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プレパラート  作者: 魚彦
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A面

 最初はクラスメートのことなんて、誰一人、何とも思っていなかった。私は元々他人に興味がない性格で、しかも今は受験勉強真っ最中の高校三年生。卒業と同時に散り散りになってしまうクラスメートのことなんかいちいち気にしてなんかいられない。一事が万事そんな調子だから、友達は一人もいなかったけど、好きなことがあるから大丈夫。

その、好きなことっていうのは顕微鏡を覗くこと。放課後、知らない場所を歩き回って、見つけた物を持ち帰り、顕微鏡で覗くのが日課だった。掌にすっかり収まるプレパラートに広がる、未知の世界。それを観察し、ノートにスケッチするのが好きだった。明るい部屋の窓辺に、顕微鏡を置いて薄いレースカーテンを引き、レンズを取り付け、鏡をゆっくり動かして光源を調節する。プレパラートを挟むと、ぎりぎりまで対物レンズを下ろし、接眼レンズを覗きこみ、ゆっくり、ゆっくりと調節ねじを回す。ぼやけていた視界が、徐々に膨らみ、締まり、ある一点でくっきりと像を結ぶ。

緻密。繊細。美しく、そして時に、背筋が粟立つ程グロテスク。

それを、HB鉛筆を尖らせてスケッチするのが好きだった。人間は、大きすぎるし、観察しようとすると変な目で避けられてしまう。

 クラスメートのことは、辛うじて顔と名前が一致するぐらい。何の部活に入ってて、進路はどこ、誰と誰が仲良くて、付き合ってて・・・そういうことは、全然分からない。分かるのは、野球部の男の子。頭が坊主で声がでかい。よく早弁している。美術部の女の子。いつも目立たないのに、文化祭の時だけ引っ張りだこ。少し話しやすい。グループを作らないといけない時、入れてくれるいい人。軽音部の男の子。授業中でも休み時間でも、指が机を叩いていたり、頭が揺れていたりする。

私は、進路だけは決まっている。面白い論文を出す教授がいるところ。偏差値は結構高いけど、、地方だから、この高校からは、誰もその大学を目指さないだろう。部活は生物部と地学部をうろちょろしているだけ。


ある日、受験勉強の息抜きにと、自転車で出かけることにした。歩いていける範囲は、大体歩き尽くしてしまったのだ。

夏の終わり、まだ日差しが暑くって、私は風を求めて川辺を目指し、自転車を走らせた。橋を渡って川原の遊歩道に下りる。草いきれ。真水の匂い。煮詰まっていた脳が冴えていくのを感じる。やっぱりゆっくり歩く方が好きだなと思って、自転車から降り、押して歩く。

風上から、ベーンベーンと、不思議な音が聞こえてきた。いつもの癖で下を見ながら歩いていたけど、思わず顔を上げる。一つ向こうの橋の下、誰かがあぐらをかいてギターを弾いている。近づいていくと、少しずつはっきり見えてくる。男の子。何か本を見ながら弾いている。同い年ぐらい。そしてようやく気づく。あれ、クラスの大原君だ。そういえば、軽音部だっけ。

どうしよう、と思ったのも一瞬。どうでもいいや、と前を通り過ぎようとする。

「あれ、城山じゃん。」

声をかけられた。

「ガッコの外で会うの珍しくね?何、どっか行くの?」

そんなに一気にものを言わないでほしい。何から答えていいか、分からなくなるから。

「あ、俺ね。ギターの練習。見れば分かるか。」

知らないってば。

ふと気づく。喋らせておけばいいや。

「ここ、ガッコの奴らと会わないから練習に良かったんだけどなー見つかっちまった!もうダメだー!あ、でも城山見るの初めてだもんな。あんまここ来ない?」

「・・・もう来ないと思う。」

「そっかそっかー。ここさ、ギターとか歌とかの練習してると、通りがかりのじーさんとか犬とかと仲良くなれて面白れぇの。」

「恥ずかしくない?」

すごく失礼な言い方になってしまった。だけど、私には、無理だ。人前で歌うとか、演奏するとか、何かを表現するということが。

「何かね、ガッコの奴に聞かれると恥ずかしいけど、知らない人なら平気なんだよね。」

「でも、文化祭とかでステージに立って演奏してるじゃない。」

「恥ずかしいよー。すげー恥ずかしい。死んじまいたいぐらい。でもなー楽しいんだよなー。やらずにはいられねぇって感じ?城山、あんまそういうの好きじゃなさそうだもんなぁ。ストイックな感じするし。」

「・・・やるのも、見るのも苦手だな。」

「え、見るのも?何で?」

「・・・その人の、一番大事なところ、見てしまっていいのかなって。」

人の心は、光に透かしたり、拡大したりしたところで、見えるものじゃない。それは、見てはいけない、大事なものだからじゃないだろうか。その人の胸の中に、大事にしまっておくべきものではないだろうか。それを、見せつけられるのは、とても怖い。私の中にしまってあるものが、すごくつまらないもののような気がして。

「・・・もしかして城山、すっげえ良い人?」

「え?」

どうしてそうなるのか。私はただ、臆病なだけだ。

「だって、大抵の奴って、色々聞いてくるもんな。あの歌、誰のこと言ってんだろ、とか。ラブソングとかオリジナル歌った時とか特にうるせぇよ。いや、さっき俺歌っただろ、全部さらけ出しただろ、そのまま受け止めろよ、って思うんだけどさ。そっか、ちゃんと分かってくれる人もいるんだな・・・そうだよ、俺の一番大事なところ、見せてるよ。恥ずかしいよ。でも、見てほしいし、見せたいんだ。そんで、できればありのままで受け止めてほしいんだ。」

大原君は、ギターの弦をちょいちょいっといじった。びいん、べいん、と音がする。

「なぁ、城山。文化祭のライブさ、見に来てよ。城山が聞いて、どう思うのか、俺、知りたい。」

「・・・行かない。」

「無理?やっぱ苦手?」

「・・・ごめんなさい。」

「考えといてくれね?」

「・・・私、行くね。」

逃げるようにして自転車にまたがる。後ろから、追いかけるようにしてギターの音が聞こえてくる。

 聞きたい?よく分からない。前までなら絶対、興味なかったけど。


結局私は文化祭の日、大原君のライブを聞きに行くことはなかった。部活の出し物にちょっと手を貸して、おしまい。ライブがどうだった、という声を聴くのも怖くて、隠れるように生物室の端っこで図鑑を眺めていた。

それっきり、大原君と喋る機会も、ギターを聞く機会もなかった。目が合ったりすると、大原君は少しおどけた表情をしてみせたり、手を挙げたりしていたけど、私はどう返していいものか分からず、戸惑い、何もしないままだった。大原君は特に気を悪くする様子もなく、友達との会話に戻っていった。

そして、高校の先のことしか考えていなかった私にとって、待ちに待った卒業式。受験は

落ち着いて取り組めたし、今までの模試の成績も良かったから特に心配していない。ぼんやりと校長先生や来賓の話を聞き流しているうちに式は終わり、教室に戻った私の手元には卒業証書とアルバムだけが残った。女の子たちは身を寄せ合って泣き、男の子たちはへらへら笑っては肩を突っつきあっている。さっさと帰ろう。美術部の子と、生物部、地学部の先生には挨拶しておこうかな。そう思って卒業アルバムに手を伸ばした時だった。

私より先に、私の卒業アルバムに伸びた手があった。箱から取り出すと、最後のページを開き、何か書き込む。

「おすすめの曲。城山が好きそうなの。」

みあげると、大原君が変にまじめな顔でアルバムを突き返してきた。

「皆に書いてるから、一応。じゃぁ、元気でな。」

「あ、ありが、とう。」


帰ってからアルバムを開くと、一番最後の真っ白なページの右下に、「ひとつだけ」と書いてあった。

「お母さん、CDどこにある?」

「CDって、どの?」

「ひとつだけ」

「は?・・・あぁ、あの歌ね。ちょっと待って。」

やがて、甘く優しい声が聞こえてくる。私はその歌を知っていた。親が聞いていたから知っている、数少ない、私の好きな曲。大原君、何でこれを選んだんだろう?私の一番大事なところを、いつの間に覗いたのだろう。初めて知った、他人に知られるという気持ちは、とても、くすぐったい。

私はこれから、知らない人ばかりの場所に、知りたい気持ちを沢山抱えて、一人乗り込む。その前に。

もう少し、君を知りたかった。

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