え、主人公、ってどっちだろう?
どうも。今回も、「エッセイ」という名をかたったその実ただのつぶやきです。
なろうの公式キーワードに、「女主人公」「男主人公」ってあるじゃないですか。投稿時にあれをみると、「この作品の主人公ってどっちなんだ?」というのを思うことがあって……、たまにだけどね。
というのも、いくつかの私の作品の構造として、「語り、あるいは視点の中心人物」と「語られる側の中心人物」というのがあるのです。この場合、自分でもどちらが主人公っていうのが決めづらくて……つまり、語る側の相手を通してゆれ動く感情が主なのか、語り手をゆらす相手の人物の魅力そのものが主なのか、という問題。
こういう構造のお話でも、そのどちらを中心に描いているかがわかりやすい話であればいいのですけど。
たとえば、『女が眠る時』という映画、あれは健二という人物の視点で描かれていますけど、主人公という観点でみると、健二を通して描かれる佐原という謎の人物が明らかに話の中心・主題となっているのです。観客は健二の視点に入り込んで、佐原という人物にひきこまれていく……たとえるなら、バスガイドと観光地、みたいな? いや、このたとえはわかりづらいか……。まあとにかく、だからこのお話の主人公は佐原であって、現に佐原を演じる役者さんが「主演」という表記になっています。
数年前に見た『海をゆく者』というお芝居も、似たような構造だったなあ……と思います。他の人物に比べて直接の出番が少ないのに、それでも主人公を張れる人物ってすごいなあ……なんて感動した覚えがあります。
まあでも、やっぱり主人公というのが一人に定められないお話もあるわけで……、ダブル主演、なんてことばもありますし。群像劇という感じではなくても、たとえば兄弟の話とか。
伊坂幸太郎氏は群像劇も書くけれど、『重力ピエロ』とか『アヒルと鴨のコインロッカー』とかは、『ラッシュライフ』みたいな群像劇とはちょっと違って、ひとつの家族だったり、知り合いたち? ……そういった人たちによる、確実に中心となるひとつの筋があるわけで……、それでも、誰が主人公? と問われると、やっぱり一人じゃない気がする。もちろん、そのなかでも中心っぽい、あるいはキーを握っている人物ってのはいるけれど。
でもそういうのは、複数人でひとつの主人公だと思えばいいわけで、私のみたいに「どっちだ?」と二択で迷う必要はなくて。
で、私の作品では、「視点の人物の心情」が主なのか、「見られている相手」が主なのか、それが自分でもよくわからないことがたまーにだけどあって……、というか、逆にそれを作家側で決めちゃうってどうなのよ、ってのもあって。
そんな拙作のなかでも、『エレーナの肖像』という作品は明らかに「見られている相手」を描こうとした作品だから、語り手より登場シーンが少なくても、「主人公はエレーナ」と自信を持って言えるのですけどね。