第八十九話 徹夜明けの出発
「やっと戻ってきやがったか」
バレットとリディアの帰りに対し、出迎えの第一声を上げたのは風真であった。しかも見てみると全く料理に手が付けられていない。これはかなり意外な事であった。
だが、まさか二人の帰りを待つようなそんな殊勝な気持ちを持ちあわせていたのかと思いきやなんて事はない。未だ団員達からの質問攻めが続いていただけの話であったのだ。
彼らの興味はシンバルのみならず風真にもしっかりと伸びていたようで、そのせいか風真も辟易といった様子である。が、悪い気はしてないのか、しっかりオーク王との戦いの様子を型で表現してるあたりは微笑ましくも感じる。
「あの……二人も戻られた事だしそろそろ食事にしましょうよ。せっかくの料理も冷めてしまいますし」
迫る角顔を両手で抑えるようにしながらシンバルが言った。すると漸くその存在に気が付いたのか、少年のように瞳を煌めかせた彼が顔を向け。
「おお! なんといつのまに! いやはやこれは本当に申し訳ない事をしました! しかし流石はエイダ・メルクール様のお孫様にオーク達の策略を見事に見破ったバレット様だ! 山賊達に対しても全く臆する事無きその胆力! お見事ですぞ!」
彼の話しぶりからして二人の事はシンバルからでも聞いたのだろう。にしても、かなりオーバーに伝えられてるなとバレットは眉を掻いた。そもそも地下に食事を運ぶという行為はそこまで褒め称えられるようなことでもない。
このまま放っておくと、風真のように夕食にありつけず終わるかもしれないと思った二人は一旦顔を見合わせた後、席の前まで向かい。
「それじゃあ頂くとしようかねぇ」
と言って椅子に腰を掛けた。
「おお! これはこれは失礼した! すっかり話に夢中で! それでは全員揃いましたし頂くとしますか!」
顔の前でパンッと両手で打ち鳴らし、ガハハと笑う。シンバルは漸く解放されたと言わんばかりにほっと胸を撫で下ろしていた。
「たく、腹が減って仕方なかったぜ」
愚痴を零しながら風真が一気にパンを口に含みスープを飲み干していく。
「んぐ。しかしお二人共! 山賊共はおとなしくしておりましたかな? 危険は無かったですか?」
風真に負けないぐらいの豪快な食べっぷりを見せながらの彼の質問に、バレットは眉を広げた。正直大人しかったかと聞かれれば決してそんな事は無いが……。
「危険って意味ならそいつと一緒の方がよっぽど危険だろうが」
バレットに向けて視線を巡らし風真が言い放った。するとリディアがむっとした表情になり。
「ちょっと風真ってば変な事言わないでよね! バレットはすごく優しかったんだから!」
「ブフッ!」
シンバルが一旦口に含んだスープを吹き出した。げほっ、げほっ、と咳込み水を一口飲んだ後、え? えっ!? とバレットとリディアの顔を交互に見やる。
どうやら彼はとんでもない勘違いしてるようだが、そのおかげで話がそれたのでバレットはよしとすることにした。
その後、地下の事が議題に上がることは無く、皆は雑談を交えながらゆっくりと夕食を楽しんだ。しかし、暫くするとやはり話はオークの件に及んだが。
勿論それを再び切り出しのは人一倍声の大きい彼だ。彼の矛先は暫くその場にいなかったバレットとリディアに向けられ、食事が終わった後も延々と続けられた。
こうして結局その話は深夜にまでおよび、漸く解放されたのは明け方近くの頃であった――
◇◆◇
「あの、皆さん、大丈夫ですか?」
待ち合わせの時間に訪れたマルコの第一声がそれであった。寝不足でふらふら状態のシンバルとリディアを見てそう心配になったのだろう。
シンバルもそうだがリディアの目の下にも大きな隈が浮かび上がっていた。せっかくの健康的な白い肌が台無しである。
「全くなっちゃいねぇなお前ら」
そんなふたりの姿をみやりながら、風真が平然な顔をして口にする。。
「あんたはいいわよ。途中一人でぐぅすか寝ちゃうんだから。ほんと薄情者よね」
恨めしそうな視線を風真に向けるリディア。確かに彼女の言うように、風真は部屋にこそ戻らなかったが椅子に座りながら高鼾を欠いていた。夜中になっても全く衰えることのない彼の大声が響き渡る中でだ。
「全くあの状況でよく眠れましたよね……」
するとシンバルが感心とも呆れとも取れる調子で呟く。
「やあやあ! 皆さん! おはようございます! いやぁ昨日は充実した一日でしたなぁ!」
そしてドアを開け、太陽さえも慄く程の大声で挨拶してくる彼。
「なんであれだけ一日中喋ってたのに、そんな元気なのよ……」
嘆息混じりにリディアが愚痴った。バレットも一人苦笑する。
「てか、バレットも寝てないのに平気そうよね」
「そうかい?」
ハットのブリムを持ち上げ返すバレット。だが、かつては追っ手から逃れ何日もまともに眠れない日々も続いた事がある身だ。
一日ぐらい徹夜したところで問題にならないのは当然であった。
「しかしこんなにも早くお別れとは名残惜しいですな! もっと皆様方の武勇伝を聞きたかったのですが!」
シンバルがギョッとした顔を浮かべ、リディアが頭を抱えた。もう勘弁してくれという面持ちである。
「い、いやぁ確かに残念だけど、ほら、僕達も任務があるから。そろそろ出発しないと間に合わなくなってしまうよ」
「おお! そうだ! どうせ後から私も向かいますし、この続きはその時にでも!」
少しでも早く出発するべく話を切り上げようとするシンバルをガン無視し、彼はシンバルの両手をがっちり掴んで腕が引き千切れんばかりの勢いでブンブンと上下させる。そして相変わらずの大声で無理やり約束を押し付けた。
ガハハ、と大笑いしながら背中を叩き続けられ、表情に影を滲ませつつ肩を落とすシンバル。
「私、向こうでは絶対顔を合わせないわ」
すると、リディアがぼそりと決意を呟いた。
団員達に見送られ、マルコの乗った馬車共々一行は町を出た。シンバルの話ではここから先は道なりに進めば夕方頃には【王都マテライト】に到着するらしい。
街道は流石王都に続いているとだけあって幅も広くしっかり整備されている。また、通りを走る馬車や往来する人々の数もかなり多い。
道のりは途中何箇所かの森や丘を超えたりはしたが、緩やかなものであった。すれ違う馬車の中にはマグノリア守団の制服を来た団員の乗った物も存在した。町から町へと巡回して回ってるらしい。
アースヒルを出てから暫くはそんな雑談を一緒に交わしてた面々だが、昨晩ろくに寝ていないからかリディアもシンバルも途中からすやすやと寝息を立て始めたので、バレットもハットを目深に被り意識を一握り残しながらも瞼を閉じた。
「おい。もうすぐ着くんじゃねぇのか?」
目覚めの一言は風真の口から発せられた。尤もバレットは完全に眠っていたわけでもないのだが、目深にしていたハットを押し戻し、ファアァア~、と寝起きの欠伸をしてみせた。
声の主に視線を巡らすと馬車の扉が開き風真が身を乗り出している。吹き込んだ風を受けてかリディアとシンバルも起きだした。
「ちょっと風真、危ないわよ。落ちても知らないから」
「俺がそんなドジ踏むかよ」
振り向きながら風真が言う。
「何かみえるのかい旦那?」
「あぁ、でけぇ壁がな」
バレットも少し身を乗り出し、正面の窓を覗いた。そこに見えるは確かに風真の言うとおり横に広がる堅固そうな白壁。
「どうやらもうすぐみたいですねぇ」
シンバルの声が車内に響いた。空は茜色に染まっている。
彼が途中で言っていたように、夕刻には無事到着出来そうである。
目的の王都マテライトはもう近い――