第八十八話 乱れるリディア
「あれ? どうしてお二人が?」
地下に降りてきたバレットとリディアの姿を見るなり、山賊達を監視する任に付いていた団員が目を丸くさせた。
「まぁ上は色々忙しそうだからねぇ。おいら達が手伝うことにしたのさぁ」
なんて事もないような軽い口調で答えるバレット。すると団員は後頭部を右手で擦り、参ったなぁ、と呟く。
「これここに置いたらいいの?」
すると、牢屋の前に立ちリディアが聞いた。
バレットもそれに視線を向ける。
鉄格子には鍵付きの扉の他に横長の食事用の小穴が一つ設けられていた。穴の下には内側と外側とに張りでた平台が付いている。丁度食事の乗ったトレーが置けるぐらいの面積である。穴は上から鉄板を下ろすことで閉まる仕組みのようだが今は上げられていた。普段は閉められているのだろうが、食事の時間の為開いているのだろう。
「ちょ! ちょっと! あまり近付かないで! 危険だから」
団員が慌てて静止しようとリディアに詰め寄る。が、
「大丈夫よこれぐらい。本当心配症ね」
と呆れたようにリディアが言った。
「へっへっへ。これはまた可愛らしい嬢ちゃんのお出ましだ」
あのデカイなりをした山賊の頭が下衆な声を発した。五人いた山賊達は二つの檻に別けられる形で閉じ込められていた。頭側は手下一人と合わせて二人。隣の檻には残り三人。檻の前で地べたに座り込んでいる。
「頭! こいつあの時あいつらの馬車に乗っていた娘ですぜ」
「けけっ本当だなぁ。どうせだったら俺はもう一人の女の方が好みなんだけどなぁ」
捕まってる身の割にそれぞれ勝手な事を口にしている。
「おい! お前たち静かにしろ!」
見張りの団員が叫んだ。すると頭は、ふんっ! と鼻を鳴らし彼を睨みつける。
「ここに置くわよ」
だがそんな連中に構うことなく、そう言ってリディアがトレイを台に乗せた――その瞬間、頭のゴツイ右手がリディアの細い手首を掴んだ。
「てめぇらの顔は忘れねぇぞ――絶対にな」
ドスの効いた声で瞳を尖らせる頭。
「んぁ?」
すると、ふと何かを感じたのか頭が間の抜けた声を発した。その顳には格子の隙間から伸びた冷たい銃口が突きつけられている。
「何だこりゃ?」
この国には銃というものが現状存在しない。だからバレットが突きつけたソレを見ても山賊達には理解が出来ない、のだが。
「これが何なのか知るときには、あんたの頭は吹っ飛んでるぜ。それが嫌ならその汚い手をさっさと放すんだな」
発せられた言葉からは、今までの軽い空気は完全に消え去っていた。淡々とした口調、血液さえも凍りつくような冷徹な声。研ぎ澄まされた瞳とシリンダーから覗かれた弾丸に殺意を込め。
【死神】の異名を持つ彼から発せられるのは死臭。そして重圧。男が銃の存在を知らなかったところで、その脳裏に死を予見させることはバレットに取って造作も無いことだった。
「チッ……」
舌打ちをする。平静を装う。だがその額から滲み出た冷や汗は隠し通せない。
頭がリディアから手を放すのを見届け、バレットは右手に握られた銃をホルスターへ収めた。背中に団員のほっとする声が触れる。
「リディア大丈夫かい?」
左手で食事の乗ったトレーを掲げたまま、バレットは硬い表情を瞬時に緩ませる。
「うん。大丈夫」
リディアの声や表情からは特に恐れや恐怖といった感情はみられなかった。無理をしているわけでもなさそうである。
「おい、お前たちいい加減にしろよ! 立場というものをわきまえろ!」
直後、団員が猛獣の入れられた檻に向かって声を荒らげた。
リディアへ危害を加えようとした事は、この状況かに於いては許されるものではない。
「ケッ」
一言だけ漏らし頭は食事の乗ったトレーを手に取り床に置いた。隣の檻でも山賊達が顔をのぞかせバレットの手に乗ったトレーを物欲しそうに眺めている。仕方が無いのでバレットが同じように食事を台に乗せると、その瞬間一斉に食べ物に群がった。よっぽど腹が減っていたのか。その姿はまるでハイエナだ。
「ねぇ、何でこんな事してるの?」
頭は、右手に持った大きめのパンを一口のもとに詰め込み、もぐもぐと頬張りながら質問主のリディアに視線を走らせる。
「るぉうすてらと?」
パンを頬張ったままでは何を言っているのかさっぱりだが、リディアは表情を変えず真剣な眼差しで頭の返事を待つ。
「んぐ……ふん。んなもん決まってるだろうが、金を稼ぐ為だよ」
口の中を空にし悪びれもなく彼は答えた。
「金を稼ぐ? だったら普通に働けばいいじゃない。あんた達が奪ってきた物はね、一生懸命働いた人が漸く手にした財産なのよ。それを数と暴力で奪い去るなんて――」
リディアの瞳に憂いの色が宿る。
「けっ! ふざけたこと抜かしてんじゃねぇ!」
瞬時にリディアの表情が尖った。
「何が一生懸命だ! あいつら平民風情がちょっと稼げるようになったからと調子に乗りやがって! それもこれも元来俺ら貴族の力あっての事だろうが! それを――」
激しい打音が牢屋内に響いた。頭が壁を思いっきり殴りつけたのだ。
「あの糞王女が下らない制度を作らなければ俺達だってこんな事をしなくて済んだんだ! 何が平等だ! 何が民の為の国づくりだ! この国が発展したのは俺達貴族が……」
「ふざけたこと言わないで!」
バレットは目を見張った。リディアがここまで声を荒げる姿を見るのは出会ってからは初めてだったからだ。眉間に皺を刻み山賊達を睨みつける。いつもの明るく可愛らしい姿からは考えられない。
「あんた達がやった事を忘れたとは言わせない! あの戦争でどれだけの人々が犠牲になったか! あんた達のせいで……せいで……」
リディアの瞳はいつの間にか涙で濡れていた。バレットに全ての事情は掴めないが、何かを思い出し悲しみが溢れているのは察する事が出来た。
「リディア大丈夫かい?」
バレットが声を掛けるが、リディアはぐすぐすと涙ぐみながらそれ以上言葉は出てこない。感情がかなり高ぶっている。
「あ、あの……」
団員が心配そうにしている。山賊の頭はチッと舌打ちまじりにさっさと食事に戻ってしまった。背中を向けてもうこれ以上話す事は無いといった雰囲気だ。
「リディア、上がろうか。ご飯もまだだし、おいらも腹が減ってしまったさぁ」
鼻をすすっているリディアへ、バレットはオーバーなリアクションでお腹を擦って見せる。
リディアがわざわざ自分からここに降りてきたのは、山賊達にどうしても一言いってやりたいという気持ちがあったのかもしれない。が、その思いを吐き出した事で情緒が乱れてしまっていてこれ以上冷静ではいられないだろう。
バレットがあえてリディアの状態には触れず、自分を出汁におちゃらけて見せたのは、彼女が戻りやすい状況を考えてのことだ。そうする事で少しでも気が紛れれば尚いいと思ったのも在る。
リディアは涙を拭いながらバレットに頭を向けてコクリと小さく頷いた。
バレットはそれじゃあ、と一言のべ、リディアを連れ地下を後にした。団員は心配そうにしていたがリディアも地下を出る直前に顔を巡らせ、ごめんなさい、と一言告げ頭を下げた。
「ごめんねバレット……」
一旦外に出たところでリディア申し訳無さそうな声で言った。バレットは振り返り、彼女の頭をぽんぽんと軽く叩くと覗きこむようにしながら、
「何を謝る必要があるんだい? 女の子がみせる涙に罪なんか無いさぁ」
と言って笑って見せた。リディアが瞳を大きく広げた。そして天上に煌めく星々が天然の紅水晶に映り込み、月明かりのような柔らかい笑みを宿す。
「話にはね、聞いていたの」
すると、宿舎へ戻ろうとバレットが扉に手を掛けた時リディアが話し始めた。
「南のね、港町付近で商人や旅人相手に盗賊や山賊まがいの事をする者が増えてるって。それが大抵はかつての権力を失った貴族達がやってる事だって」
リディアは瞳を伏せたまま話を続ける。
「だから山賊が現れるって聞いて、もしかしたらそれもそうなのかなって思って。だからその心意を知りたかった……だってだって――」
バレットはだまってリディアの吐き出す言葉の一つ一つを受け止めた。以前にトロンから話を聞いたように、この国にもかつては大きな戦火の渦に飲み込まれていた。だがその時、貴族たちの中で領地の民を無理やり兵士に仕立てたり重税をかしたりなどの暴君が多く生まれ横行闊歩していた。これらの貴族達は君主がテミス女王に成り代わり、民主体の体制に変わる事で国民の反発が強まり結果衰退していったのだ。
だが、結果そうした貴族の成れの果てがこういった犯罪に手を染める事に、リディアは憤りを感じずにいられなかったらしい。散々人々を苦しめたにも関わらず、今なおこのような横暴な行為を繰り返しているのだからリディアが取り乱してしまうのも尤もな話であった。
しかし、とバレットは考える。彼はまだこの地にきて間もないが、ダグンダの町の住人は皆良い笑顔をしていた。勿論オークの件などのトラブルもあったが、その件にしても事がすめば誰もオーク達に対して恨み言を言うものなどいなかった。
だが、人々の笑顔の裏には凄惨な歴史がある。きっと多くの民の犠牲の上でこの国は成り立っているのだろう。
「なんだか色々喋ったらすっきりしちゃった」
リディアの表情にいつもの明るさが戻ってきた。心の強い子だとバレットは思った。だが彼女の笑顔の裏にもきっと暗い影が潜んでいるのをバレットは感じた。だがその事をあえて問おうとはしない。彼女が自分から述べてきた時にはまた汲み取っていけば良い。そう思ったのだ。
なぜこの地に自分が飛ばされたのか。バレットにも時折そんな事を考える事があった。リディアに感じたような暗い影が、いや、深い闇がバレットにもある。討たなければいけない敵がいる。
だが、せめてこの世界にいる間は、彼女の笑顔が消えないようにしてあげたい――。
「さぁ私もなんかお腹減っちゃった。戻ろっか」
そう言って下を覗かせたリディアに、あぁ、そうだねぇ、と返し二人は扉を抜けた――