10話 冒険者ギルド、罰を受ける 後編
三人称視点です。
『ランドへ。
あなたは、今回大きな功績を挙げたジュニッツに対し、これまで不当にひどい行為を行ってきました。
その罰を下します』
目の前に現れた謎のメッセージに、ランドは思わず「え?」と声を上げる。
見ると、周りの人間も皆、「え?」だの「は?」だの「ほわ?」だのと驚きの顔をしている。意味がわかっていないようだ。
ランドも意味がわからない。
その時である。
何やら顔に妙な感触を感じた。
顔全体が毛深くなった気がする。鼻が細く伸びたような気もする。しゃべろうとすると、妙にチュウチュウした声になる。
ランドはわけがわからず、助けを求めるように周りを見た。
そして仰天した。
みな、ネズミの顔になっているのである。
ネズミっぽい顔、というたとえ話ではない。首から上が、まさに正真正銘の人間サイズのドブネズミそのものになっていたのである。
「ひいっ!」
あっちを見てもネズミ。こっちを見てもネズミ。
ことごとく、顔がネズミである。
一体なんなんだと、わけもわからず、きょろきょろする。
その時、不意にギルドに設置されている鏡が目に入った。
ネズミの顔が映っていた。
ランドがまばたきをすると、鏡の中のネズミもまばたきをする。ランドが口を開けると、鏡の中のネズミも口を開ける。
ぞわっ、と体が震える。
(ま、まさか……)
そのまさかである。
ランドもネズミになってしまったのである。
「ひっ、ひいいいいいいいいいい!」
ランドは絶叫した。
「お、『愚か者への罰』だ……」
誰かが唖然とした口調で、そう口にした。
この世界では、神の知らせで名が呼ばれるほど大きな功績を挙げた人間に対し、過去に不当にひどいことをしてきた者には罰が下される。
首から上を、人間大のネズミの姿にされるのだ。
死ぬわけではない。人格が失われるわけでもない。だが、見た目は完全にリアルなネズミになる。
この罰は『愚か者への罰』と呼ばれている。
何しろ、罰を受けるということは、将来偉大な功績を挙げる者に対して、不当にひどいことをしてきたことを意味するのだ。
「見る目がない愚か者だから、そんな目に合うのだ」と世間からは見なされる。
「あ、あ、あう……そ、そんな……」
ランドは震えていた。
彼は、3日前、ジュニッツをボコボコにした新人冒険者の1人だった。
もっともその時は、自分がひどいことをしたという実感はまるでなかった。何しろ相手はレベル1のゴミなのだ。何をしてもいいと思っていた。
が、今、こうして『神』からの罰により、ネズミの顔にされてしまっている。
ぞわり、と背筋が凍る。
全身ががくがく震える。
「や、やだよ、オレ、こんな顔、やだ、やだ、嘘だろ、なんでだよ、どうして……」
ランドは顔面蒼白になりながら、ぶるぶると震える。
ジュニッツをリンチした他の新人たちも、同じようにネズミにされたことで悲鳴を上げる。
「い、いやあ! いやよ、なにこれ……なにこれえ! や、やあ、いやあああ!」
「あっ、あうっ……ネ、ネズミだなんて、なんだよ、うそだろ……うそだ……あ、あ、ああっ……」
「そんなバカな……うあっ……そんな……そんな……」
そして床ではユリウスが、ネズミになった顔を真っ青にして震えていた。
「ひ、ひいい! うそ、うそだ! うそだあああ! 美しい僕がこんな! こんなネズミだなんて! や、やだよ、ママ! ママァ! 助けてよぉ! ネズミなんて、いやだよぉ!」
ユリウスは床に這いつくばり、ネズミの頭を両手で抱え、情けない悲鳴を上げる。
が、誰もそれに反応しない。
なにしろ全員がネズミになっているのだ。
冒険者たちも、受付嬢のようなギルド職員たちも、冒険者ギルドの建物にいる人間は、みなことごとくネズミになっていた。
「ぎゃあああああ! ネズミ! おれが! おれがネズミ! ひいいいい!」
「うわああああ! そんな! そんなあああああ!」
みな、そろって絶叫する。
この世界では、ネズミという生き物は嘲笑の対象だった。
G級冒険者のジュニッツは、薬の材料になる青ネズミを狩る仕事を頻繁にやっていた。そして、ことあるごとに人々から「ネズミ野郎」と蔑まれてきた。
ネズミ狩りは決して楽な仕事ではない。汚くて臭い路地裏を這い回ってネズミを狩るのだ。
安全な仕事でもない。アマミが言っていたように、青ネズミは毒を持っている。
にもかかわらず、こうもジュニッツが嘲笑されているのは、人々の脳裏に幼い頃から『ネズミ=バカにするもの』というイメージが刷り込まれているからだ。
何しろ勇者の物語では、必ず勇者の邪魔をする大臣だの偽勇者だのが現れる。そして物語の終盤、勇者が魔王を倒した後、それらの邪魔者は『愚か者への罰』でネズミの姿にされるが定番のオチなのだ。
自然、ネズミに対する蔑視も生まれる。
そんな見下すべき相手であるネズミと、ジュニッツは必死になって戦っているのだ。
ネズミと同レベルのバカ、という意味を込めて、「ネズミ野郎」と人々は蔑んできた。
そのネズミの姿に、ギルドの人々はなってしまっていた。
「いやあ! なんで!? なんでよおおおお!?」
2日前、冒険者ギルドに来たジュニッツを嘲笑した受付嬢が悲鳴を上げる。
「なんで!? なんで!?」と彼女は叫ぶ。
理由は明白である。
『冒険者ギルドの面々は、ジュニッツのことなど相手にしない。相手にするとしたら、うさ晴らしでいじめる時だけである』という意味のことを先ほど書いた。
そう、この町の冒険者ギルドのメンバー(冒険者とギルド職員たち)は、みな、ジュニッツに対して何度もうさ晴らしのいじめをしてきたのだ。
彼らは、ジュニッツのような低レベル者を虫けらのように嫌っていた。
低レベルのクズの分際で冒険者を名乗っているのがムカついた。冒険者ギルドの創設者が制定したルールにより、誰だろうと分け隔てなくギルドに受け入れると決まっているのだが、だからといって低レベルのゴミカスが栄光ある冒険者を称しているのは許せなかった。
「低レベルで冒険者以外に仕事がないのなら、自殺すればいいのだ。なぜ低レベルの分際で生きるのだ? 生きているだけで恥なのだから、死ねばいいのだ。冒険者ギルドに迷惑をかけてまで、どうして生きるのだ?」
彼らは本気でそう思っていた。
『レベルの低いやつはゴミ』なのだ。
そしてジュニッツをいじめた。
ボコボコにしたり、遊び半分でなけなしの金を奪ったり、スキルの実験台にしたりしてきたのだ。
殺しはしなかった。
この世界では、正当防衛のような理由も無しに、人を殺したり、後遺症が残るケガを負わせたりすると、レベルボードにドクロマークがつく。
マークの意味はわかっていないが、不気味だし、ドクロがつくと死後に地獄に落ちるという説もある。
遊び半分のいじめで、わざわざドクロをつけたいとは思わない。
だから、殺しはしない。
その代わり痛めつける。散々痛めつけてから、死なないように回復させる。
どれだけ悲鳴を上げようと、苦しもうと、気にしない。
逆にゲラゲラ笑う。
そうして、また痛めつける。
もっとも、あまりやりすぎると、精神を病んで死んでしまうかもしれない。過去にそれでドクロマークがついてしまった事例がある。
だが幸いなことに、ギルド職員の1人が忘却の魔法という珍しいスキルを使えた。直近の記憶を消す魔法である。
だから、痛めつけた直後に忘却の魔法をかけ、記憶を消す。
レベル1のジュニッツは魔法抵抗力も弱く、おもしろいくらいに魔法にかかった。
後は回復魔法をかければ終わりである。
翌日、ボコボコにされたことなどすっかり忘れて冒険者ギルドに顔を出すジュニッツを見て吹き出しそうになるのも、いつものことである。
そんないじめを、大なり小なり、みんなやってきた。
主体的にいじめる者。
なんとなく周りがやっているから流されていじめる者。
自分だけ仲間はずれは怖いからいじめる者。
理由は様々である。
中には、冒険者とギルド職員たちの交流を深める親睦会のような気分でいじめる者もいた。
ユリウスが3日前、新人たちを連れてジュニッツをボコボコにしたのも、(どうせ新人君たちは、いずれジュニッツ君をボコボコにする親睦会に参加するのだし、今のうちにレクチャーしておこう)と思ったのが理由の1つである。
もっとも、忘却魔法を使うギルド職員を連れて行くのを忘れてしまい、「まあ、1回くらいいいか」と放置してしまったのだが。
そんなギルドメンバーたちだが、今や、そろいもそろってネズミになってしまっている。
ネズミ野郎とジュニッツを散々バカにしてきたのに、自らネズミになってしまったのだ。
「う、うそだろ、こんな、おい……」
みな、恐怖と絶望で震え上がった。
これから先の人生を想像してしまったのだ。
ネズミの顔である。
みじめな顔である。
これから先、一生笑い者にされるのだ。
愚か者として蔑まれ、ネズミとして笑いものにされ、会う人会う人からバカにされ、見下される人生が待っているのだ。
苦痛と屈辱に満ちたそんな人生が、ずっとずっと死ぬまで続いていくのだ。死ぬまでずっと……。
「ひ、ひい、いや、いやよ、そんな人生いや……」
ジュニッツを笑いものにし、過去に何度もリンチしてきた受付嬢が悲鳴を上げる。
「うわあああああ! やだ! やだあああ! こんな顔なんてやだああああああ!」
痛みを与える『ショック』というスキルで、過去に何度もジュニッツを苦しませて楽しんでいた冒険者の男が、絶叫する。
建物内にいる全ての冒険者とギルド職員が、一生ネズミ顔で生きていかなければいけないことに、絶望の叫び声を上げる。
正確には、一生とは限らない。
『愚か者への罰』は、時間が過ぎれば解ける。
時間の長さは、どれだけひどいことをしてきたかに比例する。
要するにジュニッツに対して、ひどいいじめをしてきた者ほど、ネズミの顔でいる期間が長いということだ。
もっとも、冒険者ギルドの面々は、そろいもそろって、相当ひどくジュニッツをいじめてきた。
新人を除けば、下手すると全員一生ネズミの顔のままだろう。
「やだよぉ、ママァ! 助けてよぉ! 僕、こんなのやだよお!」
この世の終わりのようなユリウスの金切り声が、栄光ある冒険者ギルド内に響き渡るのだった。
◇
この日、似たような光景があちこちで見られた。
冒険者ギルドの外では、町の半数以上に当たる人々がネズミ顔になり、絶叫の雄叫びを上げた。
彼らは、ギルドの者たちほどひどくはないものの、ジュニッツに対して大なり小なり嫌がらせをしてきた。
難癖をつけて土下座させたり、わざとカビの生えたパンを売ったり、食堂で床に座らせたりしていた。あるいはそこまで露骨でなくても、ネズミ野郎と嘲笑する程度のことは、多くの人がやってきた。
その罰を受けていたのだ。
「な、なんだこりゃあああああ!」
「あ、あたくしの顔が……顔が……」
ギルドメンバーと比べれば期間は短いだろう。特に一度嘲笑した程度の者であれば、すぐに解ける。
が、それでもネズミ顔はネズミ顔である。
みな、発狂したような声を上げた。
一方、ジュニッツの故郷の村でも、村人一同、みなネズミ顔になり、「ぎゃあああ!」と悲鳴を上げていた。
彼らは村ぐるみでジュニッツに嫌がらせをしていた。
汚物処理や動物の死骸処理のような、必要だけれども誰もやりたがらない仕事(本来ならローテーションでやる仕事)をジュニッツ1人に押しつけて「臭え、臭え」とバカにしたり、生ゴミの山に顔面を押しつけたり、ブタ小屋に住まわせたり、髪を無理矢理刈ったり、と集団でいじめた。
その上で、追放したのだ。
そんな彼らは、今やそろってネズミになっていた。
ジュニッツの父も母も、兄も姉も、親戚も、隣近所も、村長一家も、そろってネズミ顔になっていたのだ。
「ひぎゃあああああ! な、なんだよ、これええええ!?」
「あっ……ひっ、うそ! えっ、うそでしょ、え? え?」
「わ、わしがネズミにいいいいいい!?」
村人たちは、世界の終わりのような絶望に満ちた悲鳴を響き渡らせた。
のちに、町の住民であれ、村の住民であれ、ネズミになった者の多くは、ジュニッツに対して恐怖を覚えるようになる。
レベル1にも関わらず魔王を倒したジュニッツは、彼らにとって不気味であり、訳のわからない存在だった。
「な、なんなんだよ……あいつ……なんなんだよ……」
彼らはネズミになった顔を青くさせながら、部屋の隅でガタガタと震えた。
そして、そんな訳のわからない存在に嫌がらせをしてしまったことを「どうして……どうしてあんなことを……」と、いつまでも後悔するのだった。
◇
他方、世界中のほとんどの人々は、ジュニッツとこれまで関わり合うことがなく、そのためネズミにもならずに済んだのだが、代わりに唖然としていた。
王様も、聖職者も、宮廷魔術師も、勇者を目指す若者も、普通の農民も商人も職人も、あらゆる国のあらゆる人々が呆然としていた。
彼らは、レベル1のジュニッツが魔王を倒したという神の知らせに、これ以上無いくらい口をあんぐりと開けていたのだ。
レベルが高い人間こそ偉い。低いやつはゴミ。
それこそが、この世界の常識であり、人々が寄って立つ足場だった。
だというのに、この神の知らせはなんなんだ!
呆然とした後は、絶叫が巻き起こった。
「うそおおおおお!?」
「え、なんで、なんでレベル1が魔王を!? え? なんで? なんでええええ!?」
「は? なにこれ? ジュニッツって誰? 何が起きたのよ? ねえ、なんなのよ、これ?」
中には、ごく一部ながら、「これはなにかある」と思った者もいた。
この世界の人間は基本的に、戦闘力こそが全てと考えている。レベルを上げて戦闘力を上げてこそ魔王を倒せるという考えの持ち主がほとんどである。それゆえ、レベル1で魔王を倒すという考えは受け入れがたいのだが、それを受け入れて、「レベル1でも魔王を倒す方法が何かあるに違いない」と思った者も、わずかながらいた。
もっとも、その中で『月替わりスキル』に秘密があると考えた者はさらに少なかった。何しろ月替わりスキルはゴミスキルの代名詞で、これが使えると考える者は、ほぼ皆無だったのだ。
仮に秘密があると考えたとしても、月替わりスキルは毎月1000個も能力が出てくる。この1000個の中から『一見役に立たないけれども、実は使える能力』を探さなければならないのだ。
そんなことができた人間は、世界中に誰1人としていなかった。
結果として、世界の誰もジュニッツの秘密に気づくことなく、ただただ信じられない事実に人々は驚愕の悲鳴を上げるのだった。
◇
「なんだか騒がしいですねえ」
グーベンの町を見ながらアマミが言った。
「俺たちを殺す準備をしているのかもな」
左右白黒スーツのズボンのポケットに両手を突っ込みながら、ジュニッツが答える。
2人は今、グーベンの町の近くまで来ていた。
町の中に入れそうなら入ろうかと思ったのだが、どうも騒然としている。
実際のところは、町の多くの人々がネズミになった事で絶叫を上げているのだが、ジュニッツもアマミも『愚か者への罰』の存在を完全に忘れていた。
それゆえ、町の人達が自分たちを殺すために気勢をあげているのではないか、と思ったのだ。
「あれじゃ近づかねえほうがいいな」
「あ、じゃあ、森に行きません?」
グーベンの町をぐるりと回って西に行くと森がある。アマミはそこに行こうと言う。
「森だぁ?」
「ええ。普通は森といったら、危険な場所ですが、そこは賢者のわたしにお任せください。危険な森もあら不思議。快適な環境に変えてみせますよ」
「ほう。じゃあ、見せてもらおうじゃねえか」
「ふふふ、任せてください」
アマミはジュニッツが頼ってくれるのが嬉しくて仕方ないといった様子で胸を張る。
2人はグーベンの町を通り過ぎていった。
さて、実は『愚か者への罰』を解く方法は、時間の経過を待つほかに、もう1つある。
それは、ひどいことをした相手に謝罪することである。
形式的な謝罪ではない。
本心から謝罪し、それを相手がきちんと許した場合にのみ機能する。
つまり、ジュニッツがグーベンに帰還して、町の人々が謝罪すれば『愚か者への罰』は解けたのだ。
が、ジュニッツもアマミも、そんな罰が存在することなど考えてもいなかった。
2人はただ、なんとなく町が物騒な感じなので、そのまま避けてしまった。
こうして、冒険者ギルドのメンバーが、そしてグーベンの人々がジュニッツに謝罪する機会は失われた。
「さて、ジュニッツさん。これからどうしますか?」
「どこか別のところに行きてえな。ここじゃないどこかだ」
「それから?」
「決まってる。俺は探偵だ。また推理を駆使して、魔王を倒してやるさ」
1章「レベル1の男が魔王を倒す話」は、これで終わりです。
次話から2章「虐げられている妖精を率いて、外道王国と邪竜を倒す話」が始まります。
面白いと思っていただけましたら、
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