第九十三話 今日の予定は?
バレット、風真、リディアの三人は朝食を食べながら今日の予定についてはなしていた。
風真は相変わらず朝からモリモリと、食膳の物に手を付けていく。
バレットとリディアの話を風真は横耳で受け、適当に相槌を打ってるだけだ。恐らくは、というか間違い無く話を聞いていない。
だがリディアはそんな風真は放っておいてニコニコとバレットに語りかける。
「私、実は王都って初めて来たの。だから大会まで時間があって少し嬉しいんだぁ、色々見て回れれるじゃない?」
光沢のあるテーブルに両腕を付けると、掌に顎をのせて嬉しそうに言う。
どうやら機嫌がいい理由はそこにあるのだな、と、バレットは一口、カップの中の黒い液体を啜った。
コーヒー特有の苦味と若干の酸味が口の中に広がり、芳ばしい香りが鼻孔を突く。いい味だな、とバレットの口元が自然と緩んだ。
朝の目覚めにこれだけピッタリな飲み物は無いとバレットは思っている。だが、それを楽しんでいるのはバレットだけであった。
リディアはどうやらこの苦味が苦手なようで、カップに注がれたソレを見た瞬間に苦味を顔で表現し、私はこっち、と紅茶を注いでいた。
風真にしてもどちらを選ぶかと言えば紅茶派のようだ、仲間がいないのはなんとも寂しい。
「それじゃあ取りあえずはお店回りって事でいいよね」
問いかけてはいるが、決定という意思表示がその笑顔にあふれている。とは言えバレットも特に断る理由は無い。
「おいらは特に異論は無いさぁ」
「決まりね」
声を弾ませるリディア。だがそこで風真の余計な一言が発せられる。
「あん? 店回り? なんだそりゃ。そんな面倒なのはゴメンだぜ」
言下に、はぁ?、とリディアが瞳を尖らせた。
どうしてこの男はいつもこうなのか? と機嫌の悪さが瞳に溢れる。
「今更何言ってんのよ。風真さっきから横で話を聞いてたのに何も言わなかったじゃない」
腕を組み、ぶすっとした表情のリディアに、風真は、チッ、と短い舌打ちで返した。
「とにかくそんなのはゴメンだ。俺は適当に一人で回るからそっちは勝手にしてればいいだろ」
「馬鹿! それができたら苦労しないのよ! シンバルにだってあんたを一人にしないよう言われてるんだから!」
「誰が馬鹿だ! 大体なぁ――」
二人の侃々諤々の言い争いに思わずバレットも溜息を漏らした。
周囲からの視線を感じて若干居た堪れない気持ちにもなる。朝の食事を楽しんでるのは彼らだけではないのだ。
「なぁ旦那。例えば風真の旦那が一人で別行動するとして、一体どこに行くつもりなんだい? 俺達はこの国の事も街の事も何も知らない身だぜ?」
いい加減他のお客にも迷惑だと思い、バレットが風真へと問いかけた。
すると風真の口がピタリと止まり、目を眇め一考するように視線を上げた。
だがすぐには答えが出てこない。
どうやらというかやはりというか、風真は特にどうするかは決めていなかったようだ。
「何よ、結局何も考えてないんじゃない。だったら素直に一緒に来ればいいのよ」
椅子から立ち上がり、風真に向けた人差し指を上下に振る。
リディアの前では風真が聞き分けのない子供のように思える。
「大体ね、迷子にでもなられたらこっちが迷惑なんだから」
「誰が迷子になんかなるか!」
「いやぁ、でも旦那は一度はぐれてるからねぇ」
バレットはダグンダでの事を思い出し言った。
「あれはお前らが勝手に俺から離れたんだろうが!」
風真は真実を曲げに曲げてついでに逆方向に放り投げてしまう。随分と都合の良い捉え方だなとバレットは肩をすくめた。
「あぁ。もういいわ」
リディアは右手で額を押さえ軽く歯噛みし。
「このままじゃらちがあかないし、もう多数決で決めちゃいましょう。いいよね?」
「あん? 多数決だぁ?」
「そうよ。はい、じゃあ私の意見で良いと思う人」
当然のようにリディアとバレットが手を上げた。
「はい決まり。じゃあ早くいこ」
「ちょ、ちょっと待て! 俺はま――」
「つべこべ言わないの! もう決まったんだから。あんたがなんと言おうと決定は覆らないんだし! いい?」
一気に詰め寄り捲し立ててくるリディアに、ぐうの音も出ない風真。
「判ったら返事は!」
「お……おぅ」
すると、リディアの勢いに遂に根負けしたのか、ぼそりとではあったが、確かに風真は承諾してみせた。
風真 神雷は不機嫌をそのまま顔に貼り付けたような表情を浮かべながらも、黙って二人の後を付いてきていた。
リディアの勢いに押されたとは言え、最終的には納得してしまったものだから、それ以上文句をいうわけにも行かなかったのだろう。
三人が宿を出ると上空には雲一つ無い青が広がり、優しい光が町全体を包み込んでいた。時刻は朝の9時を回ったところだが、外に出てすぐの通りでは、既に多くの人々が行き交う様子が見て取れる。
だが、にもかかわらずダグンダのような人が溢れてるような……悪く言えばごみごみした感じは受けなかった。
その理由としてはまず道の広さが上げられるだろう。建物と建物との間を抜ける往来の広さはダグンダと比べても倍以上はある。自然と歩く人々の間隔にも余裕が生まれるというわけだ。
更に言えば、彼らの歩く方向だ。人々はみな進行方向の左側を歩くことを心がけているようであった。
これがこの都のルールなのかどうかはバレットには判らないが、そのおかげか人々にもどこか余裕のようなものも感じられた。歩き方一つとってもせかせかした感じはなく、どことなくゆったりした雰囲気も感じられる。
リディアを先頭にバレットと風真もこの王都のルールに従うように左側を歩き始めた。彼らが踏み歩く道には真白い甃が敷き詰められている。
王都マテライトの様相は、この甃に限らず全てが白で包まれていた。彼らが出た宿もそうであったが建物は皆、白木や白レンガで建築されているようで色が完全に統一されている。その為か都全体の雰囲気も明るく感じられた。
向かう先はリディアが決めた。宿屋の壁に王都の地図が貼ってあったので、それを見て今日の予定を決めていた。
今、バレット達が歩くのは王都の東側地区にあたる。王都マテライトは中央の広場を境に東西南北の四地区に分かれていた。
東と西は商業地区となるが東側に関しては、宿や飲食系の店が多く立ち並ぶ。
西側は宿主の話を聞くところでは、調度品や服飾品を取り扱う店が多いようだ。そして今日の最初の目的地でもある。
南地区は居住地区となっており、王都の臣民が暮らす場所となっている。
最後に北地区だが、そこは尤も王城に接した場所であり、公設地区として学院や、図書館、他国の要人を迎える公館などを有しているらしい。
そして現在。バレット、リディア、風真の三人は中央広場に向かって歩いている。
地図を見る限りでは外周が馬車道になっていて、送迎の馬車が常時ぐるぐると回ってるようなのだが、彼らが出た宿からなら一直線に徒歩で向かった方が早いと判断したのだ。
しかし、二百メートル程進んだだけなのだが確かに宿は多い。この間だけでも四、五軒は通り過ぎただろう。
どこも部屋の快適さをウリにしたり、料理の美味しさを自慢したり、中には王城を模したような奇抜な作りの建物もある。外観で人々の目を惹こうとしているのだ。ライバルが多い為なのか、どこもお客を呼びこめる特色を出そうと必死である。
勿論それは宿だけでなく立ち並ぶ飲食店にも言える事であった。特に匂いで惹きつけるというのはダグンダでも見られたが、尤も基本的なことなのだろう。
其処彼処からいい香りが漂い鼻孔を突くのだ。だがおかげで困ったことに風真があっちへふらふらこっちへふらふらと匂いに吊られ店の前で脚を止めるものだから、中々足取りが捗らない。
「全くいい加減にしてよ! あんたしっかり朝食食べてたじゃない!」
確かに風真は人一倍パンもおかずも平らげていた。まぁ毎度の事ではあるのだが。
「るせぇなぁ。いくら食べても減るもんは減るんだよ」
「冗談じゃないわよ。大体あんたお金持ってないじゃない。それなのにあんなに傍で物欲しそうに張り付かれたら店の人だって迷惑なんだから!」
「だから金はあるってんだろ」
「いや旦那。それはここじゃ使えないから」
懐からじゃらじゃら貨幣を取り出す風真だが、この世界ではそれは何の価値も示さない。
「とにかくもうこうなったら鼻栓でも詰めておいてよ。そうすれば匂いも感じないでしょ!」
「冗談じゃねぇ! そんな不格好な真似出来るか!」
「それならしっかり付いてくる!」
そう言ってリディアは風真の腕を引っ張りバレットにも目配せした。やれやれと肩を竦めバレットもそれに手を貸す。
「お、おい! 何すんだてめぇら!」
叫ぶ風真もお構いなく、リディアが前から引き、バレットが後ろから押し脚を早めた。とにかくこの誘惑地帯を抜けるのが先決だと思ったからである。
全く先が思いやられるな、とバレットは苦笑してみせた――