1話 探偵、前世を思い出す
俺が魔王を倒し、世界中に名を響かせる3日前のことである。
町の汚い路地裏で、俺はネズミを狩っていた。
青ネズミという薬の材料になるネズミを狩る仕事である。
這いつくばり、臭いゴミにまみれてネズミを追いかける。
時折、通行人が俺を指さして笑う。
ネズミ野郎とか、ぶざまなやつとか言って、あざ笑う。
(くそっ、今に見てろ! いつか何かでかいことをやってやる!)
そう自分に言い聞かせ、みじめな気持ちを押し殺し、仕事を続ける。
ほどなくして、仕事に一区切りがついた。
俺は、ふぅ、と一息つく。
その時である。
誰かにポンと肩を叩かれた。
なんだ、と振り返る。
その瞬間、腹に激しい衝撃を受けた。
「ごはっ!」
腹を殴られたのだ。
「がっ……はっ……」
俺は腹を押さえて地面に倒れた。
苦しい。
体が動かない。
声が出ない。
それでも(何しやがる!)という怒りの気持ちを込めて見上げると、取り巻きを引き連れた金髪の男がニヤニヤと見下ろしていた。
「やあ、ジュニッツ君。ネズミ相手に必死だねえ」
「くっ……ぐっ……!」
動けない俺は倒れた格好のまま、目の前の男をにらみつけた。
声が出れば「ユリウス! てめえ、何しやがる!」と叫んでいただろう。
俺を殴った男の名はユリウス。
さらさらの金髪に、整った顔を持つ長身の男だ。
俺と同じ25歳で、俺と同時期に冒険者になった。
冒険者とは、魔物退治やダンジョン探索をする仕事である。それを偶然にも同じ日に始めた。
俺とユリウスは冒険者の同期なのだ。
ただし、地位は雲泥の差がある。
「あはは。G級冒険者ごときのジュニッツ君が怖い顔してにらんだって、怖くも何ともないよ」
B級冒険者のユリウスは、あざ笑いながら言った。
「え、この人、G級冒険者なんですか?」
「G級って新人の俺らより下じゃないですか」
ユリウスの取り巻きたちが、倒れている俺を指差し、驚きの声を上げる。
よく見ると、取り巻きたちはまだ少年・少女といった顔立ちである。どの顔も初めて見るので、冒険者になったばかりの新人なのだろう。
彼らは一様に、俺がG級であることに驚く。
G級。
それは、冒険者の等級の1つである。
冒険者は実力に応じて、S級、A級、B級、C級、D級、E級、F級、G級という順に等級付けされている。
S級は最上位で英雄クラス。
F級は新人。
そして、G級は新人以下の最底辺である。最も弱く、最も役に立たないと見なされている。
俺は残念ながらG級だった。
「あはは、新人君。ジュニッツ君がG級と聞いて驚いたかい?」
ユリウスが新人の1人にたずねる。
「は、はい。新人の僕たちでもF級なのに、どう見ても年上のこの人が僕たちより下というのが、正直わけがわからなくて……」
「うん、その疑問は当然だ。でも、それにはちゃんと理由がある。実はね、ジュニッツ君のレベルは1しかないんだよ」
ユリウスがそう言うと、新人たちは倒れている俺を指差して驚いた。
「うそ……この人、レベル1?」
「あたしでもレベル35はあるのに……」
「うわ、冒険者の恥だろ……」
新人たちの俺を見る目は、ゴミを見るものになっていた。
「ぐっ……」
嫌な事実を指摘された俺は、うめく。
『レベルの高い人間が偉い。低いやつはゴミ』
それが、この世界の価値観だ。
レベルとは戦闘力である。
高いほど強い。
生まれた時は、みんなレベル1である。
魔物と戦ったり、訓練をしたりすれば、レベルは上がる。
上がると、『身体強化』や『炎魔法』といったスキルを覚えることができ、強くなる。
大人の平均レベルが30。だいたいみんな、それくらいまでは上がるのだ。
だが俺は、いくらがんばってもレベル1のままだった。
レベルが1ケタの人間は、冒険者になってもG級にしかなれない。
見習い以下のゴミ。ネズミ狩りのような、世間から見下される仕事を低賃金でやらされる。
それがレベル1の扱いである。
「それにしても、ユリウスさん。この人、努力しなかったんですか? レベルなんて、がんばればある程度は上がるじゃないですか。なまけてたんじゃないですか?」
新人冒険者がユリウスにたずねる。
「ジュニッツ君は、努力してると言い張ってるよ。もっとも、結果が出ないことには信用できないけどねえ」
ユリウスは、やれやれ、といった態度で答えた。
(努力はしている!)
声が出たなら、俺はそう叫んでいただろう。
小さい頃から、故郷の村の同年代の子供たちと一緒になって、剣や弓の訓練してきた。
周りのレベルがぐんぐん上がっていく中、俺だけレベル1だと気づいてからは、人の何倍も努力するようになった。
だが俺のレベルは1のままで、親兄弟からも「努力してないんじゃないか?」と白眼視され、とうとうある時、「出てけ、クズ!」と村から追い出されてしまった。
町に出てからも、レベル1の俺にできる仕事はほとんどない。『レベルが低いやつはゴミ』なのだ。どの仕事も門前払いである。
冒険者ギルドは『誰でも受け入れる』という建前があるから、嫌そうな顔をしながらも俺の加入を認めたが、扱いはG級だ。ネズミ狩りのようなバカにされる仕事を、低賃金でやらされるばかりである。
それでも、俺は努力した。
仕事の合間に訓練し、訓練し、訓練しすぎてぶっ倒れて、また訓練した。
(いつか、こんなみじめな境遇から抜け出してやる!)
そう自分に言い聞かせながら、何年も何年も苦しみに耐えて訓練を続けた。
けれども、レベルは上がらなかった。
いくら努力しても、俺のレベルは1のままだったのだ。
そんな俺を見下しながら、新人の1人がユリウスに言った。
「普通、ちょっと努力すれば、レベル20くらいまでは上がります。やっぱり、この人、努力不足のクズですよ」
「その通り。ジュニッツ君は口だけなのさ。知ってるかい? 昔、彼はこんなことを言っていたんだ。『俺はいつか魔王を倒す!』と」
ユリウスは冷笑しながら言った。
魔王とは、最強の魔物である。
英雄クラスの強さを持つS級冒険者たちが過去に何度も挑戦し、それでも勝てなかった存在である。
倒せば、勇者の称号が手に入る。
貴族クラスの地位と特権も、もらえる。
おまけに魔物は強ければ強いほど、角や心臓や体液などが、武器や薬の素材として高く売れる。最強の魔物である魔王の素材は、莫大な金になる。
そんな魔王をいつか倒すと、かつて俺はユリウスに、売り言葉に買い言葉で言ったことがあるのだ。
新人たちは爆笑した。
「うわはははは! な、なんっすか、それ。レベル1が魔王を倒すって……あははははは!」
「ぎゃははははははは! ちょ、ジュニッツ先輩、それマジうけますよ! 芸人にでもなったほうがいいんじゃないですか」
「ぷ、ぷぷっ、あははははは! レベル1のくせにバカじゃないっすか!」
一回りも年下の新人たちにゲラゲラ笑われていることに、俺はただ「ぐっ……!」と屈辱のうめき声をもらすことしかできない。
「さて、ジュニッツ君のゴミっぷりも紹介し終わったことだし、そろそろ本題に入ろうか」
ユリウスはそう言うと、なぜか俺に回復魔法をかけた。
腹の痛みがすっと消える。体が動き、立ち上がれるようになる。声も出るようになる。
だが、なぜ回復魔法をかけられたのか?
わけがわからず混乱する俺を無視して、ユリウスはこう言った。
「では、新人諸君。今からジュニッツ君を殴りたまえ」
「……は?」
驚いて聞き返す俺に、ユリウスは冷笑しながら言った。
「あのねえ、何のために僕がジュニッツ君みたいなクズのところに来たと思うんだい? 新人の教育のために決まっているじゃないか。上には上がいる。そして、下には下がいる。最初にこれをきっちり叩き込むため、君にはボコボコにされてもらわないといけないんだ」
「な、なに言ってやがる、てめえ……」
「ああ、ジュニッツ君は抵抗してもいいよ? そのために回復させてあげたんだからね。相手は新人だ。先輩の意地というものを見せてあげたまえ」
「ふ、ふざけんじゃねえ!」
底辺とバカにされようとも意地がある。
俺は怒りを込めて抗議したが、ユリウスは無視し、新人たちに俺を殴るようにうながした。
新人の1人が「わかりました」と言って、殴りかかってくる。
俺は慌てて両腕でガードしようとした。
が、ダメだった。
「ぐはっ!」
俺はガードごと吹き飛ばされ、ゴミに向かって突っ込んでしまったのだ。
「うわ、この人弱くないですか? 今の軽いジャブなんですけど」
新人が呆れたような声を出す。
「あははは。そりゃ、ジュニッツ君はレベル1だからね。さあ、みんなでボコボコにしたまえ」
ユリウスの言葉に、新人たちは倒れている俺を蹴り飛ばす。
最初は遠慮がちだったが、だんだん楽しくなってきたのか、ゲラゲラ笑い始める。
「おらあ、気持ち悪いんだよ、ネズミ野郎!」
「レベル1のくせに冒険者なんかやってんじゃねえよ!」
「あははは、くたばりなさいよ、G級の恥さらし!」
そう言って、倒れた俺を何度も何度も攻撃し、時折ユリウスが回復魔法を俺が死なない程度に唱え、またボコボコにする。
(ちくしょう……ちくしょう……)
理不尽に暴力を振るわれ、けれども反撃しても勝てないから縮こまっているしかないという屈辱。
バカにされたことへの怒り。
殺されるかもしれないという恐怖。
そんな負の感情で頭の中がグチャグチャになりながら、俺は必死で暴行に耐えていた。
やがてユリウスたちは、笑い声と共に立ち去る。
俺は1人残される。
「ぐっ……くっ……」
痛み。屈辱。みじめな気持ち。
体と心の苦痛に、俺はしばらく動けずにいた。
ふと、去年死んだG級冒険者の先輩の言葉が脳裏によみがえる。
「なあ、ジュニッツよぉ。たぶんなぁ、人間には生まれつきレベルの上限ってやつがあるんだ。
ごくまれに、オレらみてぇに成人してるのにレベルの低いやつがいる。普通はみんなレベル20くらいまでなら簡単に上がるから、オレらみてぇなのは『努力不足』だと思われている。
でも実際は、レベルの上限が低いだけなんだよ。
だからなぁ、オレらみてぇなのがいくらがんばってもムダなんだ。何しろ生まれつき上限が決まってるんだからなぁ」
そう言って先輩は、何もかもあきらめたような顔で笑った。
(くそっ! 俺はあきらめねえぞ! バカにされたままで終われるか! いつか何かでかいことをやってやるんだ!)
そうやって自分を奮い立たせ、立ち上がろうとする。
その時である。
頭痛が走った。
新人どもは俺の頭を何度も蹴り飛ばしたから、その影響かもしれない。
頭痛はますます激しくなる。
「ぐ、ぐああ!」
痛みのあまり、立っていられない。
俺は路上に突っ伏す。
あまりの激痛に、恐怖を覚える。
そして、信じられないことが起きた。
頭の中に、知らない記憶が一気に入り込んできたのだ。
――ふむ、これは殺人事件だな。
――この名探偵の俺に解けない謎はないのだよ。
――犯人はあなたです。
記憶の中で、なぜか俺は名探偵と名乗り、難事件を次々と解決していく。
演劇に出てくる古代の魔法文明時代のような世界で、謎を解き、あざやかに犯人を突き止めていく。
そんな意味不明な記憶が頭の中に一気に流れ込む。
(な、なんだよ、これ……俺……俺は……名探偵……G級冒険者……謎……魔王……)
しだいに思考が混濁し、支離滅裂になっていく。
(G級冒険者……みじめな俺……だが、魔王さえ倒せば……この悲惨な境遇から抜け出せる……名探偵の俺に解けない謎はない……だから……「どうやったら魔王を倒せるのか?」という謎だって……解き明かせる……)
意味不明なわけのわからない思考。
だからだろうか。
気がつくと、俺はこんなことを口にしていた。
「……あれ? 俺……もしかして魔王を倒せるんじゃねえか?」
このつぶやきが3日後の魔王討伐、そして俺自身のサクセスストーリーにつながるとは、この時の俺は夢にも思っていなかった。
レベル1の男が魔王を倒し、世界中が驚愕するまであと3日。