょうか?」
「何を言ってやがる。荒野の魔王は、今も元気でピンピンしてるんだ。全部失敗したに決まってるだろ」
荒野の魔王に限らず、魔王を倒そうという試みは、世界中で何度も行われている。
が、そのほとんどは失敗している。
魔王討伐は英雄譚として吟遊詩人の歌などで語られている。俺も小さい頃、そんな歌を聞いて憧れを持ったものだ。
が、英雄譚というのは、めったにないから英雄譚になる。だいたいは失敗に終わるのだ。
「まとめると、最強クラスの魔王が世界中に何体もいて、周囲の魔物を強化しまくっている。国はそれが迷惑だから魔王を倒そうとしているが、だいたいいつも負けている、ということさ」
「……つまり、ジュニッツさんは、国が本気になっても勝てないくらい魔王が強いとわかっている、ということですね?」
アマミの言葉に俺はうなずいた。
「ああ」
「そして、それでも倒しに行く、と」
「俺は本気だ」
「……驚きですねえ。ジュニッツさんはたまに変なことを言いますけれども、今回のはとびきりですよ」
「ああん? 俺がいつ変なことを言った」
俺はそう言いながら、アマミに別れを告げるタイミングを見計らっていた。
俺はこれから魔王を討伐に行く。
いわば、自分の推理が正解かどうか、命をかけて確かめようというのだ。
推理した直後は「倒せる!」と自信を持っていたが、冷静になってみると不安材料は多い。
物事に絶対はないのだ。魔王を倒せる確率は五分五分くらいではなかろうか。
無論、やめる気はない。
ここまで来たら最後までやる。
覚悟は決めている。
だが、失敗したら死ぬかもしれないのだ。
そんなことにアマミは巻き込めない。
だから、彼女にはさよならを言わないといけない。
そうして、俺が口を開きかけた時である。
アマミはこう言った。
「で、いつ出発するんですか? わたしにも準備がありますから、早めに教えてくださいね」
◇
2日後の早朝、俺は町を出た。
町から北に少し行くと、そこには荒野が広がっている。
荒野の中心には魔王がいる。
そこを目指して歩いているのだ。
無論、魔王を倒すためである。
1人ではない。
隣ではアマミがニコニコ笑いながら、「いやあ、晴れてよかったですねえ」などと言っている。
当初、俺はアマミを置いていくつもりだった。
魔王と戦えば、死ぬかもしれない。巻き込むつもりはなかった。
だが、アマミは、俺が本気で魔王と戦うつもりだと知ったその瞬間から、着いてくる気まんまんだった。勝率は五分五分くらいだと伝えても彼女の考えは変わらない。「ジュニッツさんが本気なら、わたしは信じるだけですよ」と言う。どうやって倒すつもりかも聞かず、ただ信じると言う。
そんなことを真っ直ぐな目で言うのだ。
俺は勢いに押されて同行を認めてしまった。
「それにしても変わった格好ですねえ」
アマミが俺の服装を見て言った。
「これはスーツというやつさ。今の時代にはないが、前世ではあった」
俺は自分の服をつまんで見せながら、答えた。
もっとも、スーツは古代でも相当に珍しい服装である。なんでも異世界から転移してきたと称する者が持ち込んで来たものらしい。
「服の形もそうですけど、色も変ですねえ。なんで左右で色が違うんです?」
アマミが不思議そうな顔で、きいてくる。
俺の着ているスーツは、左右で色が白と黒に分かれていた。
ジャケットは、左が白で右が黒。
ズボンは、左が黒で右が白。
くわえて、俺は中折れ帽という帽子をかぶっており、こちらも左が黒で右が白、というスタイルである。
「町を出る時、門番が笑ってましたよ。レベル1のクズめ、変な格好して、とうとう頭もおかしくなったのかって」
「ふん!」
あんなやつに何がわかる、という気持ちを込めて、俺は「ふん!」と言った。
「言いたいやつは言わせておけばいいさ。これは前世の正式な探偵スタイルだ。真相を白黒ハッキリさせる、という意味が込められている」
「ふふふ、ジュニッツさんはおもしろいですねえ」
「ああん? なにがだ」
「いきなり魔王を倒すと言い出したかと思ったら、この2日間、ずっとそんな服を作っているんですからねえ」
アマミの言葉は事実である。
魔王討伐依頼を受けてから2日間、俺はずっとこのスーツを作っていた。
金のないG級冒険者は、自分で服を仕立てるものである。
初めの頃は慣れない針仕事にずいぶんと苦労したが、今ではすっかり慣れてしまっている。
白の布地と黒の布地を使い、裁断して縫い、形を整えるという作業を、俺は2日でこなしてしまった。
布地の質は今ひとつだし、いかにも素人臭い仕立てで、(もうちょっとなんとかなあ……)という心境ではあるが、それなりに形にはなっている。
後は水や食糧を用意すれば、準備は終わりである。
「普通は魔王討伐の準備と言ったら、伝説の聖剣を探したり、神秘の秘薬を用意したりするものですよ。なのにジュニッツさんは変な服を作るだけなんですからねえ」
アマミはそう言ってくすくす笑う。
「俺は探偵だからな。探偵は探偵らしい格好をするものさ」
「おや、前世が探偵だった実感はない、って言ってませんでしたっけ?」
アマミの言葉に、俺はこう答えた。
「実感はねえさ。前世の記憶と言っても、知識だけで実感なんてものはねえ。
ただな……なんて言うか……嬉しかったんだ。
知っての通り、俺はレベル1だ。少年時代は、いつかレベルが上がるって希望もあったが、いつしかそんな希望もなくなっていた。
いつか何かでかいことをやってやると自分に言い聞かせながら、内心では、そんなの無理だと思ってた。
俺は大したことのないやつで……このままずっと何もできずに死んでいくんだと思ってたんだ……。
だが、俺は前世を思い出した。前世の俺は探偵をしていた。
その真似をして推理をしてみたら、魔王の倒し方を見つけてしまった。
無論、まだ倒せると決まったわけじゃねえ。それどころか、逆に殺されちまうかもしれねえ。
けど……それでもな、こんな俺でもできることがあるかもしれない……探偵としてなら何かを成し遂げられるかもしれないって思うと嬉しくてな。
だから、なんていうか……魔王に立ち向かうんだったら、ロクな思い出のない冒険者としてではなく、探偵としてやりてえって……まあ、そう思ったのさ」
顔が赤くなっているのが実感できる。
普段はこんな恥ずかしいことは決して言わない。
だが、俺はもしかしたら今日死ぬかもしれないのだ。
その気分が、俺にこんなことを口走らせた。
「ふふふ」
アマミは楽しそうに笑う。
「何を笑ってやがる」
恥ずかしさをごまかすように強めの口調で言い返すが、アマミは気にしない。
「ジュニッツさんが、生き生きしているものですから」
「生き生きだと?」
「ええ。なんかこう、すごく楽しそうです。それでわたしまで嬉しくなっちゃって。よかったら、歩きながら一緒に歌いませんか。もっと楽しくなりますよ。わたしの作った歌があるんです。歌詞は全部ニャンニャンですから簡単ですよ。いっしょにニャンニャンしましょうよ」
アマミはそう言ってからかう。
「誰が歌うか。だいたいお前、怖くねえのか? 魔王と戦うんだ。今からでも帰っていいんだぞ」
「やだなあ、地獄に行くのは一緒ですよ」
「何が地獄だ」
「だって、魔王のところに行くんでしょう? あれは地獄ですよ。というより、すでに半分地獄じゃないですかねえ」
アマミは周囲を見回しながら言った。
あたりは見渡す限り、無人の荒れ地である。
魔王がこの地に誕生した遠い昔から、このあたりは生命の住めない大地であった。植物は生えない。人間も動物も長い間ここにいると死ぬ。魔物すら死ぬ。
魔王が生命の生気を吸い取っているのだと言われている。
生命の気配のない、しんとした死の大地。
なるほど、確かに地獄だ。
「まあ、いいさ。地獄も悪くねえ。なにしろ魔物さえ寄りつかねえんだ。ゴブリンにすら勝てない俺としちゃあ、都合がいい。魔王のいるところまで戦闘なしで行けるんだからな」
実際、楽に魔王の居場所まで行けるのはありがたい。
俺が小さい頃に聞いた英雄譚の主人公である勇者などは、もっと苦労して魔王にたどり着いていた。
どんな人間も溶かしてしまうマグマの池に落ちそうになったり、どんな生き物も中に入ると死ぬ空間である異空間に飲み込まれそうになったり、どんな勇者も一撃で吹き飛ばせる巨大ゴーレムにやられそうになったりしながら、やっとのことで魔王のもとにたどり着いていたのだ。
「まあ、道中が楽なら、それに越したことはない。この調子で、魔王を倒す方も楽にやりたいものだ」
「油断してはダメですよ、ジュニッツさん。歴史上、魔王にたどり着いた人は大勢いますけど、魔王を倒せた人はほんの一握りしかいないんですから。倒す方が、難易度はケタ外れに高いんです」
「そういうものか」
「そういうものですよ」
俺たちは会話を交わしながら歩いた。
途中、早めの昼食を済ませる。
古くて硬いパンに、半分カビたチーズ。G級の俺は、そんなものしか食べられない。
食事を終えると、俺たちはまた歩く。
次第に口数が減っていく。心臓の鼓動が少し早くなったような気がする。緊張しているのかもしれない。
やがて……。
「あ、見えてきました」
アマミが言う方を見る。
そこには、10階建ての建物ほどはありそうな巨大な黒いアメーバが、そびえるように鎮座していた。
荒野の魔王である。
俺が魔王を倒すまで、あと1時間。