2話 探偵、魔王討伐に行くと宣言する
路地裏でボコボコにされた後、俺は無意識のうちに帰宅して寝込んでしまったらしい。
目を覚ますと、俺は自宅にいた。
汚いあばら屋である。
レベルが低い人間は、スラム街にしか住むことを許されていない。
俺が住んでいるのも、スラムの外れにある狭くて汚いボロ屋である。
外を見ると朝になっている。
どうやら一晩中、寝込んでしまったようだった。
頭痛はすっかりおさまっている。
「おや、ジュニッツさん。起きましたか? いやー、回復してよかったですよー。昨日はボロボロで心配したんですよ?」
女の子の声がした。
が、声のほうを向くと、そこにいたのは人間ではなかった。
ネコである。銀色のふさふさした毛並みの小柄なネコが、俺に心配そうな声で話しかけたのだ。
「ネ、ネコがしゃべった!?」
俺は思わず驚きの声を上げる。
「……え?」
ネコはそう言うと、呆然とした様子で、しばしの間、固まった。
それから、じっと俺の顔を見て言った。
「ジュニッツさん……わたしのこと、忘れちゃったんですか?」
ネコは悲しそうな顔をしながら、青い目で俺をじっと見た。
その目を見て俺は、はっと思い出した。
「ああ、いや……」
俺はごまかすように咳払いをし、こう言った。
「……思い出した。お前はアマミだ」
「よかった! 忘れてなかったんですね!」
ネコ、いやアマミは、心の底から安心したような声で言った。
「ああ、覚えている。お前はアマミだ」
俺はあらためて言った。
昨日、変な記憶が頭に入ってきた影響か、一時的にアマミのことを忘れてしまったようだった。
「ふふふ。じゃあ、わたしと出会った時のことは覚えていますか?」
アマミは、からかうような調子で俺にたずねる。
「もちろん覚えている。3年前、俺がネズミ狩りをしている時、路地裏に倒れているアマミを見つけたんだ」
路地裏でアマミを見つけた時、本来なら放っておくはずだった。
ネコの死体なんてめずらしくもない。いちいち気にもしていられない。
が、このメスネコはまだ生きていた。
俺は、どういう気まぐれか、ネコを自宅に連れ帰って看病した。
すると、なんとこのネコはしゃべったのだ。
「看病している時、アマミが『お願い……助けて……』と口にした時は、飛び上がるほど驚いたぞ」
「死にかかってましたからねえ。普段はトラブルを避けるために、しゃべれることを隠しているんですが、あの時は弱っていて、ついつい人間の言葉をしゃべってしまったんですよ」
アマミは懐かしい思い出として語っているが、あの時は本当に驚いた。
魔物がいるこの世界でも、しゃべるネコなんて聞いたことがなかったからだ。
だが、今さら看病をやめる気にはなれなかった。
幸い、仕事で狩ったネズミが手元にたくさんあった。
食べやすいようにネズミの肉をすりつぶして与えているうちに、ネコは元気になった。
「それで、わたしは、どうせ話せることはバレているんだからと、ジュニッツさんにお礼を言ったんですよね。『助けてくれてありがとうございます。わたしはアマミリス・ウィンチェルです』って。
そうしたらジュニッツさんは、私の名前を呼ぼうとして『アマミリュシュ……』って噛んじゃって。ふふ、あの時のジュニッツさんは顔を赤くして、かわいかったですねえ」
アマミはそう言って、からかう。
「うるせえ。お前だって、あの日以来、勝手に俺の家に居着きやがって。しかも、何もせずにグウグウ寝やがって」
「いやですねえ。自分が食べるぶんの子ネズミや虫は、自分で狩ってきていますよ。けなげでしょう?」
「何がけなげだ。自分の飯を自分で何とかするのは当たり前だろ。命の恩人の俺のために、ネズミ狩りを手伝ってやろうっていう気はねえのか」
「にゃはは。ジュニッツさんが狩っているのは青ネズミでしょう? あれはとびきり大きいですし、毒も持ってますから無理ですって。まあ、いいじゃないですか。かわいいわたしがいるだけで癒やされるでしょう?」
「何をわけのわからねえこと言いやがる」
俺たちは軽口をたたき合う。
実際のところ、アマミは何をするわけでもなく、我が家に居座っている。
ネコらしく寝ているばかりで、でも俺が仕事から帰ってくると嬉しそうに鳴きながら「おかえりなさい!」と言い、何が楽しいのかニャアニャア鳴きながら俺にまとわりつき、他愛のない俺の話を聞いて嬉しそうに笑う。
そういうやつだ。
それ以上のことは知らない。
アマミが何者か、いまだにわからない。
本人は「遠い昔に美少女冒険者として活躍していたんですが、悪い魔女の呪いでレベル1のネコにされちゃったんですよー」と言っているが、冗談っぽい口調なのでどこまで本当かはわからない。
興味本位で聞くことでもないので、俺も深くは聞かない。
「まあ、何にせよ、さっきは『ネコがしゃべった!?』とか言っちまって悪かったな。昨日、変な記憶が頭の中に入ってきたせいかもしれない」
「おや? 変な記憶? どんな記憶です?」
アマミが興味深げにたずねてきた。
「記憶か……」
俺は自分の頭の中を探った。
1日経ったことで、だいぶ記憶も落ち着いてきたようだ。
「いいだろう、話してやろう」
俺は語った。
記憶の世界。
そこは魔物が存在せず、魔法文明と呼ばれる文明が発達し、人々が豊かな生活を送っている平和な世界だった。
そんな世界で俺は奇妙な仕事をしていたのだ。
探偵である。
謎を解いて、事件を解決する仕事らしい。
殺人事件だの誘拐事件だのが起きると、ただちに現場に駆けつける。
凶器だの足跡だのを調べる。
論理を組み立てながら、あれこれ推理する。
そして最後に関係者一同を集め、「謎は解けた。犯人はあなたです!」と指をつきつけるのである。
「ははあ、それはきっと前世の記憶ですねえ」
俺の話を聞いたアマミが言った。
「前世だと?」
「ええ。ジュニッツさんが今言ったのは、古代と呼ばれる遠い過去の時代の光景です。そんな時代の記憶なんて、前世以外ありえませんよ」
「前世ねえ……」
「おや、ピンと来ませんか?」
アマミがたずねる。
「ああ。正直、前世の記憶と言っても、知識だけというか……他人の人生の記録を見ているような気分でな。自分の記憶って実感がねえんだ。はっきり言やあ、他人事だ」
「ははあ、他人事ですか」
俺の言葉に、アマミは「なるほどねえ」とうなずいた。
「でもよかったじゃないですか。他人事に感じているせいか、前世を思い出したわりに、ジュニッツさんの性格も全然変わってませんし」
アマミは、どこか安心したような顔で言う。
「まあな。だが、前世の影響で変なことをしちまうかもしれない。昨日も訳のわからねえことを、つぶやいちまったからな」
「おや、どんなことですか?」
「俺は魔王を倒せる、と言っちまったんだ」
「魔王を倒せる、ですか?」
「ああ。まったく何を訳のわかんねえことを言っちまったんだろうな。レベル1の俺が魔王と戦ったところで……」
そこで俺は固まった。
「……ジュニッツさん? どうしました?」
アマミが心配そうに声をかけてくるが、俺は反応しない。
さっき俺が「レベル1の俺が魔王と戦ったところで……」と言った時、俺は自分が魔王と戦う姿を想像した。
自分の能力や、かつて調べたことのある魔王の能力を思い出し、戦ったらどうなるかを頭の中で思い描いた。
そして……信じられないかもしれないが、何となく魔王に勝てそうだと思ったのだ。
(そんなバカな! G級冒険者の俺が1人で魔王を倒すだと? S級冒険者たちが束になっても勝てねえのに?)
そうやって否定しようとする。
魔王を倒したいと思ったことは今までもあったが、それはレベルを上げることが大前提である。
そもそも魔王に限らず、魔物と戦おうと思ったら『レベルを上げて力で倒す』のが常識だ。
レベル1のままで魔王に勝てるはずがない!
……本当に?
俺の脳裏に、前世の記憶がよぎる。
探偵だった前世の俺は、『殺人事件が起きた。犯人は誰だ?』といった難解な謎に、幾度となく直面してきた。
そしてそのたびに、推理力を駆使してあざやかに解決してきた。
今の俺も同じだ。
『レベル1で魔王を倒したい。どうすればいい?』という難解な謎に直面している。
だったら、前世と同じように推理力を駆使すれば、この謎を解けるんじゃないか?
(もし謎が解けたら、俺は魔王を倒せることになる。誰も勝てなかった魔王を、レベル1のこの俺が倒す……)
興奮した。
心臓がバクバクと鳴る。
気がつくと俺は推理を始めていた。
――推理の基本は常識を捨てることだよ。その上でありとあらゆる可能性を検討するのさ。
前世の俺はそう言っていた。
その言葉に従い、俺は常識を忘れ、あらゆる可能性を検討する。
(魔王ってのは一言で言やあ『無数のでかい触手で、ありとあらゆるものを粉砕する巨大なアメーバ』だ。
真っ向から戦ったら……普通に触手で粉々にされて終わりだな。
なら、火攻めはどうだ? ……それもダメだ。巨大な触手で火ごとかき消されちまう。
だったら、魔王を生き埋めにするのは……)
ああでもない、こうでもないと考える。
時間を忘れて推理に没頭する。
やがて、俺は1つの考えに行き着く。
レベル1の俺でもどうにか使える能力の1つ『魔法薬購入』を使うという考えだ。
魔法薬購入とは、次のような能力である。
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『魔法薬購入』
以下の魔法薬の中から、どれか1個を購入することができる。
1.透明薬 … 飲み終えてから1秒間、透明になる
2.頑強薬 … 飲み終えてから1秒間、あらゆる攻撃を無効化できる
3.巨人薬 … 飲み終えてから1秒間、体のサイズが倍になる
※薬は購入者以外の人間が飲んでも同じ効果がある。
※薬の効果時間は、飲んだ量に比例する。たとえば全部飲めば1秒。半分飲めば0.5秒。
※購入には銀貨1枚以上に相当する対価が必要。ただし、他人の金・物ではダメ。
※購入後、この能力は消滅する。
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一見すると、どの薬も大して役に立ちそうにない。
俺が1秒だけ透明になったり、1秒だけ頑強になったところで、1秒じゃ近づくことすらできない。近づけたところで、攻撃手段がない。1秒後に粉砕されて終わりだ。
だが、それは普通に薬を使った場合だ。やり方次第では、魔王すら倒せる気がするのだ。
(薬を買うのは問題ない。銀貨1枚という値段は、庶民の日給程度だ。俺でも何とか払える。
問題はどの薬を買うかだ。どれだ? どの薬なら魔王に勝てる? どの薬なら……ん? 待てよ?)
何かが見えたような気がする。
直後、閃いた。
「あっ、倒せる!」
俺は魔王を倒す方法を見つけてしまった。
ぞくり、と体が震えた。
◇
冒険者ギルドは、冒険者たちが所属する組織である。
依頼の仲介、冒険者の等級付け、戦利品の買い取りなどを行っている。
その冒険者ギルドの扉を開けた時、何人かが俺を振り向いた。
現れたのが『薄汚いG級冒険者のジュニッツ』であるのを見て、バカにしたように笑う。
好意的な視線はひとつもない。
俺は構わず依頼掲示板に向かった。
依頼掲示板とは、冒険者相手に『これをやってほしい』だの『あれをやってほしい』だのと書かれた依頼票が貼られた掲示板である。
近隣の村からのゴブリン討伐依頼や、鍛治師ギルドからの鉱石入手依頼など、様々な依頼が貼られている。
冒険者は受けたい依頼票を取って、受付に申請するのだ。
とはいえ、どんな依頼でも受けられるわけではない。
通常は依頼ごとに『E級以上』とか『D級以上』というように、依頼を受けるのに必要な冒険者の等級というものがある。
ドラゴン討伐をG級冒険者が受けることはできない。
が、その中で1つだけ、必要な冒険者の等級が書かれていない依頼票があった。
掲示板の最上段に貼られているそれは国からの依頼票で、必要な冒険者の等級欄が空白である。
誰でもできる簡単な依頼だから等級が書かれていないのではない。
逆だ。
最強のS級冒険者でも成功の保証が全くないから、等級が書かれていないのだ。
だが、形式的には誰でも受けることができる依頼である。
俺は『魔王討伐依頼』と書かれたその依頼票を取ると、受付に向かった。
「……なに?」
受付嬢は汚いものを見るような目で、カウンター越しに俺を無愛想に見上げた。
俺は構わず依頼票を差し出し、こう宣言した。
「魔王の討伐依頼を受けたい」
一瞬の沈黙。
直後、受付嬢は爆笑した。
「ぷっ、ぷぷぷ、ま、魔王を倒すって、ゴミのあんたが? あっははははは! 頭でもおかしくなったんじゃないの!」
ギルドにたむろしていた冒険者たちも爆笑した。
「ぎゃはははは! レベル1の底辺が魔王を倒すってよ!」
「ひゃひゃひゃひゃ、マジかよ! ネズミを漁りすぎて、頭がイカれちまったんじゃねえか!?」
「や、やべえ、笑いすぎて腹がいてえ。G級のクズが魔王倒すって、ぶっ、ぶっははははははは!」
笑っている冒険者の中には、ユリウスもいた。
「あはははは、ジュニッツ君。君ねえ、死ぬよ? 魔王なんてこの町ナンバー1の僕でさえ倒せないんだ。僕より遙か下の君なんかが倒せるわけないだろう? クズはクズらしく分相応にネズミと戦っていたまえ」
ユリウスはそう言って、やれやれとため息をついた。
そんな彼の言葉に冒険者たちはますます笑った。
俺は構わなかった。
受付嬢は笑いながらも、魔王討伐依頼受諾の事務手続きを済ませたからだ。
嘲笑の声を背中に受けながら、俺は冒険者ギルドを後にした。
背後では、俺が死ぬか、それとも泣いて逃げて帰ってくるかで、賭けが行われていた。
誰一人として、俺が魔王を倒すなどと思っていなかった。
が、2日後、俺は本当に魔王を倒すことになる。