019
あれは映画か、それとも何かで読んだのか。
ロールスロイスはゲストのために設計された車だ。
そこまでしか思い出す余裕がない。
蛇が大きく口を開き牙を剥いて「飛んで」くる。
彼女が本能的に守ろうと出した腕に噛み付くその前に
ギリギリ蛇の胴体を掴み、開いた前席の窓目掛け放り投げた。
一瞬、チクリと感じたのはその際に蛇の牙が掠ったからだろう。
咄嗟に彼女の身体を抱き抱え仕切り(運転座席の背中部分)に自分の背中を押し付けた。
直後にドシャッと大きな衝撃音。
体感ほど速度は出ていなかったようだ。衝撃音のわりに被害は少ない。
フロントを少々潰し、前席のエアバッグが開く。
後部座席の僕は背中の衝撃に呼吸が止まった程度。
どうやら彼女は無傷だ。
エンジン音はしない。車内にはまだ蛇がいるかも。
彼女を抱き抱えたままドアを開け外へと転がった。
田舎道だ。何処へ向かっていたのだろう。民家がない。
車から少し離れようと一歩踏み出すが突然の頭痛に足がもつれた。
「本当にお姫様が来るなんて。」
この時は何語なのか判らない。後日この日の事を教えてもらった。
仮面を付けたその女性は動かなくなった車の上にいる。
「その子は人の子?今夜のディナーにしては冴えないね。」
サーラ・プナイリンナはスッと立ち上がる。
エリクの言っていたのはこれか。彼女を守らないと。
フラフラと彼女を庇おうと間に入るが、彼女は僕を押しのける。
「アナタこそどうしてここにいるの。」
「お姫様がここを通るって聞いたのよ。」
「違うわ。どうしてこの国のこんな田舎に来ているのか聞いているのよ。」
「何を言っているの?アナタの」
2人の間に影が舞い降りる。
エーリッキ・プナイリンナ
激しい敵意。神社で橘結を襲った相手に向けられたそれよりも強い。
敵意を超えた殺意。
「妹に手を出すな。アナタでも容赦はしない。」
僕はそこまでしか覚えていない。
突然の眠気に贖えず、意識を失うように勝手に目が閉じた。
目が覚めると知らない部屋にいた。
カーテンの隙間から早朝の光。
起こした身体は重かった。
洋風でクラシックな客室。使われていなかったのだろうと誇りの匂いが教えてくれた。
大きなベッド。鞄の置いてあるテーブル。壁にかかる制服の上着。
鞄の中から携帯を取り出し時間を見ると5時ちょっと前。
朝の、だよな。
着信履歴もメールも無い。
お腹が空いた。どうやらそれで目が覚めたのか。
昨夜ファミレスでドリンクバーだけで食事は帰ってからと
あれ?どうしたんだっけ。
頭が重い。何処だここ。学校行くのに朝ごはん。
でもその前にシャワーだけでも浴びたい。
静かにドアが開く。
「オハヨウ。」
爽やかな笑顔で挨拶するのはエーリッキ・プナイリンナ。
「心配しなくていい。ここは妹の住処だ。」
彼は昨夜の内に僕の携帯で番号を確認し祖母に連絡していてくれた。
夕食に誘い遅くなってしまったので泊まらせる。と。。
僕は蛇の毒で眠ったのだと教えてくれた。
昨夜妹を襲った一族が飼育する蛇。
改良されたその蛇は特殊な毒で相手を一時的に眠らせてしまう。
僕は掠った程度で毒の量もさほどではなく一晩で起きたが
運転手はどうやら2、3日眠り続けるらしい。(怪我はないそうだ)
なんのためにそんな毒を使うのかと尋ねると彼は
「聞かないほうがいいよ。」
と笑って答えた。
誰かが走って階段を登る足音。
サーラ・プナイリンナは兄の前に立ち塞がり
「そいつから離れてっ。」
「こいつ、普通の人の子じゃないわ。」
「どうしてあのヘビが見えたの。どうして捕まえられたの。」
「やっぱり今すぐ」
パチン
エリクが妹の頬を叩く。
「恩人に向かって失礼だ。」
サーラ・プナイリンナは何が起きたのか判らないようだったが
すぐに顔をくしゃくしゃにして泣き出す。
「だってエリクがー。」
彼女が彼に抱きついて何やら喚いているが
言語が異なっていても甘えた妹と宥める兄の図で間違いないだろう。
「ボクが誰とトモダチになろうとキミへの愛は変わらないよ。」
的な?本当に兄妹か?
今度はラブコメを見せられている。観客体質なのだろうか。
涙を拭いながら彼女は僕に向かい精一杯強がりを浮かべ
「アナタ、名前は?」
真壁絆。
敵意ではない。強がりはただの虚勢だ。
「マカベキズナ。いいわ。私もアナタのトモダチになってあげる。」
差し出された彼女の手をとり
ありがとうと答えた。
やれやれと思っているとエリクは彼女の頭を撫でながら耳打ちする。
彼女の透き通るような白い顔はみるみる真っ赤に染まり
何やら恥ずかしそうに俯き
「あ、ありがとう。」
と言ったと思ったらバッと顔を上げ
「今のは昨夜のお礼よっ。トモダチになったからって言ったわけじゃないからっ。」
そう言って走って逃げた。