第九十五話 遊楽士ギル・グレイグ
更新再開です。
ふと辺りから黄色い声援が飛び交った。その人物が目映いばかりの笑顔を湛えたからだろう。声を発する殆どが女性である事から、この物はやはり男性なのかもしれないとバレットは思慮する。
しかしその声音も、その者が傍らから袂へ銀白色のソレを移した事で霧散した。纏われた白色のローブとそこから覗かせるは、更に色濃い白魚のような手。
細い両腕に抱かれるは顔よりも一回りほど大きな竪琴。優しく包み込むように弦に指を掛け、ふっくらとした唇が開き、艶やかに動き五指が、美しいメロディーを紡ぎだす。
『ここは世界の中心マグノリア――人々と精霊に愛されし国。海に囲まれ、緑に溢れ、恵みの大地にオークも踊る。
ここは平和を謳歌すマグノリア――人々の笑顔が溢れ光と生る。それでも民は忘れない。光の裏は闇。この地に訪れし暗黒の日々。
ここはかつて闇に溢れたマグノリア――狂王ハデス・エリザベルの名の下に貴族は欲に溺れ民を苦しめた。やがて訪れし戦。戦火に包まれ大地に屍。空は炎に包まれた。死臭の尽きないこの国に人々は絶望し生を諦めた。
ここは世界の中心マグノリア――優しき女王の治める国。聖女と謳われし一筋の希望。かつては王女テミス・エリザベル。身分の差など気にもとめず。戦火に苦しむ人々に優しく手を差し伸べし。その笑顔に民は救われ懇願した。
ここは平和の王国マグノリア――無血の女王の生まれし国。テミス・エリザベスを中心に人々は反旗を翻す。失脚せし狂いの王。王座に付きし聖女は矛を治め、その清らかな言葉のみで無益な戦を終わらせた。再び溢れた平和を謳歌し。光に包まれし大地に感謝せし。
ここは平和の中心マグノリア――愛と優しさで満ちし国――』
一時の間、広場を包み込んでいた歌と楽音が終幕を告げる。その瞬間周囲から惜しみない拍手が捧げられた。リディアとバレットも同じように大きく手を叩いた。
風真はそれに倣おうとはしないが、曲にはしっかり耳を傾けていたので詰まらなかったわけでも無いのだろう。
噴水の前に立つ人物は皆の拍手に右手を上げ、眩い笑顔を返す。そして再度深々と頭を下げた。
歌を披露し終えたその回りには多くの人が集まっていた。皆先ほどの曲を聞いていた者達のようだった。
「随分人気みたいだねぇ」
「そうね。顔もいいし、歌も上手いしね。それに彼みたいな遊楽士は、あぁやって個別に契約を交わして路銀を手にするのも重要だもの」
リディアの発言に再度バレットは彼と言われた遊楽士を見た。
リディアはその人物を男と判断していたようだ。
彼の歌う声を聞いたからであろう。
確かに先ほど発せられら歌声は美麗ではあるが、女性のソレとは違う印象であった。
(しかし遊楽士と言うんだねぇ)
バレットの中では吟遊詩人という言葉がぴったりはまっていたのだが、世界が違えば呼び名も違うといった所なのだろう。
そうこうしてる内に、遊楽士の前から人は随分はけていた。最後に彼と綺羅びやかな格好をした恰幅の良い男が固い握手を交わしていた。男の後ろでは同じく高級そうな衣類で身を纏ったマダムが笑顔を振りまいている。そしてどうやら用件が済んだようである二人は、手を振りながら去っていった。
その様子を見る限り、二人と彼はリディアの言う契約というのを取り交わしたのかもしれない。契約は特に書面で交わすようでも無さそうだが、リディアの話では、約束した日時に遊楽士が赴き、歌と曲を披露して料金を得るらしい。
「さ~って。それじゃあそろそろ行きましょうか」
リディアが大きく伸びをし、二人に向かって言った。どうやら最初の目的を忘れてはいないようだ。
「だってさ。旦那」
「ちっ。面倒くせぇ」
ぼやく風真だが、ゆっくりと膝をたて腰を上げる。
「うん?」
バレットがふと、先ほどの噴水の方へ目を向けると、あの遊楽士がにこにこと微笑みながら三人の方へと向かってくる。
「こんにちわ」
笑顔を崩さず彼は言った。機嫌が良さそうなのは契約と言うのを結べたからなのだろうか。
とは言え、自分達に何かようなのかとバレットは小首を傾げる。
「今日は私のような者の曲に耳を傾けて頂きありがとうございます」
「いやいや。素晴らしい曲だったぜ。おいら感動して心震えちまったよ」
バレットは少々大げさな身振りで感想を述べた。とは言え良い曲だと思ったのは事実である。
「本当、凄く素敵な歌声でした。メロディーも洗練されてたし」
リディアが両手を胸の前で握りしめ、若干興奮気味に話した。すると大きな瞳を嬉しそうに細め、
「そう言って頂けると披露した甲斐があります」
と彼も口元を緩める。
「申し遅れましたが私、遊楽士としてあちこち回らせて頂いている、ギル・グレイグと申します。どうぞお見知り置き願います」
右腕を優雅に回し、水平になった腕の先で掌を上に返しながら頭を下げてみせる。
その名前と一連の所為から、やはり彼は男性だろうなとバレットは眉を広げた。
「わざわざどうも。おいらはしがない迷子のバレット・ザ・エルキンさ。どうぞ宜しくねぇ」
そう言ってハットを少し持ち上げる。
「リディア・メルクールです」
続いて自己紹介し笑みを浮かべる。そしてギルの目線が動き、風真をちらりと見やるが腕を組んだまま口を開かない。
「ごめんなさい。こっちのなんかブスッとしてるのが、風真 神雷。いい年なのに人見知りが激しいみたいなの」
リディアの紹介を聞いてバレットは、ぷっ、と含み笑いした。
「誰が人見知りだ!」
「だったらちゃんと自分で名乗りなさいよ。全く子供じゃないんだから」
強く歯噛みしてみせる風真と、ツンっとそっぽを向くリディア。
するとギルは愉快そうに身体を揺すり、
「いやぁ楽しい方々だ。やっぱり声をかけてみて良かった」
と続ける。
「それは何よりさぁ。でも何でおいらたちにわざわざ声をかけてくれたんだい?」
丁度いいとバレットがギルに問いかける。
「う~んそうですねぇ。職業柄興味があると放っておけないと言うか、かなり、その――」
ギルが少し口ごもりながら、風真とバレットを交互にみやる。その様子からバレットは、あぁ成る程、と察した。
気の知れた者との行動が多かったので、すっかり馴染んだように思えていたが、風真もバレットもこの国では相当変わった格好をしている。
むしろ好奇の目に晒されていない方が可怪しいぐらいだ。
そう考えて見るとここに来るまでに、すれ違う人の中にはそんな目で視ていた者も多かったように思える。
顎を擦り一人納得したように頷くバレットに目を向け、ギルは慌てて両手を左右に振る。
「いやそんな! 変わってるとかそういう意味で声をお掛けしたわけでは無いんですよ!」
どうやら誤魔化すのはあまり得意では無さそうだ、とバレットは口元を緩める。ただそれぐらいの方が接する方も気楽であり、バレット自身も心の鎖を少し緩めることが出来た。
「たくどいつもこいつも、俺のどこが変わってるってんだ」
隣で風真が不快そうに述べる。思わずバレットは苦笑いした。
「あんたいい加減自分がどれだけ浮いてるか自覚しなさいよ」
リディアの突っ込みは至極適切だ。そしてそんなやりとりを目の前の美丈夫が楽しそうに眺めている。
「あ、なんかごめんなさい」
ギルの顔を見て気恥ずかしそうに頬に手をあてる。
「いえいえ、ただ皆さん仲が良さそうで少し羨ましいです。私はこういう身ですから基本独りなので」
そう言って淋しげに口元を緩めた。
「ずっとお一人で旅をして回ってるんですか?」
「えぇ。この間までは暫く西方大陸のディアブロスを回ってました」
「ディアブロス……」
リディアの表情が一瞬強張り、彼の言葉を囁くように復唱した。
「……どうかされましたか?」
「え? あ、なんでもないです」
後ろに手を回し取り繕ったような笑みを浮かべる。
「でも遠い所を海を渡って大変ですね。何か目的があられたんですか?」
「えぇ勿論。今年は生誕祭が行われると耳にしましてね」
リディアの問いかけに、楽しそうに話して見せる。
「特に今回武闘大会も開かれると聞きましたから、私そういうのに目がなくて」
「成る程ねぇ。おいら達に声を掛けてくれたのは、その事もあってと言った所かな」
横からのバレットの発言にギルがクスリと笑い。風真の刀をみやる。
ギルはバレットにも少なからず興味はあったようだが、どちらかと言うと風真とその帯刀された、刀に多く視線が注がれていた。
それがただ変わった出で立ちからだけで無く、大会参加者に対する興味となれば、尚の事納得がいく。
「良かったねぇ旦那。随分と興味を持たれてるみたいだぜぇ」
「はぁ? 気持ちわりぃ事いうな!」
冗談じゃない、とばかりに風真が身体中を掻きむしる。
「いやいや、そういう意味ではありません」
これにはギルも右手を振り、違うとアピールする。
「ただ、大会に参加される方をお見掛け出来るとは思ってませんでしたから、ついつい好奇心が顔に出てしまって」
「あん? なんで参加者だなんてわかんだ?」
「判りますよ。そういう物を町中で平気で持ち歩くのは、マグノリア守団の方か武器持参の大会参加者ぐらいですから」
「まぁ証明になる物も付けられてるしねぇ」
バレットがギルの言葉に一つ付け加える。
「そういう事か――」
風真は納得したように顎を擦った。そして徐ろにリディアに目をやり、だったら、と口にし言葉を紡ぐ。
「こいつだって一応参加するみたいだぜ。まぁこんなちんちくりんに興味は無いかもしれねぇが」
「誰がちんちくりんよ! 本当失礼ね!」
一瞬にして沸点に達したリディアが声を吹き上がらす。
「そうなのですか? 貴方のような可憐なお嬢様が出場されるとは流石に考え及びませんでした」
その言葉で瞬時に熱が覚めたらしく、
「え? か、可憐ですか?」
と復唱し顔を赤らめる。
「おべっかに決まってんだ……痛て!」
リディアが笑顔を崩さず、思いっきり風真の脚を踏みつけた。足の上面がむき出しの草履を履いている風真にこれは堪らない。
「何すんだこの野郎!」
しかしリディアは言葉返さず。すっかり無視を決め込んでいた。
「いやしかし、そうなるともしかして貴方様も?」
ギルはバレットへ、興味津々といった様子で聞いてくる。
「いや。おいらは見学さぁ。そんな実力も無いしねぇ」
バレットは両手を広げ、少しおどけた感じに首を竦めた。
「そうですか。いや底知れぬ実力を感じますし、何か勿体無いように思いますが」
ギルはにこやかにそう述べるが、その言葉はおだて等では無さそうであった。
もしバレットから発せられる雰囲気からそれを察したのであれば、気さくな雰囲気とは裏腹に優れた慧眼の持ち主とも言えるかもしれない。
「こんな奴大した事ねぇよ」
「まぁ確かに旦那のような化け物じみた力はおいらには無いねぇ」
バレットは小馬鹿にしたような侍の言葉を素直に受け止め、上手くさばいて風真を持ち上げた。
「それにリディアだってエイダがイチオシするぐらいの魔術師さぁ。おいらの出番は流石に無いねぇ」
「成る程。メルクールと言うのでもしやと思いましたが、これはますます楽しみになりましたね」
ギルはそう言って笑った。他国から渡って来たという彼が反応するぐらいだから、エイダは実際相当有名だったのだな、とバレットは思った。
それから少しギルと会話し、
「色々と聞けて楽しかったです。大会応援させて頂きますね」
と其々握手を交わす。
風真はその手に少し渋っていたが、にこにこと伸ばし引っ込まないその手をやれやれと握り返した。
「それではこれで。皆さん試合頑張って下さい」
そして、最後にそう言い残しギルは手を振りながら去っていった。
その後ろ姿を眺めなら、バレットはなんとなくまた彼とは出会うような、そんな気がしてならなかった――